見出し画像

彼の濁りのない世界−デイビッド・ホックニー展−

光という字が好きだ。

ひかる、ひかりと読んで、ペットなのか植物なのか分からないけれど、何かに名付けたい位には好き。ひかちゃんと呼びたい。


宇多田ヒカルの曲にもある、光。

どんなときだってずっと二人で

どんなときだってそばにいるから

の、あの曲。

光だな、と思う。恋人であれ、家族であれ、友だちであれ、大切な人はいつだってピカピカ光っている。


《一人でも一頭でも一匹でも、幸せになれるやつからなればいい。だれのことも待たず、てんでんばらばらに。勝手に輝きはじめてしまえ。おれはその光が見たい。光でいっぱいの人の世が見たい。》


雪舟えまの「幸せになりやがれ」という小説に、この一節はある。

やはり光だ。幸せは光。


光で満ちあふれた世界を描く画家がいる。デイビット・ホックニー。東京都現代美術館の展示を見に行った。


彼の出で立ち(ハンチング帽、メガネ、原色のカーディガン)はそっくりそのまま、彼の描く世界から出てきたかのよう。


世界的な画家、アーティスト、美術史に名が残っているスゴい人、などという彼のことを形容する言葉は置いておいて、私は彼と友だちになりたい。

西洋絵画の歴史の中で最もオーソドックスな油絵という手法で名を馳せ、72歳からiPadでの制作を始め、現在86歳。

いくつになっても新しい技法、手法を取り入れ、濁ることなく自分の表現を探求し続ける無邪気な大天才。だと思う。本当に無邪気なのか知りたいので、やっぱり彼と友だちになりたい。


彼の絵画は濁りがない。iPadの画面が発光しているのと同じように、油絵の背景からも何故か光が透けて見える。

キャンバスに絵の具を重ね続けると、否応なしに濁っていくというのに、彼の描く風景や人物、静物は、まるで彼に描かれて幸せだとでも言っているかのように、全身を発光させているように感じる。それぞれの持つ形や色彩が、存分に美しくいられるような姿形で、ぴたりとキャンバスにおさまっている。


人生において最も大切なものは愛だと、デイビッド・ホックニーは言っている。著名な現代アーティストが言うにはなんのひねりも無い言葉こそ、彼の作品の本質だ。

愛は自分が与えるもの。愛する対象があるから輝ける。幸せになるには自分がピカピカ光らなければ。光でいっぱいの人の世が、デイビッド・ホックニーには見えているのだろう。彼自身が光り、周りを明るく照らしているのだから。


光り、照らし、照らされた事が嬉しくて、自分も光る。

彼は世界中の光をキャッチし、絵画や写真、コラージュや映像に残す。

幸せを感じたその瞬間をゼリーのような透明度で固め、ステンドグラスのような眩さで愛を説く。ウソみたいな、圧倒的な多幸感からしか伝わらないものがある。プールの水面のきらめきも、スプリンクラーの水しぶきも、彼が描くならば幸せにしかならない。それらがどれだけ移ろいやすくとも。


今回の展示で圧倒的だったのは、彼の住むノルマンディーの12ヶ月の風景を、絵巻物のように繋げた大作。

雪が溶けて花が芽吹き、葉が茂り紅葉し散っていく。ただ生きているだけで、世界はこんなに美しいという事をどストレートに伝えてくれる。

人生の晩年に(どうかあと40年位長生きしてほしいけど)こんな作品が作れるなんて、最高じゃん!


今この瞬間の幸せは永遠にはならないけれど、幸せな一瞬一瞬を信じていけたらいいなと思う。


信じるのは勇気がいるけれど、当たり前に信じ続けた最終形態があの作品群ならば、人生捨てたもんじゃないなと思う。濁りのない世界はどこにもないけれど、愛する事で全てが光り輝くって、デイビッド・ホックニーが教えてくれたから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?