権威と権力の分離

私見であるが、権威と権力は分離されているのが究極である。

一般に政府権力と権威の関係を考えれば、権力の強さが権威をもたらし、権威を維持するために権力が振るわれるという状況はさして珍しくなく、歴史上の封建国家は当然として、近代以降も独裁国家に限らずアメリカなどの現代民主制国家でも見られる現象である。

しかし、この関係性では権威と権力が両輪となって際限なき強権化を生じる可能性があり、結果として政府の権威の為に国民を蔑ろにし、国家を傾ける事にもなりかねない。

かといって権威を排除すればいいかといえばそうではない。
そも権威は何らかの優れた性質・功績を持つ者に対して自然に生じてしまうものであり、恣意的に排除しようとすれば古代の陶片追放になりかねない。

また政府が安定して運営されるのには権威が必要である。
例えば、中世の人間を思い起こしてみよう、政府に彼らを従えられるほどの権威が無い場合、彼らは政府の命令に服すよりも武器を取る方を選びかねない。

暴動やテロを権力だけで鎮めようとすれば、結局、恐怖で支配する強権政治にならざるをえないのであって、なんらかの権威無くして国家規模の集団をまとめる事は困難である。

さらに恐怖も権威の一種と考えれば、抑止が存在せず実力行使の制裁のみがあるという、まさに暴力と血のみが秩序をもたらす凄惨な状況に陥ることになってしまう。

実際、権威を否定したはずのスターリンや毛沢東、ホーチミンなどの共産主義者も個人崇拝や民族主義を喚起して権威的正当性の担保に走っていた。

ここまでをまとめると、「国家には権威が必要不可欠であるが、権威と権力は互いを際限なく強大化させる可能性があり、権威の為にふるわれる権力で国民が虐げられる恐れがある」という事である。

では、どうすればよいか、それは権威の為に権力が振るわれるのでも、権力の強力さによって権威がもたらされるのでもなく、権力が国民に益するが故に権威が生じる状態でなければならない。

つまり、権威の為に権力が用いられず、権力によって権威が増大しない「権威と権力」の分離が至善という事になる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?