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はじめてのおつかい(中国青空市場編)

 「はじめてのおつかい」――、もうね、子供の頑張りがかわいすぎ。どんな人と一緒でも、はじめてのおつかいがたまたま放送中なら、トランプのジョーカーのようにこれを出しとけばとりあえずOK、誰にでもお勧めできる安定万能のコンテンツ。

 そういえば僕にも中国に住み始めたときに、「はじめてのおつかい」があったなあと思い出した。特に記憶に残っているのは市場への買い物。

 飯を食うには食材が必要。外食だけでは栄養が偏りがちで、数日から数か月程度の旅行ならいざ知らず、しっかり腰を下ろしてご飯を食べるなら、野菜分や豆類多めのヘルシーな自炊が必要になる。んでそのためには野菜を自ら調達する必要がある。

 外食で食べられるボッチ飯はものすごく書きたいテーマだけど、その話はまたいずれ。

 僕が中国の雲南省昆明市に居つきはじめたのは2002年。昆明にスーパーはカルフールと、ウォルマートと、好又多(ハオヨード―)という3つのスーパーチェーンがあって。あと地元限定のスーパーもいくつかあった。2020年現在と比べてスーパーの密度は半分くらいになっているのか、スーパーに行くのは結構大変で、どこのスーパーへ行くにもバスに乗って3~5駅先で降りる必要があった。スーパーに買い物をする際は、調味料とか日用品とかそれなりにまとめ買いしちゃう。一方僕自身は昆明市で何回か居住地を変えたけど、一番近いのはスーパーよりも(青空)市場でちょっと野菜を買うのには市場がいい。

 なんたって市場はスーパーより安い。最近では野菜や肉が安く買える最新ネットサービス「社区団購(大規模マンション住民向け生鮮まとめ買いECサービス)」が出てきているけどそれより安い。なにせ都市の周辺の農民ができた農作物を直売しに来るんだから、実際のところ中間マージンが発生せず一番安い価格で買うことができる。中国人はだいぶ所得があがったけれど、食料品も合わせて値上げしているのが中国。昔も今も特に市場で買った経験がある世代は、皆家計を考慮して市場で買い物をする。

 だから多くの人にとっていまだに青空市場が大事で人気で。青空市場はスーパーよりもずっと身近で、昔はなおさらのこと大通りからちょっと入ると路上で座り込んで野菜を売ってる人がいた。沿岸部の都市はいくらと値段を出すところもあるけど昆明の市場なんかは、ただ野菜の山を地面に置くだけで値札なんてなくて、丁々発止で交渉して買っていた。

 昔は人々も性根が悪くて、相手が相場を知らないとわかるとふっかけてきた。例えば日本でいうところの「白菜はひとつ300円」の相場を覚えてないと、時に相場の2倍3倍もの値段で売りつけてくる。相場は覚えて一人前。んで、知人友人の中国人も容赦ないから、「山谷、またそんな高い値段で野菜を買わされたのか」と煽られしょげる。根性なしで「次はちゃんと買う!」と思うわけじゃないけど、面倒くさがりで近所に市場があるもんだから、なんとなく買えるようになってしまった。

 当時の中国は今よりも素朴というか、「騙すのが当たり前。騙されるほうが悪い」という現場に遭遇するのが当たり前で。鉄道駅を降り経ったらぼったくりホテル、ぼったくりツアーの呼び込みがここぞとばかりに来て360度やかましく声をかけてきた。僕は身なりが中国人でなかったから、おばちゃんがチングリッシュで「チープ、グッド、ホテル、ルック!」とか言ってきた。その当時の名残が上海の歩行者天国「南京路」で「お兄さん?ちんちんマッサージ?」と声をかけてくる嬢。

 青空市場の話に戻すと。

 住宅地の道路にある農民はマットを広げ、ある農民は運動会用のテントのようなものを広げてテントにして収穫した野菜をもってきて販売する。収穫したものを売るのだから、ある農民はにんじんとジャガイモだけを売るといった具合に、その日収穫したばかりの数種類の野菜だけを売っている。野菜だけでなく、豆腐や豆乳を売ってる屋台もある。んでこの豆腐屋さんが作った新鮮豆乳が美味くて、よく買い物がてら一服する。

 だいたいいつもの定位置にいつものおばちゃんがいて、同じ野菜を売ってることが多いんだけど、でも結構な頻度で定位置のおばちゃんがいなかったりするのが悩ましい。ともかく1回の生鮮の買い物で欲しい野菜を買うために、団地の道路に広がる野菜売りを何店何十店もめぐる必要がある。

