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村の少年探偵・隆 その6 肝油ドロップ


 §1 麦飯

 隆が子供の頃、まだ世の中は貧しかった。
 下着や靴下はもちろん、上着も継ぎはぎだらけだった。靴は麻や綿のズック靴で、古くなると水が滲みた。

 食糧は半自給自足だった。
 隆の住む千足せんぞく村では、たいていの家が麦や米の主食、蕎麦そばや粟、トウモロコシなどの雑穀あるいは野菜類は自前だった。味噌や醤油も自家製、酒(ドブロク)も広く醸造され、もはや「密造酒」ではなくなっていた、と聞いた。

 記録によると、隆が生まれる1年前、当時の池田隼人大蔵大臣が財政難対策として「低所得者は麦、高所得者はコメを食う方向に持って行きたい」などと発言したことになっている。大問題になったらしい。麦は貧乏の象徴、とされていたのである。

 I街道の奥地・I地方は米作に適していなかった。このため「病気にならないとコメを食べさせてもらえない」などということが、まことしやかにささやかれていた。「都市伝説」ならぬ「田舎伝説」である。
 コメはめったに拝むことがなかったのだろう。いまわの際に、枕元で「ほら、これがコメじゃ」とコメを入れた竹筒を振ってやり、冥途めいどの土産にした、などという笑えない話もある。

 隆が小学校にあがってからでも「貧乏人は麦を食え」という言葉はリアリティを持っていた。
 普段は麦飯、コメが食べられるのは盆・正月・祭りの日くらい、という時代が長く続いた。やがて、押し麦にコメを混ぜるようになった。弁当に押し麦の量が多いと、体で隠しながら食べている光景もよく目にしたものだった。

 §2 目撃者

 栄養状態も悪かった。空腹を満たすことが第一であり、栄養バランスなどは二の次だった。
 隆が小学校6年の時だった。小学校で肝油ドロップが配布された。学童の栄養補給を目指したものだった。
 隆たちは思いがけないプレゼントに歓声を上げた。

 その日、洋一の母・富江は子供たちの弁当を作るのが遅くなり、先に妹の和子を登校させた。
 洋一が和子に弁当を届けるため教室に行くと、まだ音楽の授業から帰っていなかった。教室は森閑としていた。
 洋一が何気なく教室を見渡すと、教卓に段ボールの箱が置いてあった。中に小さな丸い缶が並んでいた。

 初めて目にするものだった。洋一は手に取った。何かが入っている。振ってみると、カランカランと乾いた音を立てた。
 しばらく眺めていると、和子たちが音楽教室から帰ってきた。洋一は和子に弁当を渡して、教室に戻った。

 ホームルームが終わると、洋一は担任に生徒指導室まで連れて行かれた。
「なんで居残りになったか、分かるやろ」
 担任は訳の分からないことを言った。
 洋一は最近おとなしくしていた。生徒指導室で遅くまで問い詰められたり、殴られたりするようなことはしていなかった。
 洋一は首を傾げた。

「お前。6年生のクラスに行ったやろ。何しに行った?」
 洋一は、和子に弁当を届けに行った、と答えた。
「それだけやないやろ。正直に言うてみ。肝油ドロップ、食うたやろ。お前がドロップの缶もっとるところ、見られとるんや」
 担任は洋一のおでこを小突いた。
「まあ、今日はええわ。帰れ。6年の先生とも相談しとくわ」

 §3 初体験

「お兄ちゃん。ほんまに肝油ドロップ食べたの?」
 家に帰ると、和子も同じことを言った。
 和子は、洋一が昼間見た缶を持っていた。小学生全員に配られたらしい。

 クラス全員が順に、肝油ドロップの缶を取りに行った。午後の授業が始まり、ある子が先生に訴えた。
「ボクのドロップ、誰かが食うてました」

 担任はみんなに問いただした。みんな、顔を横に振った。
「和ちゃんのお兄ちゃんが教室にいました。ドロップの缶もってるところ、ボク見ました」
 ほかにも目撃者がいた。

 和子の話を聞き、洋一は怒りが込み上げてきた。
「お兄ちゃん、やってへんで。お前、殴られるぞ」
 洋一は家を出た。隆と修司に会いたくなった。

 隆は洋一を疑っていなかった。
「あの話やろ。おかしいよなあ。だけど、洋ちゃん、なんで缶もってたの?」
 隆も音楽教室から帰り、確かに、洋一がドロップの缶を持っていたところを見ていた。
「釣りのエサ入れに、ちょうどええかなと思うたんや」

 洋一は生徒指導室で、一方的に犯人扱いされたことを話した。
「小学校と中学校が同じところにある学校で、小学生にだけあんなの配ったら、中学生やって欲しくなるよなあ」
 隆が言うと、修司も同じ意見のようだった。

「中学生がやったのか。だけど、和子の教室に誰もおらんようになったのは、4時間目だけやろ。授業中に抜け出して、和子の教室に行くなんて難しいで」
 洋一は考え込んでいる。
 隆は肝油ドロップを1個ずつ、洋一と修司にやった。
「へえ。こんな味やったのか。うまいなあ」
 洋一と修司は顔を見合わせた。
「そうやろ。和ちゃんにも、もらいな」

 §4 ボンネットバス

 隆は洋一と、勲叔父さんの家に向かった。
 途中、隆の推理を話した。
「ほんまに、4時間目に教室、出たものはおらんかった?」
 洋一はうんざりした様子だった。
「便所に行ったのが一人おったくらいやって。あいつは腸が弱いから、めずらしいことやないで」
 隆は、痩せて青白い顔をした博文が思い当たった。

「おっちゃん。肝油ドロップのような飴、町に売ってへん?」
 隆が訊いた。
「あるけど、味は全然違うで。なあ、修司」
 勲叔父さんが修司を見ると、修司がうなずいた。

 洋一たちのクラスメイト・博文は、中学生にあがって父親を亡くした。
 博文の父親は商店街の酒店でよく飲んでいた。隆たちが下校する時刻には酔って大声を張り上げ、ほかの客ともめ事を起こしていた。たまに店の前で寝ていることもあった。博文の母親はそのたびに、引きずるようにして父親を連れ帰っていた。

 文房具も買ってもらえないのか、走ると、短い鉛筆が筆箱でカラカラ音を立てていた。消しゴムは炊いた大豆のようだった。博文が昼休みに校庭に出てくるのは、弁当を持ってきてないからだ、と子供たちは話していた。

 博文の父親の死因はがんだった。
 満州(中国東北部)出征から帰ってしばらくして、健康を害した。回復はしたものの、常に何かに怯え、酒が入るとブレーキが利かなくなった。博文の母親が幸せな結婚生活を送ったのは、復員後、博文が生まれるまでの5年間だけだった。

「博文。肝油ドロップ、食うか?」
 洋一はさり気なく缶を差し出した。
 一個、口に運び、博文は顔をしかめた。博文は下を向いたままになった。何か言おうとするのを、隆がさえぎった。
「これ、ボクの肝油ドロップ、食べかけやけど、あげるわ」

 博文と母親は引っ越した。
 隆と洋一と修司は、バス停に見送りに行った。
 満員の乗客を乗せ、I街道をボンネットバスがゆっさゆっさと近づいてきた。
 いつまでも乗ろうとしない博文を、3人でバスに押し込んだ。

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