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UL(ウルトラライト)と登拝の交差点  ーULハイカーとのコラボからー

ユーチューバーでULハイカーのけいしさんとのコラボ動画を配信しました。


ULハイカーとの接点「熊野古道」

今回のnoteでは、けいしさんとのコラボで印象的だったことと、ULと登拝の素敵な接点についてお話したいと思います。

「山と仏」の活動を始めたとき、いち早く反応してくださったのがけいしさんを始めとするULハイカーの皆さまでした。

その接点は「熊野古道」にありました。

ULハイカーに人気のロングトレイルの一つが熊野古道。
熊野古道は山岳信仰の中で歩かれてきた道です。
熊野古道の起点の一つが、私が修行していた高野山であり、
高野山に至る表参道の「町石道」ととも、世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道に登録されています。

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町石道の終点は高野山の大伽藍(根本大塔)、高野山と熊野三山を結ぶ熊野古道小辺路。共に世界遺産です。


その長い道のりを歩く中で、自然と「山と仏」に触れるからなのでしょうか。
「ULハイカーはみんな、仏教大好きですよ!」という声が、今でも忘れられません。

ULと山岳信仰の交差点

さて今回、けいしさんとコラボ動画を撮影する中で、ULと山岳信仰の交差点だなと思ったことがありました。


それは
「ULは自然と一体になりにいく」という発言でした。


はっとするあまり、一瞬止まってしまうほどでした。(動画見てみてください)
それは、山岳信仰の思想そのものだったからです。

私たち真言宗は、仏教の中でも密教という種類の教えが中心です。
密教とは秘密仏教の略でありますが、どんな教えかを簡単にご紹介することがとても難しいです。
その中で説かれることの一つをご紹介しますと、
「身(身体)・口(言葉)・意(心)の3つの行いによって、仏と一体になる」というものです。
具体的に申し上げると、手に印を結び(合掌も印の一つです)、口に真言を唱え(お経もそうです)、心に仏を念ずる、という行いになります。

ちなみに、この身口意の3つを合わせて「三密」といいます。
昨今の情勢では、別のことを指すようになりました。
僧職系登山男子としては、何ともせつないところです。

「密教」と山岳信仰の考え方

さて、山岳宗教である「修験道」は密教と神道と山岳信仰が一つに融合して日本で成立した宗教です。
修験道の中にも、密教の要素が色濃く残っています。
山伏の皆さんも山の中で印を結び、真言を唱え、一心に仏を念ずるという、山や自然そのものである仏と一体になる修行を行っています。
まさしく、ULの「自然と一体になりにいく」という思想と繋がると思ったのです。

仏教の教えは、しばしば山登りに例えられます。
仏に成ることが山頂だとすると、
ひたすら座禅し、心を無にするというアプローチもあれば、一心に仏の名を唱え続けるというアプローチもあります。
険しいけど最短、なだらかだけど長いというような山の様々なアプローチがあるように、仏へのアプローチも様々にあるのです。
私たちの心や性格が様々であるように、自分の状態や性質によってそれぞれに最適なアプローチがあるのですが、
修験道が密教と結びついたところを考えると、自然と一体になるという中では密教の方法論に相性の良さのようなものがあるのかなぁと思います。

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そこで、一般の方が触れられるものを伝えていきたいと思っています。

もちろん、ですが、
ULハイクや一般登山の中でも「自然と一体になる」感覚というのは存在するものだと思います。
しかし、私たち日本人が継承しているもの、伝統、文化あるいはその経験則に鑑みると、
「自然と一体になる」ことをより深く感じられるのが、密教の儀礼や方法論によるアプローチになるのではないでしょうか。
「山と仏」としては、私が学んできたことの中から一般の方が触れやすい形で、その方法論をご紹介していければと考えています。

小雪童

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