見出し画像

コロンブスMVと思考停止の話

コロンブスのMVの話題でXに以下のような投稿がされた。

なんか余裕かましてるけど、コロンブスが日本列島に到達してたら虐殺されて乗っ取られてたの日本と日本人の先祖だよ

炎上してるので伏せる

この投稿に対し、とくに歴史クラスタから非常に強い反発があった。

歴史的に考えれば当時の航路開拓の状況的にコロンブスが日本に到達するのは不可能、また当時は戦国時代の初め辺り、史上コロンブスが率いた最大戦力が万全な補給を受けて日本に来襲しても戦力的に日本を乗っ取るのは不可能、当時の西欧諸国が国家がかりで掛かってきても無理ゲーである。

なので完全に的はずれな事を言っているようにみえるが、もしコロンブスが日本に到達すれば※虐殺が起こったのはまず間違いない

※ここでの虐殺はMark Leveneの定義「集団が非戦闘員を酷く・無闇に殺害する」の意。

The Massacre in History,1999

コロンブスの報告を聞いたイザベル1世がドン引きしたように、コロンブスは当時の水準からしても人種蔑視が凄まじいヤバいヤツだった。

どれくらいすごいかと言うと大西洋を渡り初めて上陸した島で原住民に歓待を受けた後に虐殺略奪を行ったくらいである。

ピサロなど後に同じような事をする人間はいたが、人種蔑視がそこまで酷く一般的でない時代初手でコレである。

コロンブスが個人的な資質として強力な「人種蔑視」を持っており、凶業に及んだ原因にそれがある事は否定できないだろう。

たしかに中南米での原住民酷使や黒人奴隷といった有色人種への差別が本格化するのはコロンブスより後の話であるが、一連の流れの始点となった点で無視できない。

ここで初めのXの投稿に戻るが、この投稿には歴史的な話とコロンブスの人種蔑視(と以降の人種差別の歴史)の話という2つの側面がある事に気づいてもらえると思う。

先述の通り、歴史的な面で考えれば先の投稿は荒唐無稽な話である。

しかし、人種蔑視の面で見れば先の投稿にも見るべき部分はある。

コロンブスは来れないし、例え来れても逆立ちしたって日本を征服できないであろうが、日本人もコロンブスにとっては人種蔑視の対象であり、虐殺と略奪の対象であることは事実だからだ。


なので、私はある人の「この投稿は歴史的におかしい」という引用リポストに対して、次のように書き込んだのである。

コロンブスは初手虐殺なので、もし新大陸の位置に日本列島があれば沿岸の漁村とかは襲われて壊滅する可能性がある。

反撃でコロンブス側が壊滅する可能性が高いが少なくとも虐殺はされる。

「もし新大陸の位置に日本列島があれば」と書いてあるように、これは仮想の話である。

前述のように、コロンブスはヤバい奴なので、被侵略側に城など戦力的に襲撃をためらわせるものがなければ、上陸地点の漁村などを襲うのはまあ間違いない

戦国時代の初期なので民間の防御体制も高まってはいるが、宣教師の報告などに見られるように戦国日本の庶民は粗末な見かけをしていたため、侮られて西インド諸島人と同様の野蛮扱いを受けることは想像にかたくない。

戦国時代の日本でも全員が戦闘員ではない、コロンブスのやり方を考えると迎撃体制が整わない所に攻撃をかけるため非戦闘員の子供・老人・女性に被害が出ると思われる(虐殺の要件を満たす)。

しかし、初渡海におけるコロンブスの戦力と当時の日本の世情を考慮すれば、殺傷できるのはせいぜい数十人から数百人くらい、漁村の規模によっては村が壊滅する可能性があるが、領主の武士が領民をまとめて組織的に反撃すれば太刀打ちできなくなるだろうし、大名が出てきたらもう成すすべがない。

そもそも中世日本人は一般人でも印地打ちなどの訓練をしていたり武装したりして攻撃力が高いため、それこそ漁民の逆襲だけで壊滅する可能性すらある。

余談だが、中世日本人は何かされない限り何もしない(したらアタオカ扱いされる)が、一度なにかされたら相手か自分が破滅するまで攻撃をやめない。

中世において「舐められたら殺す」は武士の本懐ではなく日本人一般の本懐である。

(ぶっちゃけコロンブスが日本に来てしまったら無事に帰れる可能性のほうが低いとすらいえる)

