見出し画像

小平奈緒『Link』信濃毎日新聞社

2018年2月18日、平昌オリンピックのスピード・スケート女子500mで金メダルを獲得した小平奈緒選手が、自ら、子どものころから引退するまでのことを綴ったものである。今までのことを書くことにより、引退後の人生についての決意表明をしたのだと思う。

小学校5年の冬、1998年2月の長野オリンピックをテレビで観戦し、深く感動した少女が、その20年後に金メダルをいかにして獲得したかにについては、だれでも興味があるところである。

通っていた豊平小学校は、白馬村のジャンプ場まで行ってスキージャンプ競技を観戦した。しかし、そこにはあまり興味がなく、自らが行っていたスピードスケートの清水宏保選手(金メダル)や、岡崎朋美選手(銅メダル)のテレビで見た姿に感動し、その空間の雰囲気に心を突き動かされたことは自然なことであろう。

三姉妹の末っ子、幼い頃からスケート靴を履き、小学校高学年でいわゆる頭角を現わしてくる。中学校では、部活と宮田クラブを掛け持ちした。父の運転で1時間半をかけて通っていたというところは、やはり違いを感じる。スケートが大好きな少女であった。

高校は宮田クラブの新谷純夫コーチに指導を受けるため、伊那西高校へ進学し、大学は清水宏保選手を指導した結城匡啓氏の指導を受けるため、信州大学教育学部に進学する。いかに強くなるかを考え、実行している。

大学卒業後は、相澤病院に所属できることなり、引き続き結城匡啓氏の指導を受けることができる。しかし、バンクーバー、ソチの両オリンピックでは、個人種目で思う様な結果を得られなかった。バンクーバーでは、チームパシュートで銀メダルを獲得しているが。

そこで、以前から希望していた海外留学を行う。最初に希望したカナダでは難しいということで、オランダの国内チームに留学することとなった。この留学で、スケート技術が上達したことより、「何をしたいか」すなわち自分の意志を主張できるようになったことが重要であった。

オランダ留学を終えて、固定観念にとらわれず練習を見直すことができるようになり、ここで強くなっている。平昌オリンピックのシーズンになると、練習の成果が現れて手応えがあり、W杯ソルトシティー大会で、1000mの世界新記録を出した。

しかし、金メダルを獲得した後、関心が集まることへのプレッシャーを感じ、また身体のバランスを崩し、連勝もストップする。その中で、台風の被災地へのボランティアに参加する。北京オリンピックは、直前で足首を捻挫し、不本意な結果となった。その後のことは、自己の意志による決断である。「信頼はするが、依存はしない。」

「与えるものは有限、求めるものは無限」という。ある物のありがたさを感じ、大切にし、有意義に最大限活かしていく。本書名の『Link』は人と人とのつながり、想いをつなぐと言う意味と、”スケートリンク”の輪の意味を込めたという。

是非、一読していただきたい書物である。得られるものがあると思う。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?