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転勤族による転勤族談義6

さて、転勤族うんちくもそろそろ飽きてきた頃かと思いますので。
良く言われる「転勤族って羨ましい、会社のお金で色々な所に住めるんですよね」ってアレに対する答えを書いておこうかと思います。

結果から言うと、人それぞれです!
楽しめるだけの柔軟性を持った方には、天国。
適正の無い方には、地獄です。

もっと言うと、多分・・・転妻全員共通の認識はこれ。
楽しいことも多いし、色々な経験も出来るけれど。
正直、転居し続ける苦労と比べたら辛いというパーセンテージが大きい。
もっと言うと、振り切れてる。羨ましいって言われたくないこれでしょう。

時々、移住組とか。
転居を趣味としている方と比べられ「慣れれば天国」みたいに言われますが。転勤は、転居先を決められません。定住をするわけではありません。
慣れた頃に、生活基盤を足元から崩されます。
 
まあ、そんなことをグズグズ言っても自分で選んだ道ですから。
偶々好きになった人が、転勤族だっただけだけれど・・・。
結婚は自分で選んだ道。
自慢出来る諸々を、自慢してみたいと思います。

広島から沖縄に引っ越した時が、過去一番のカルチャーショックでした。
住んでいた場所は、広島といっても中国山地に掛かる土地でして。
冬場の夜間は、マイナス二桁に気温が振る様な場所でした。
真夏でも、夜間は窓を開けると寒い程の土地。
毛布を掛けて寝ていました。

広島で、沖縄の宮古島に転勤辞令が出たのは2月。
4月1日付けの転勤で、まだ桜が咲かない時期に広島を出発。
沖縄の宮古島に飛行機で到着しました。
広島では、ストーブが欲しい気温だったのに・・・。
到着した沖縄では、デイゴの花が咲き乱れ、体感は既に真夏。

新しい家で、早速エアコンフル稼働しました。
何なのこれ!?
まだ桜も見ていないのに。体もおかしくなりそう。それが正直な感想です。

モスバーガーの生け垣、ハイビスカス
空港のブーゲンビリア

歩いてみると、見たことの無い木々が黄色や赤の不思議な花をつけています。日中は暑いからか、人影もまばらです。沖縄赴任2度目の夫に言わせると「日が沈んだら、みんな出てくるよ」でした。言われたとおりに、21時頃にスーパーに行こうと家から出ると、足元をスーッと黒い物体が通って行きました。そう、それはゴキブリ!!

本州のゴキブリの倍くらいのゴキブリが、足元をチョロチョロしているんですよね。叫ぶ事すら出来ない恐怖に襲われました。気をつけないと、踏んでしまうことも。

街頭の光に、群がる虫も沢山いました。
ブンブン飛んでいるので、よく見ると全部ゴキブリとか。もう、カルチャーショックを通り越してました。

他にも、布団の中に巨大なムカデが居たり。
天井からムカデがボトンと落ちてきたり。
ムカデは、火ばさみで、掴んで頭を潰さないと人間が酷い目に遭うのでそれも覚えました。

家にヤモリがが居て。
強烈にへばりつく糞をするんですよ。それも嫌でしたね。
夜になると、小鳥の様な可愛い声で鳴くのは好きでしたが。

風呂蒲の追い炊きの穴に入り込んで、丸焦げになって風呂を壊されたこともありました。ここは、キャンプ場かぁああああ!!って叫びました。

ただ、食べ物は物珍しい物が多く。
恐ろしく嵌まりました、宮古島でかなり太りました(笑)

まずは、ミニマンゴー500mlのペットボトルと並べてあるのでサイズ感が分かり易いかも知れません。多分、大きくする実を残して摘果した物の筈ですが。これが美味しいんですよ、大きな物と遜色無い。
当時はこれで2000円でした。
傷のあるマンゴーを皮を剥いてぶつ切りにして、冷凍。キロ単位で売っているスーパーもあり。箸が立つほど濃厚なスムージーも自宅で飲めました。

ミニマンゴー

次に、沖縄そば。ソーキそばも好きでしたが、個人的にはテビチそばがお気に入りでした。週1~2は食べていたと思います。

テビチの乗った沖縄そば

コンビニには、普通にポーク卵おにぎりが売っていました。チンして貰って美味しくいただいていました。ある日の昼食です。

ポー玉おにぎり、ある日の昼食

目新しい食材どころか、知らない食材のオンパレード。
近所のオバァに可愛がっていただいたことで、沖縄料理を嫁様の様に教わって新しいお料理のレパートリーが増えました。

写真は沖縄の県魚グルクン。唐揚げやマース煮(塩煮)にして食べる方が多いイメージです。シークワーサーで臭み消しをしますが。
ちょっと私は苦手でした(笑)

ご近所さんが釣ってきたグルクン

後、お気に入りだったのがポークランチョンミートと、ヘチマ、島豆腐。
ゆし豆腐などの沖縄ならではの食材。写真はヘチマを煮てます。

なーべらー(ヘチマ)と島豆腐でお昼

また、辛みとしてのコーレグース。
島唐辛子を、泡盛につけ込むだけの簡単仕様。
数滴そばや、味噌汁に垂らして辛くしていただいてました。

コーレグースも手作り

当時は、漁業関係者とマリンスポーツ関係者が揉めており。
まあ、表立っては書けない様な話も聞きましたが。
本当に、内地から島に移住した人間は結構苦労していました。

漁場を荒らす、数少ない島の仕事をナイチャー(本州から来た人)が横取りするというので。スーパーでも数限りない嫌がらせをされました。

安売りスーパーでの入り口で
「ナイチャーは帰れ、お土産店で高い物を買って生活しろ。
 ここは島の人間の為の店だ」
と、罵声を浴びせられたことも1回や2回では有りませんでした。

無視して、入店して買い物をはじめると後ろから付いてきて。
買い物籠に入れた商品を片っ端から棚に戻されるなどの嫌がらせも。
ある日、まだ血気盛んだった20代の私は70代半ばくらいの女性と店内で大喧嘩をしまして。店員はやってくるし、人だかりは出来るし。
本当に生きる為に必死だったのです。

「私はマリンスポーツ関係者じゃない!
 夫は島の生活基盤を守るために来た、〇〇〇の職員です!!
 帰れ、お前は要らないというのなら上司に今日にでも伝えます。
 必要無いのですよね?だったら、ご自分達で生活して下さい。
 ナイチャーがこんな所に来て、苦労するなんておかしいじゃ
 無いですか!!直ぐにでも、出ていきます!!!」

啖呵を切ったら、スーパー騒然。
相手は真っ青。
膝を付いて謝られました。
「貴方たちのおかげで生活は成り立っている、申し訳無かった」と。
それ以来、オバァ達と仲良くして、可愛がって貰ったという経緯があるのですが。絶対に普通はやらないです(苦笑)

負けん気が強く、曲がった事が大嫌いな私の恥ずかしい過去の黒歴史でした。まあ、こんな話もお聞きになりたい方がいらっしゃったら♡をポチッとお願いします。各地の色々なお話が出来ると思います。
今日はこの辺で。