色を失った瞳

色を失った瞳 vol.1

 受付にはとっかえひっかえ人が訪ねてくる。満面のスマイルで対応していく係員も少し客足が途絶えると、表情を崩して溜息をついた。後ろでデスクワークをしていた新入りらしき青年に持ち場を任せて奥に消えていく。代わりに対応を始めた青年は仕事が分からず、営業スマイルを作れない。客の表情は曇っていく。受付と並列の簡易面談所は最高に居心地が悪かった。

「ねぇ、見て、高三からでも差がつけられるって」

聡士が嬉しそうに笑う。

「へぇ、スピード講座」

「俺、頑張れる気がしてきた」

聡士は純粋な子だ。営業文句もすぐに信じるような子だ。まっすぐ育ってくれた、とも言えるが、親としては少し心配だ。

「遅いね」

聡士が漫画のパンフレットを戻した頃、小太りの男がファイルを抱えてやってきた。

「すいません、お待たせしてます」

目の前にドカンと座ると、男はまず、額の汗をこげ茶のハンカチで拭った。弱く冷房が効いてるはずなのに、その汗を見ると暑いような錯覚がした。 

「ええっと、足をお運び頂きましてありがとうございます。夢進ゼミナールの坂下と申します。えー森野聡士くんですね」

「はい!」

「受験は…初めて?」

「いえ、中学受験をしました」

「なるほど…泉秦学園。ふんふん」

額から流れる汗を目に入れまいと、坂下さんは大きく瞬きをする。鼻息が荒く、沈黙の間、ふんーふんーという音だけが響く。

「お母さん、学校の成績は…」

「国語は得意だと思います!あ、現代文!」

私が聞かれているのに聡士が間髪入れず答える。私に成績の事を語らせるとマイナスなことしか言わないと思ったのだろうか。

「…これまでに模試とかって…」

「学校で一度受けました」

「そしたら次の面接で成績表を見せていただけますか」

「はぁ…」

「あぁ、大丈夫ですよ。おおまかに志望校を決めたくて、その参考に」

「そっか、そうですよね」

聡士の成績は悪すぎはしないがよくもない。学年順位も真ん中より少し下を上がったり下がったり。聡士の希望で大学受験のための予備校はサッカー部を引退してから入ることにしていた。それまでは近所に住む医大生に個人的に頼み、安く家庭教師をやってもらっていたが、成績はあまり伸びなかった。

「あの…高三からって、本当に大丈夫ですかね?」

「ちょっと!」

サッカー部は幸か不幸か、春の地区予選で負け、引退が早まった。そこで引退後すぐの四月の終わり、唯一「高三からの逆転合格」を売りにしていた夢進ゼミナールを選び、入会申し込みに来た。ウェブサイトには聡士と同じような境遇で高三まで予備校に入っていなかった青年が純教大に受かった体験談が乗っていた。満面の笑みの横には「夢進でよかった!」という直筆風の文字が光っていた。純教大といったら誰もが入りたがるトップ中のトップの私立大学。高三から勉強して純教大なんて、そんなうまい話があるだろうかと、少し疑っていた。

「大丈夫です。我々に任せてください。こちらが入塾説明の冊子でして…こちらが一応入塾の際の料金の説明になります」

書類を机いっぱいに並べ強引に話を進める。聡士はすでに冊子を手に取っているが私は気が乗らない。私の怪訝そうな顔に気付いたのか、坂下さんは額の汗をしっかりと拭いながら、

「すみません、少し話が早かったですね」

と苦く笑った。それから、実際のテキストをお持ちしますねと席を立った。

「母さん、そんな疑り深くしないでよ」

「でも、全部鵜呑みにしたら、良くないし」

「そうだけどさ~。動画じゃなくて教室で講義してくれるところ、最近少ないだろー?」

だから選んでらんないんだよーただでさえ俺、スタート遅いんだから。と聡士は私の目の前に料金表をずらす。一教科週一回、月四回で基本料金一万一千円。他より少し強気だ。その代わり、月に何度かオプションで無料講座がある。ラインナップもなかなか充実していた。

「すいません、お待たせしています」

坂下さんが戻ってきて机にテキストを何冊か並べた。また同じ言葉から入ったから、マニュアルか癖か。

「これが国語、で、英語、数学、世界史、日本史」

表紙は案外シンプルなデザイン。白黒基調に、教科名はそれぞれ決められた色で書かれている。上の方には新高三の文字と夢進ゼミナールのロゴ。パラパラとめくると文字がびっしりと書かれている。聡士が小さくうええと言った。

「責任取りなさいよ!!!責任者呼びなさい!!!」

突然受付から激しい怒鳴り声が聞こえた。

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