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忘られぬ食べ物ふたつ

 

 飽食の時代になり、多くの人々は食べ物の有難みを感じなくなっている。おそらく、食事で感動を味わうことなど、まれになっているだろう。

 ☆ご馳走

 私には忘れられない食べ物がある。
 京都の大学に、高校の先輩が進学していた。先輩を訪ねると、食事に連れて行ってくれた。広くはない、賑やかな店だった。先輩は座るなり、注文した。
「コーテル リャンガー」
 やがて、コーテルとおぼしきものが出てきた。
 四国の山奥で育ったが、高校は仮にも県庁所在地にあった。徳島の中心部から出てきた私にも、初めて見るものだった。

 ☆言葉の壁

 先輩が小皿に醤油や謎の液体を注ぎ、後は箸をつけるだけという状況になった。先輩に倣(なら)い、コーテルを口に運んだ。感動の一言だった。
 もともと、先輩を尊敬していた。
「こんなおいしいものを食し、なおかつ難しい外国語で注文している!」
 先輩がさらに高みに達している、と実感せざるを得なかった。
 無性にコーテルを食べたくなることがあった。しかし、私は外国語が出来ない。言葉の壁が立ちはだかっていた。

 ☆サイフォン炊飯

 大学の第2外国語はフランス語を選択した。麻雀はしなかった。もしやっていれば、リャンガーが「2つ」であることは容易に想像がついただろう。
 コーテルが何なのかは、社会人になり、現物を前にして判明した。餃子だった。
 麻雀をせずに何に打ち込んでいたかというと、ワンダーフォーゲルをやっていた。ある時、金欠になった。リュックの底に米と固形燃料があったので、下宿でご飯を炊いた。洗面場に飯盒(はんごう)を出していて「部屋で炊事はしないでください」と、大家さんに貼り紙をされた。
「飯盒がだめなら」
 と、こっそりサイフォンでご飯を炊いた。空きっ腹を抱え、米が刻々と変化していく様子を観察していた。

 ☆肉まんの皮

「さあ、食べよう!」
 食器を準備していると、非情にもサイフォンはパシッと音を立てた。
 万策尽き、旧友らにSOSを送った。
 ひとりは「悪いなあ。ボクも、電車賃ないんよ」ということだった。もっとも、彼は賄い付きの下宿なので、餓死の心配はなかった。
 近くに住む、もうひとりが駆けつけてくれた。肉まんの包みを持っていた。奇妙なことに皮が剝がれている。彼は申し訳なさそうに、言った。
「ごめんな。途中で落としてしもうた。ボクも腹が減っとったから、外っ側は食べておいた」
 学生が貧しい時代だった。
 あのコーテルも、もしかして後輩のために、先輩が大奮発してくれたのでは。あるいは、あの落ち着きようからして、店でバイトをやっていたのかも。そんなことがふと頭をよぎる。


 

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