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三九郎

正月の小正月の行事であるどんど焼き、左義長のことを松本地方では「三九郎」と呼んでいる。胡桃沢勘内『福間三九郎の話』(筑摩書房)によると、かつて松本市などの子どもが配ってくる道祖神のお札に「神主三九郎」と印刷されていた。その「和泉町上ノ丁の福間三九郎」とは、一定の儀式で選ばれ、目隠しされて版木を用いてお札を刷る少年のことであるという。それは、松本のほか、南北安曇だけの話であり、今ではそのようなお札を配る風習はない。

1月8日には、子どもたちが、「松おくれ、松おくれ」の掛け声で町内をリヤカーなどを引いて歩き回り、松飾りや、ダルマを集めて、それを用いて組み立てたものであったが、今では松飾りを持参するように知らせがくる。なお、中心となる柱の木または長い竹は、別途準備する。わら縄や、わらもあるとよい。

昔は、松を集めてから、15日ころまでに組み立てればよいこともあって、子どもたちが主体となって行っていたが、現在は、子どもの数が少なくなったうえ、祝日の成人の日が繰り上がってしまったことから、集めた日に組み立てて点火まで行う必要があり、大人が主体とならないと完成できなくなってしまった。

松本市郊外であれば、田んぼで行うことができるが、松本市街地内では、女鳥羽川等の河川敷や、高校のグラウンド、公園等を借りて行う。消防署の許可も必要である。無病息災をお祈りする行事であるにもかかわらず、○○○対策を口実に中止する場合もあり、かなり減少気味である。少子化もあり、保護者などの負担が大きいのが本当の原因だろう。

火をつけると、松がよく燃える。燃えたあとの残り火で、柳の枝先にだんごをつけた繭玉を焼いて食べる。繭の形をしただんごは、赤や緑の食紅で色をつけるたものもつくる。柳の枝につけただんごは、そのまま焼くのはカラダに悪いと言って、アルミホイルに包んで焼くのが、最近の傾向である。

昔は、三九郎の中に入って遊んだり、町内同士で争いをして壊されないか見張りをしていた時代もあった。また、暗くなってから点火したものでもあった。しかし、今では、午前中の組み立てて、午後3時ころまでには点火するので、夕方までには片付けも終わる。事故防止のためには良いと思う。

この伝統行事が、多少形を変えてでも、いつまでも続くようにしてほしいものである。



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