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日本に亜熱帯があった話

私は2003年の4月に夫の転勤先として沖縄の宮古島にやってきました。
既に陽射しは夏のようで、半袖を着てエアコンを回し「ここは日本なのかな?亜熱帯だよね」と言うしかありませんでした。そんな私に夫は「宮古島は、亜熱帯地域だよ。」とイタズラな笑みを浮かべたのでした。

日本はどこへ行っても温帯だとばかり思っていた私の常識を次々を壊していくれた宮古島赴任。今思えば本当に面白い経験ばかりでした。

食べ物や風習などの他に、一番驚いたのが台風が次々とやってくること。
スコールがあることでしょうか。
そうか、亜熱帯ならスコールがあって当然なのかと驚いたものです。

亜熱帯といえば、当然といえば当然なのですが。
果物も南国の物が普通に売られています。

マンゴー、パパイヤ、アセロラ、バンレイシ(グアバ)。

バンレイシなどは、民家の生け垣につかわれていたりして。
スーパー帰りに、荷物を抱えて暑さにバテて座っていると
「はい、そこのネエネ。これ、あげましょうね」
知らない方から、手渡しされることもしばしば。

「子供の頃はね、登下校にオヤツ代わりにもいで食べたものさ」
そんな昔話も聞きました。

アセロラなどは、大木になっていて。
駐車場に、ボトボト落ちて踏まれて潰れていたりもします。

うん、やっぱり亜熱帯だなと納得し始めた7月のある日のこと。
例によって、例の通りオバアから電話が入りました。

「はい、ゆきさん。お元気ですか、天気予報みましたか」

そういえば、今朝。
台風が近づいてきているので注意を促す天気予報を見たばかりでした。
「はい、台風ですよね。でも、かすめる程度だと」
「はい、直撃はしないようですが。内地の台風程度にはなりますよ」
笑いに近い明るい声でサラッと怖いことを教えてくれたのです。

オバア曰く、この程度の台風では現代の家はびくともしない作りになっている。駐輪場も、沖縄仕様になっているから心配無い。

少しだけ載せてみましょうか、愛車と駐輪場

「問題はね、お庭のレンブが風で落ちてしまうと可哀想なので」
私の耳には「レンブ」ではなく「レンウ」に近く聞こえたのですが。どちらにしても初耳です。聞いて見れば、沖縄の梨さぁーとのこと。

どちらにしても、台風でレンブという果物が落ちてしまうので、少し早いけれど収穫したので取りにいらっしゃい。そんな電話のようでした。

「夕方になると、風が強くなってきますからね。今からいらっしゃい。今日は、旦那様はお仕事ですか」
言われるがままに、午後から仕事の彼に車を出して貰い、オバアの家に行くことになりました。

オバアの家は、サトウキビ畑のど真ん中にあるお家。
市街地からは車で15分。
私は良く行くので道は分かるのですが。ほぼ目印らしい目印は無く。

交通安全を呼びかける「まもる君」という少し不気味な警官の人形が唯一の目印。まもるくんを過ぎた2つめの角を曲がる。
そんな感じで覚えていました。サトウキビは草丈が高いので、バイクに乗って周囲を確認するのは無理なのです。

オバアの家に到着すると、サトウキビしか見えない路肩に車を駐め。
「こんにちは」
夫婦で、玄関をくぐりました。
玄関にどーんと置かれたお仏壇に手を合わせ、ご挨拶するのを確認したオバアは、私たちを手招きされました。
「旦那さんも、座ってお茶でも飲んで行きなさいね」
良く冷やされたさんぴん茶が、グラスを白く結露させています。

「ゆきさんは、はいこちらをどうぞ」
小さなガラス製のお猪口に、真っ黒な謎の物体が入っていました。
「こ・・・これ、何ですか」
「とりあえず、ひとくち飲んでみてください」
怖々、舐めるように口に含むと・・・。

