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マインドフルネスのすゝめ

モーニングルーティンというものにとても憧れていた私が、田舎の山奥にて、朝の心地よい習慣とそれによって身につけてしまった稀なスキルの話をしよう。

田舎に引っ越して半月も経っていないうちに、私は小さな畑を始めた。自給自足とまではいかないが、体を動かして自分が食べるための野菜を育てるのは、何とも言えない充足感と安心感に満たされる。

朝6時には畑に向かい、一日の終わりに再び畑に立つ生活が始まった。畑でマインドフルネスリトリートである。

畑は、ムツさんの家からほど近い。彼が軽トラで出かけるときには、必ず私の畑が遠目にチェックできる具合だ。

本業・大工のムツさんは、60代中盤で山奥に一人暮らし。ここのあたりでは腕の利く猟師らしい。ひょんなことから狩猟を始めた私は、知り合いの紹介でムツさんに教えを乞うている。

夏に入って19時まで陽がのびると、夕飯を終えたムツさんが散歩がてら畑に来るようになった。私の作業を眺めて、少し会話をして帰っていく。

「今日は何しゆうがで?」(今日は何するの?)

「今日は病院行っちょった」(今日は病院行ってた)

「今日の仕事は暑うて暑うて」

あまりに毎朝、毎夕来るもんだから、こちらが聞いてない日報に「知らんがな!」と心の中で突っ込まざるを得ない。

それから、イノシシの捕獲を知らせる朝5時半からの電話は日常茶飯となり、休日に何してるか電話がかかることもしばしば。お前は誰だ。恋人か。違う。

畑で鳴らしていたスピーカーをヘッドフォンに変えてみた。外界との遮断を意味するオーディオ機器は、街では効果テキメンだ。店員だって少し離れてわたしの様子を伺う。しかし、60代の男相手に、「察してくれ」という訴えははかなく散った。

ムツさんの軽トラのタイヤは夏用の山仕様だ。舗装されていない山道を登るにはうってつけのそのタイヤは、普通のタイヤよりわずかに低い走行音を鳴らして走る。

いつのまにか、土をいじりながら、そのわずかに低い走行音を聞き分ける能力が備わった。その音が、遠くから畑めがけて来るまでの猶予で、わたしは心に結界を張って感情の動きを止めるのである。

その精度と強度は日に日に上がってゆく。家にいるときでさえ、その能力が起動するまでには。

私の当時のアパートは、ムツさんが家と猟場を行き来する道沿いにあった。つまり幸か不幸か、家にいながらムツさんの車の往来を認識できてしまうのだ。特殊能力は明け方の寝ている間にも起動する。朝5時半に目が覚める時は、たいていムツさんの車の音だった。

畑にいるあいだはもちろん、耳をそばだててしまうので、ムツさんが仕事でいない日を選んで畑に行くようになった。もはやマインドがムツさんでフルネスだ。不本意である。

野菜や土の声は一向に聞けるようにならないのに、軽トラの走行音だけは正確に聞き分けられてしまってどうする。

タイヤとの冷戦の終結は、空気がしんと冷える初冬におとずれた。気づけば、目覚まし時計の設定時間までぐっすり寝れるようになっていた。別に慣れたわけではない。鼓膜に刷り込まれたあの走行音がきこえないのだ。

どうやら、狩猟で山道を走行中にタイヤをパンクさせ、新しいタイヤに入れ替えたらしかった。

冷戦は終結したものの、いや、したがゆえに、畑で特殊能力を使えなくなってしまった。これでは羽をもぎ取られた鳥ではないか。

畑からだんだん足が遠のいていった。不思議なことに、畑に行かなくなると途端に季節は走り去って行くようだ。

さらば、畑でマインドフルネスリトリート。

野菜を収穫した初めての春。じゃがいもにラディッシュにパクチーに小松菜にチンゲンサイ。自分で植えた種が、生きる糧になるのだ。尊くて味わい深い。

2度目の春。野菜よりも雑草が元気な畑でとれた収穫といえば、こんな語りを紡いでしまうほどの経験くらいだろうか。

いま、3度目の春が過ぎ去ろうとしている。誰からも見えない静かな畑で、まだ青くて小さな野菜が夏の到来を今か今かと待ち望んでいる。


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