 青空市場の広さだが、団地の棟と棟の間の空間に車が通れないほど農家のおじちゃんおばちゃんがどわーっと並べて、そこに近所の中高年がたくさん来るもんだからアジアンカオスで。抱っこ紐で子供を抱っこしながら買い物する人とか、犬を連れて買い物をする人もいる。生肉が売られているのに犬は食いつきにいこうとせずご主人についていくのだからお行儀はよし。

 ともかく都市内に巨大な市場が点々とある。日本のスーパーと比べても中国のオシャンティなスーパーと比べても、量も種類もものすごくて、考えてみればこれが都市に広がる無数の中国の家庭や個人食堂に食材を供給してるんだなあと。

 近所の川はそれこそ昔はかなり臭いがキツいドブ川だけど、そこでとれた野菜が嫌とか言ってられないし、言ってたら昔なんか食べるものはなかった。ようやっと中国全土に展開するアリババのスーパー盒馬などが本格的に安全野菜に取り組んだけど、それまではもうほとんど安全野菜を扱ってる店はなかったわけで。

 買い物の交渉術だけど、ひとりの農家のおばちゃんに「あのタマネギと、ドクダミと、パクチーをください」といって済むわけではない。路上で欲しい野菜を広げている農家のおばちゃんおじちゃんを見つけて値段交渉をする。たとえば気になる状態のいい野菜を握って「これいくらですか?」ときけば「(500g)3元」とかいってくれる。あるいは「10元分いちごをください」と言えばその分だけおばちゃんはいちごをとって測ってくれる。あんまり少ない量を買おうとすると変な人扱いされる、というかされた(はじめてのおつかい)。野菜の種類が多かったから、単語を全て覚えるということはなかったな。

 また豆腐屋台や肉屋台だったら「この肉をひとかたまりちょうだい」とか「この肉の半分だけくれ」とか指差して肉や豆腐の塊を切ってもらってとってもらって測ってもらう。パッケージされたものでなくて、大きな塊を農民がとって切って小さな塊にして測るんですわ。

 測り方だけど、最近はデジタル式も増えたけど、昔は分銅式の秤を使う農民が多くて、さっと欲しい量を測ってくれる。でも秤に爆速で商品を乗っけて、爆速で分銅を動かして戻して、「ハイ、いくら!」というもんだからちょっとインチキしてるんじゃないかなあと毎回感じてしまう。で、端数を調整するように、買おうとしたねぎが500gに微妙に届いてなかったり10元分買おうとしたいちごが10元分に届いてなかったりするときは、ちょっとだけ「おまけにあげるよ」と余計にくれたりして、ちょっと得したなとほっこりしてその取引に満足してしまう。で、後になって多分中国語もネイティブじゃないし余計に取られてるんだろうなあなんて思い返す。

 言葉がネイティブじゃないからぼったくられるというのは言い訳のひとつで、たぶん金の扱い方も中国人じゃないから騙しやすい対象なのかなあとも思う。僕は財布にきちっと札を入れる習慣があるジャパニーズなので、そうしないと落ち着かないんだけど、相手はくしゃくしゃで汚れてくたびれた10元札、1元札、5角札、1角札をポケットやバケツに入れて渡す。どうしてもくたびれたくしゃくしゃの塊を伸ばして札にしてポケットにしまってしまう。

 以前は10元札以下を何枚かポケットに入れて買い物が完了したけれど、近年は高くて、少なくても50元札はもっていかないといけなくなった。物価の上昇を肌で感じる一方、そうはいっても僕は日本からの変わらぬ収入で、時々アンニュイな気持ちになってしまう。

 もっとも今ではキャッシュレス・QRコードでの決済も可能。農民に頼めばQRコードが印刷された紙を出してくれたり、テントにQRコードが印刷された紙がぶらさがっているので、日本でクレカを使うようにいくら使ったかその場で気にしなくなってしまった。結局今に至るまで自分のアイデンティティというか、札をくしゃくしゃで使うことはできずにいる。

 ともかくこうした買い物に中国人は慣れている。ベトナムでもインドでも他国でもやっぱり市場で売っているのを見ると、市場はハイテクが広がった今でも人々にとって市場は生活の大事なスポットだなあと思うと同時に、こうした場はなくなってほしくないし、願望しなくても残り続けると思う。

 たぶん大丈夫だろう。市場の商品を明朗会計デリバリーする動きが出たり、またニュースではたまに「(北京に)バエる市場が登場!」といったニュースが出るなど、市場そのものをなくさず便利に、またバエさせる動きになっているから安心している。中国は何時気分転換するかわからないのでこわいけれど、あったらあったで安心するしかない。そうやって今を生きるのが中国での生き方だと思ってる。

 こんなに長くしてしまった。次回もこれだけ長いかどうかはわかりません。


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