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「有益な情報」中毒だった私
スマホを開けば、料理のレシピからお金の増やし方、最新のファッションまで、ありとあらゆる「有益な情報」が一瞬で手に入る時代である。
しかも、文字だけでなく、音声や動画でも学べるため、通勤中や家事の合間など、いつでもどこでも「有益な情報」にアクセスできる。
しかし、これが実にやっかいな状況なのだ。
「有益な情報」を得ると、脳内では「ドーパミン」という快楽物質が分泌される。これがクセモノで、もっともっと有益な情報を!と、どんどんのめり込んでしまうことになる。
私もまさにその罠にハマり、「有益な情報」中毒になっていた。
娘と公園で遊ぶ時も、片耳にはAirPodsを装着し、Voicyで自己啓発系の音声配信を聞きながら、娘との時間も「自己成長の時間」に変えていた。
仕事から帰って家族との団欒を楽しむ時間ですら、YouTube大学を「勉強」と称して観まくっていた。…子供たちにもYouTubeを見せながら。
でも、後から思い返して考えると、「自己成長の時間」と思っていた行為は、ただドーパミンの快楽に酔っていただけのかもしれない。
その証拠に、いくら有益な情報を詰め込んでも、なぜか自信はつかないし、人生が好転することもほとんどなかった。
ある日、ふと気づいたのだ。
「私は、ただの中毒になってるんじゃないか?」と。
最初はSNSのせいだと思ってやめたが、状況は変わらない。SNS以外にも、スマホには有益な情報が溢れていた。
iPhoneとAirPodsの最強コンビは、私を常に「有益な情報」の世界へ誘う。YouTube、Voicy、オーディブル…これらのアプリは、私の脳に無限の情報を注ぎ込み続ける。
「有益な情報を得ることの何が悪いのか?」と思うかもしれない。
しかし、
有益な情報にばかり気を取られていると、目の前に広がる現実世界の小さな喜び、ささやかな変化、かけがえのない温もりが、霞んでしまうのだ。
私が耳を傾けるべきなのは、中田敦彦でも、両学長でも、尾石晴でも、ちきりんでもなく、子供たち・妻・友人たちの声だったのだ!
それに気づいて、スマホから情報を垂れ流してくるアプリを削除してみた。すると、心が落ち着き、子供たちと笑い、妻とゆっくり話す時間が戻ってきた。
たまにスマホに手が伸びることがあるが、そんな時は遠くの部屋に置いてくることにしている。
まだ数日だが、確実に脳が休まるのを実感している。
これは、単なるデジタルデトックスとは違う。デジタルデバイスを手放しても、私はすぐに本や漫画に手を伸ばしてしまうタイプなのだ。
私がやめたのは、「有益な情報」を求めること。
ただぼーっとしたり、家事をしたり、家族と話したり、運動したり、ご飯を食べたり、寝たり。
「生産性」とは無縁の生活。しかし、生物である私たちにとって、「生産性」なんて本来関係ないのかもしれない。
生産性から離れることで、やすらぎと幸福感が溢れてくる。
あなたも「有益な情報」中毒になっていませんか?
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