とろける様に甘く。
そして、フワッと鼻に抜けるアルコール独特の刺激がありました。

「お、お酒ですよね」
「そうですよ、だから旦那様を連れていらっしゃいと言いましたね」

お酒と聞いて、夫も気になったらしくちらちらと見ますが
「甘いお酒は女の飲むものです、男性は泡盛ですよね。
 お仕事終わったら、奥様に貰ってください。少し包みましたから」
「あっ、はい・・・」
鳩に豆鉄砲を喰らったような顔の夫に、楽しそうにオバアは笑った。

「それでね、先ほどお話ししましたレンブですが。それで作ったのが、このお酒ですからね。ズミ(最高)ですから、貴女もつくりましょうね」
机の下から、とりだした紙袋には淡い色のピーマンみたいな物体が無造作に入れられています。

キョトーンとする私に。
「本当はね、熟すと真っ赤になりますよ。宮古島だと、ほんのり赤くなるくらいですけれども。普通に食べると、大して甘く無いですし、最近の人は食べませんね。でもね、お酒に漬けるととても美味しい。それなので、先に飲んで貰いましたよ」

ヘチマ料理大失敗事件があったので、分からない食べ物は聞くに限る!ということを覚えた矢先に、謎の果物レンブが手渡されたのです。

どう考えても、私の知っている、ホワイトリカーに氷砂糖を入れ、この綺麗なエメラルドグリーンに近い果物を加えて寝かせても・・・ほぼ無色に近い果物酒ができる様な気がして首を傾げました。

「あのお、オバアはレンブをどうやって漬けますか。この色にする材料が分かりません。多分、この色は私は出せないと思います」
困った顔の私の肩を、パンパンと叩いて
「よく頭を使いなさい、この黒い色は何ですか。今飲んだ時に、何の味がしましたか」
さんぴん茶を飲んでいる夫の手元には、お茶請けの黒糖と、謎の黒光りする濡れた食べ物らしき物が置かれています。多分、あの黒光りしている食べ物も、その黒い物体で漬け込んだ物なのでしょう。

黒い甘い物といえば、1つだけです。
「あの、もしかして氷砂糖の変わりに黒糖を使いましたか」
「もしかしなくても、黒糖ですよ。ゆきさん」
「ですよね」
「はい、でもしかしですよ。全部黒糖にすると、少し苦みがありますから分量は調節してくださいね。沢山ありますから、氷砂糖だけの物と2つ作って飲み比べても良いですね」
「ありがとうございます、お酒はホワイトリカーですよね」
「はい、ゆきさん。沖縄でどこの人が焼酎をつかいますか」
「あ、泡盛」
コクンとうなずくとニッコリと正解を教えてくれました。

「さあ、旦那様が暇になりますから。今日は帰りなさい、これも持たせましょうね」
サッと台所に行って戻って来たオバアの手には、綺麗に色づいたレンブ2つとビニール袋。夫の目の前にあった、黒糖をビニールに入れ、隣りの謎の黒い物体もビニールに入れ、口をクルンと結ぶと大量の緑レンブの上に乗せて手渡してくれました。

「こんどは、一人でゆっくりいらっしゃい」
玄関まで見送ってくれたオバアに夫は「いつもありがとうございます」と頭を下げていました。

「こちらこそ、島のために遠い所からありがとうございます。お仕事よろしくお願いしますね。奥様は私が寂しく無いようにしてあげますからね」
彼は、深々としばらく頭を下げてから「帰るか」と車に走って行きました。

「いつもありがとうございます」
泣きそうになっている私に
「故郷から遠く離れて寂しいね、なんくるないさ。ここが宮古の貴女の実家、心配無い。なんくるないさ。早く行きなさい、旦那様が待ってるさ」

帰りの車の中で、気になっていた黒い濡れた様な物体を試食しました。
緩く縛られたビニールの口を解いて、手を突っ込んで1つとりだして口に
「ぽーん」と放り込みました。

咀嚼してみると、甘さと良く知っている独特の風味。
「う・・・嘘ぉ!」
叫ぶ私に
「何だった、それ」
と聞く夫。
「ニンニクの黒糖漬け」
二人の笑い声が、車の中に響いたのでした。


熟したレンブ


ホワイトリカー&氷砂糖版 レンブ酒