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名山の麓に名湯あり『武甲温泉』

3月に持病の腰痛が再発し、登山どころかストレッチもできない状態。1ヶ月、接骨院に毎日通い続けている。

ゴールデンウィークは岩手山で東北の母と山小屋に泊まると決めていたがキャンセル。八方塞がりのなか、4年前から書き置いていた『武甲温泉』の紹介文を完成させようと考えた。日帰りが基本だが別館に宿泊でき、少し腰を落ち着けられる。

令和4年5月16日(月)、武甲温泉は平日しか1人で泊まれないので、会社を休ませてもらった。今年の5月は変な気候の連続。半袖でも暑くて冷房をガンガン効かせる日もあれば、曇りの日は長袖でも肌寒い。この日も朝から新宿は小雨。半袖の予定だったが、8号ホームランを放った大谷翔平の真紅のパーカーを羽織ってアパートを飛び出した。

西武新宿駅から所沢で500円の特急料金を払い、ラビューに乗り換える。

西武新宿線は学生やサラリーマンの日常風景だったが、少し贅沢をするだけで旅行感が出る。到着が20分しか変わらず、500円はもったいないと思っていたが、大切なものは数字にあらわれない。カズオ・イシグロの『日の名残り』を持ってきたが、タリーズの缶コーヒー片手に、車窓からの秩父を楽しんだ。

11時42分、横瀬駅に到着。雨は上がっていたが、武甲山は霧の中。身体が冷える。暖をとらねば。横瀬の月曜は定休日が多い。珍しく営業している『大金星』という縁起のいい名前のラーメン屋に向かう。

秩父は蕎麦、うどんが名物なのでラーメンは珍しい。ご主人が令和2年創業のエプロンをしているので最後に来た3年前はなかった。横瀬の町も、武甲山の山容のように変化している。

武甲温泉は、武甲山の南側、横瀬川が流れる川縁にある。地名の由来は、武甲山から流れる生川と小丸峠から流れる芦ケ久保川が合わさって村内を横に北流することから来ているようだ。

1995(平成7年)開業と新しく、町おこしのために造られた。日帰りの入浴料は800円。町おこしは見事成功し、営業開始の10時から夜9時まで客足が途絶えることはない。地元民にいかに愛されているか。新緑の若葉豊かな5月は眼と湯の双方が癒やしてくれる。

武甲温泉の泉質は硫黄泉となっているが無臭。名物は広い露天風呂と炭酸泉だが、山の湯にしてはインパクトが弱い。

代わりに凄いのが水風呂。真冬でも迷わず水風呂に飛び込む自分だが、ここは30秒が限界。凍傷になるかと思うほど、夏のレモンサワーよりキンキンになる。サウナから脱出した直後でも身体の火照りを瞬時に無効にする。

武甲温泉で最も滋味に満ちているのは、湯ではない。洗い場が野外にあることだ。下山直後のクライマーにとって最もつらいのが、ムンムンと蒸された中で汗を洗い流すこと。特に30℃超えれば地獄絵図。

それを武甲温泉は見事に極楽へ連れて行ってくれる。春の陽気を浴びながら、身を清める快感。あとは露天風呂、炭酸泉、水風呂とパレード。早風呂が信条の自分もこの日ばかりは1時間半近く浸かっていた。

入浴のあとは、今夜の宿である別館へ。建物自体は古く、力士が数人で泊まれば床が抜けそうだ。

Wi-FiがないのでiPhoneとテザリングしながら1時間ほど仕事。炬燵がありがたい。夕方6時前に旅の贅沢に40分3,500円のマッサージをしてもらい夕食へ。

『武甲』400円を追加。アルコールの切れ味が強く、さすが武甲山の地酒。品数の多い旅館料理は非日常のご褒美。久しぶりに、これ以上は食べられない満腹になった。

閉館まで温泉に浸かり、秩父コーラとパンで夜を撫でる。日が変わる前に寝るつもりだったが、なんやかんやで日をまたいでしまった。

翌朝5時半に起床すると、少し腰が痛かった。積年の持病がそんなに簡単に治ってたまるか。武甲温泉には腰を「治し」に来たのではない。「治そう」としに来たのだ。

片道2時間なら箱根や伊豆にだって行ける。まだ訪れたことのない山の宿も多い。それでも秩父に来たのはあの山の麓に抱かれたかったからだ。山のパワーを吸収してから日常に戻りたい。朝ご飯を頂き、8時に宿を発つ。天気は曇りだが、出発前よりも晴れやかだ。

旅とは「空間移動を肯定すること」
そこには達成も未達もない。新宿へと戻る横瀬駅の向こうに、霧をまとった勇壮な武甲山が見えた。


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