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全体主義と独裁と専制の違い

全体主義と独裁と専制は同じように見られるがちょっと違う。

1.全体主義

全体主義というのは、個人主義の反対であり、実は古代以来どこでも行われてきた政治現象である。

全体主義は権威主義の極端な形ともいわれるが、全体主義だからといって民主的でないとはいえず、古代ギリシャのポリスにおける民主制のように全体主義的・権威主義的な民主政もありうる。

陶片追放やソクラテスが服毒死したのは古代民主制の全体主義的側面によるものである。

一方で個人主義を突き詰めれば無政府主義に行き着く、無政府主義の良くない部分は色々あるが、顕著な物として、例外はあっても人民全体としては傷病や外敵に対する保護がおろそかにならざるを得ないというものがある。

個を重視しすぎれば人間相互の関係性は強制力を失い、万民の万民に対する闘争に陥らないとも限らない。

全体主義は古代より人間集団に秩序をもたらすために必要とされたものだったのである。

行き過ぎた全体主義が悪政をもたらすのと同じように行き過ぎた個人主義にも同じような事が言え、これに関しては程度の問題といえるだろう。


2、独裁

独裁とは施政者の形態を指す。施政者が一人かその絶対的権力の下に政治が行われる場合が独裁である。

最良の政体はプラトンのいう所の哲人王のような英明清廉な君主による善良な独裁制というのはよくいわれるところであるが、ルソーのいうように、その権力に歯止めの無い独裁は短期的には善政にもなるが中長期的にみれば必ず暴政を生じる。

カリギュラしかり、共産党しかり、ムガベ大統領しかりである。

しかし、独裁嫌悪症のルソーも認めている通り、独裁がもたらす強力な行政権は危機においては強力な武器となる。

このため、ルソーは共和制を守るための時限性の独裁(古代ローマにける独裁官相当)を容認している。

以上、二つには悪くない面もあったが、最後の専制については悪い所しかない。


3.専制


専制とはエドマンド・バークがいうところの被統治者の習俗や意見と乖離した統治である。

習俗とはつまり、人々の営みやそれによって培われた自身の文化と価値観である。

要は施政者の好き勝手な意思で押しつけの統治を行い、人々が元々持っていた生活や価値観が踏みにじられれば、人々に物理的な不幸と精神的な不満がもたらされるということである。

全体主義や独裁によって生じる「悪政」とは大体において「専制」である。

近現代にはハイエクら保守主義的な自由主義陣営が共産主義陣営と抗争した結果、保守主義は全体主義を主敵にしてきたように見えるが、実は保守主義本来の敵はこの「専制」なのである。

バークの言う通り、専制は独裁でなくとも起こり、もちろん全体主義でなくとも起こる。

コロナ禍や様々な問題が山積する中、日本が近い未来に途上国に没落する事も危惧されているが、その根本原因には現代日本が完全に「専制」に陥ってしまっている事がある。

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日本人の習俗については「大和心とは何か」
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