横丁暮色 その4~飾らない庶民の街~



 「池袋で飲んでいる」
 と言うと、決まって
「まあ、怖い所で」
 と、一瞬ながら、たじろがれた。
 昔と最近はいざ知らず、私の飲んでいた時代、池袋、なかでも人世横丁周辺は平和だった。

 ◆❝事件❞勃発


「人世横丁」と大書された門をくぐると、なだらかな坂になっていた。中央にちょっとした広場があり、周囲に飲み屋が建ち並ぶ。反対側の入り口には喫茶店もあったように記憶している。
 確か、喫茶店の向かいに、ピンクサロンが1軒だけあった。横を通ると、賑やかな音楽が流れていた。眉をひそめる向きもあるが、飲み屋街を渡り歩いた私には、ごく普通の風景だった。

 客引きはいなかった。音楽が漏れてこなかったら、風俗店には見えなかった。
 それでも、会社の女性スタッフが通勤時、ちょっとした事件を目にしたことがあったようだ。夜のうちにピンサロの入り口を釘で固定した輩(やから)がいて、店長がブツブツこぼしながら、釘を抜いていたらしい。
 いろいろ事情はあっただろう。他愛ないイタズラであるが、店にとっては大迷惑だ。


 ◆老若男女の社交場


 安全な街だったので、よく知人を連れて行った。
 末の娘と友達も引率して、社会勉強させた。帰宅が遅くなり、友達の家族には心配をかけてしまったが。小学校の低学年だった。

 仕事の関係者では、帰る方向が同じ人がいて「打ち合わせ」を兼ねて、よく寄ってくれた。打ち上げは、おっかさんの店だった。
 視覚障害者の会の仲間も多数案内した。パラリンピックの金メダリストがいて、おっかさんと一緒にメダルに触らせてもらったこともある。メダルは重かった。練習量がそのまま詰まっている感じがした。

 

 ◆恐るべき女性雀士


 視覚障害者の会に、地方出身の女性会員がいた。
 彼女は田舎では白杖をつかせてもらえなかった。家に視覚障害者がいることを、地方ほど隠す風潮がある。送迎には、父親が寄り添う。東京駅で別れて初めて、白杖を出すことを許されていた。彼女はある時、東京駅で父親と大喧嘩をし、自立宣言をしたのだった。

 好奇心が旺盛だった。会の活動に欠かさず出席し、酒も強くなった。私が人世横丁近くのバーの話をすると
「貯金するから、連れて行ってよ」
 という。まさか、そんな健気(けなげ)な女性に、貯金させるわけには行かない。彼女に奢(おご)ることにした。ママが感激し、こまごまと世話を焼いていた。

 彼女は多才だった。いつの間にかマージャンをマスターしていた。マージャンパイに触ると、文字や模様が分かる、という。モーパイ(盲牌)である。
 私など後天的な視覚障害なので、自信をもって当てられるのは「白」くらいだ。視覚障害も先天的になると、指先に目がついているような者がめずらしくない。彼女は勝利の味を占め、会の活動の方はおろそかになってしまった。メンバーに入ってほしくない雀士(じゃんし)の一人だっただろう。

 

 ◆終電


 私は郊外から通っていて、片道45分くらい電車に乗った。
 最終電車は0時20分ごろだった。ただし、終電は各駅停車なので、帰宅は1時半過ぎになった。不覚にも寝てしまい、起こされたのがはるか先の終着駅。そこからタクシーで引き返したことがあった。

 終電に乗るには、12時には勘定を済ませておく必要があった。
 それでも、駅に着くと、非情にも、終電が出た後ということがあった。
 トボトボ、おっかさんの店に戻り、験直(げんなお)しに、軽く飲む。看板の時刻になると、仕方なく近くのラブホテルに一夜の宿をこう。気が重いが、妻に連絡を入れないわけにはいかない。案の定、怒って電話を切られた。
 アルコールが入ると、人は学習能力が著しく低下する傾向がある。
 

 ◆ホテル予約


 夜ごと人世横丁で飲んだくれていたわけではない。
 締め切り前には通勤時間さえもったいないので、ホテルに缶詰めになって仕事をしたかった。ただ、都心ではビジネスホテルでも高い。まさか、ラブホテルで仕事をする気にはならない。
 困っていると、女性スタッフから
「近くにオシャレなホテルがオープンしましたよ」
 と、朗報がもたらされた。
 彼女が電話番号を調べて来てくれたので、予約を入れた。
 フロントの対応がおかしかった。おもてなしの心が感じられない。第一、こちらの名前、連絡先も聞かなかった。
 スタッフが再度確認に行った。
「ごめんなさい。あれはラブホテルでした」

 何もかも一緒くたにして煮込んだ、闇鍋のような街・池袋、あんなパワーを持った街は、ほかに知らない。



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