以上、この投稿の趣旨を述べたが、ようは”コロンブスは人種蔑視の権化で日本人でも構わず殺しちゃうヤベー奴なんだ”という話である。

この投稿は新大陸の位置に日本列島があるという架空の話から始まっているように、現実の「歴史の話」ではなく、コロンブスが日本に来たらどのように振る舞うかというIFの話を通してコロンブスのヤバさ「人種蔑視の話」をしているわけである。

ここからが表題の話になる。

以上の投稿に対し、何故か妙にあたりの強い返信がたくさん来た

中には『漁村が壊滅したくらいで虐殺とか』みたいな用語の認識の違い(虐殺は多数に対するものという別の定義を採用)や西インド諸島と戦国日本における庶民の戦力の違いにまつわるような真っ当なものもあったが、わけのわからないものも来た。

例えば、私に「コロンブスが日本を乗っ取れるか」を尋ねる返信

漁村を襲って反撃で壊滅する可能性が高い」と書いてるのに、強力な軍事力を持った大名が割拠する日本を乗っ取れるわけがない

たしかに引用リポスト元の投稿にはそのような事が書かれているけれど、私の投稿にはそれを否定する文言が記述されているのである。

純粋に文が読めてないという状況に困惑した。

再度述べるが、私の投稿の要旨は『人種蔑視がヤバいコロンブスなら日本の一般人を殺戮したり略奪する』という所にある。

つまり、そこ以外に対する言及は主旨に全然関係ない話なのである。

しかし、なぜ多くの返信が全然関係ない話をしてくるのか(しかも当り強く)、そこで気づいたのが以下の図になる。

ようは、私の「人種蔑視」の話が全て「歴史の話」として理解されてしまった結果、引用リポスト元の投稿と同様の歴史的なデタラメを言っていると思われていたのである。

いや日本が新大陸の位置にある話で歴史的にどうとか意味不明なんだが

先程の「乗っ取れるか」の返信も、私が『デタラメを言っている』という前提があるために『デタラメを言う私はコロンブスが日本を乗っ取れるというデタラメを信じているはず』という風な意識の書き換えが生じた結果と考えられる。

先の『漁村が壊滅したくらいで虐殺とか』を返信した人は、この「歴史の話」と「人種蔑視の話」の説明に対して「漁村なら虐殺できるってそういうことじゃないだろうと思った」と返信してくださったが、これはつまり、この説明を聴くまで、ずっと私の返信内容と引用リポスト元の投稿を混同していたということである。

言うまでもなく私のコロンブスなら虐殺を実行するという話と引用リポスト元の虐殺されて乗っ取られるという話は前提の違う全く別の話。

しかし、私の『実行するけど漁村くらいしか虐殺できない(しかも反撃で壊滅しそう)』を『漁村なら虐殺できる』と誤認し、これによって私は引用リポスト元の投稿が歴史的に正しいと主張していると脳内変換されてしまったのだった。

散々述べた通り、私は初めから歴史の話ではなく、暴虐をもたらすコロンブスの人間性(人種蔑視)の話をしているつもりだったのだが、話の前提をちゃんと提示できていなかったため、このような事態になったといえる。

だがしかし、元投稿を否定する文脈を添えた投稿を見て元投稿の主張を全継承し肯定していると見るのはあまりに飛躍が過ぎる現象である。

これは、その話題が歴史的にデタラメな話題かそうでないかを判別する工程がスルーされ、似たような部分があるもの全てを「歴史的にデタラメ」と見做してしまった「思考停止」の結果だと考えられる。

これは今回のことに限らず由々しき問題だと思う。

相手が何を言ってるか理解しようとするのではなく、思い込みによって相手を定義し、相手はその定義に沿った言行をしていると思い込んでしまうのでは、全く建設的な話ができない。

例えるなら、「AB」という文字列の「A」しか見えてない1さんに2さんが「B」の部分もあると指摘した時、1さんが2さんの主張を「A,B」ではなく「¬A」だと誤解して、えんえんと「A」の証明をしようとしてしまうようなもので、これでは何も始まりすらしない。

正直、このような状況に陥ることは私自身にもかなり多分に思い当たる節があるが、SNSを見れば世上にても、こうした噛み合わない論説が蔓延っているように思える。

視野を広く持って、相手が何を言いたいのかを慮り、なるべく有益な話をしたいと思う。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?