サイン本

 私は字も絵も下手である。手先は器用なつもりだが、リンクはしていないみたいである。
 初めは大工さんになりたかった。中学3年の担任の説得で、取りあえず高校普通科に進学した。
 高2までは大学の建築科をめざしていた。クラブ活動はコーラス部だった。たまたま、美術の教員に建築士志望であることを話したところ
「そりゃあ、美術やっとけよ」
 と、言われた。
 芸術の選択科目は音楽を選んでいたし、私の建築への関心はこの一言で冷めてしまった。
 それくらい、絵は苦手だった。字も似たり寄ったりだった。

 ◇苦行
 目を悪くして、悪筆に拍車がかかった。
 封筒に宛て名書きし、嫌になって、破り捨てることも実はある。精神衛生のためにも、努めて、パソコンで宛て名も印刷することにしている。
 これで安心し切っていたところ、災難が降って湧いた。
 小説を出版し、多くの方から賛辞をいただいた。その後が生き地獄だった。
「サインをしてください」
 と、言うのである。
 やはり恥ずかしかった。しかし、これだけは破り捨てるわけにいかない。

 ◇順序
 孫娘が中学に進み、読書の時間に私の著書を読んでいる、という。祖父として、最高の喜びである。
 影響を受けたのか
「大きくなったら、ジィジのように、パソコン買って、小説書くんだ」
 と、言うようになった。
 物事には順序がある。小説を書くのなら、パソコンより先に、サインの練習をしておくことが肝要だ。
 ただ、滅多なことは言えない。私が建築士になることを諦めたように、孫娘が小説を投げ出さないか心配が残る。
(美術の教員の助言が当を得たものか、建築士からうかがいたいものだ。建築士には美術のセンスがある方が多いとは思うが、逆は必ずしも真ならず、ではないか。これから進路を考える若者のために、言わずもがなの一言)  





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