生きものの記憶
子供の頃からペットショップが嫌いだった。本来それぞれの場所で自由に生きている動物が、狭い檻やゲージの中に閉じ込められ、金銭を介して売買される様が見ていて辛くなる。
動物園もあまり好きではなかった。私が子供の頃、動物園といえば檻に閉じ込められた動物たち、生き生きした姿はなく、子供心にも目が死んでいるようなつまらん姿を見ることが多かった。何よりも動物園はその匂いが好きではなかったし、上野動物園にパンダが来た時など、死ぬほど並ばされて見えたのは、部屋の片隅に座っている後ろ姿だけで、殺気立つ人混みの酷さに「二度と行くものか」と心に誓ったものである。
しかし子供というやつはどう言うわけかペットを飼いたがる。私も例外ではなく、当時仲良くしていた友人から十姉妹を分けてもらい飼うことにした。
この時のことを日記に書いて母親に失笑されたことで作文が大嫌いになったのは苦い思い出だ。「お前は文才がないねぇ」と言われて、返す言葉もなくその後十数年にわたって苦手意識を持つに至った。全く親の一言というのは子供にとって決定的に大きな影響を与えるものである。今こうしてnoteに文章を書いて公開する日が来るとは、夢にも思わなかった。どうやって苦手な作文を克服したかについてはまた別の機会に、もし覚えていたら書くかもしれない。ま、きっと忘れることになるだろう…
で、十姉妹のその後であるが悲劇的な運命を辿ることとなった。
生来の面倒くさがりだった私は、最初の数日間世話をしただけで飽きてしまい、ろくに世話もせず遊びに行ってばかり。たまに気まぐれに餌をやるくらいで、ふっくら可愛いはずの十姉妹は日を追うごとに痩せ細っていき、目は虚で羽は抜け落ち、耳障りな鳴き声をたてて狭い鳥籠の中でバタバタしていた。
そんなある日のこと。私が餌箱を取り替えるために、鳥籠の扉を開けた瞬間、扉の隙間からスルリと抜け、外へ飛び出していった。
人間だったら間違いなく、去り際に私に向かって唾を吐き、中指を立ててこう言うだろう。
「地獄に堕ちな、クソ野郎!」
だが、十姉妹はこちらを振り返ることもなく、一目散に羽ばたいていったのだった。ろくに餌も与えられない環境にも関わらず、よくもまぁ、そんな体力が残っていたなと驚くぐらい、あっという間に大空へ消えていった。
幼い私は、その時、全てを悟った。命の大切さはわかるが、私は遊びたい気持ちを何よりも優先する冷酷な人間なのだ。
そして心に誓ったのだ。今後一切ペットは飼わないと。
小鳥はもちろん、犬、猫、ハムスター、金魚などなど… 一時の可愛さに「絶対ちゃんと面倒をみる!」と心に誓っても、飽き性の私はすぐに面倒になって、世話をしなくなるに違いない。他のことなら三日坊主もしょうがないと言えても、命を粗末にするようなことはしたくない。
と、いうわけで、私はその後数十年、ペットを飼うことなく生きてきた。長い独り暮らしの頃など、あまりにも殺風景な部屋で猫でも飼ってやろうか考えることは何度かあったが、その度に、あの大空へ羽ばたいていった十姉妹のことを思い出し、軽々しく命を扱うことのないよう自分を禁めてきた。
しかし、時は移ろい時代は変わり、私もすっかり初老をこえて中老真っ只中となり、ついに3年前、その禁を破る日が来てしまったのである。
というか、正確にはウチのカミさんがどうしても飼うと言ってきかないもんだから、渋々承諾した、といった感じで我が家にやってきたのがコイツだ!
ちなみに私は大の爬虫類嫌いである。
なぜ、どうしてこうなってしまったのか?
人生とは不思議なものだとつくづく思う、今日この頃である。
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