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再会

会社で泪をこぼしてしまった。13年ぶりに恩人に再会した。対面でもZoomでもなくTwitterで。

ボクは2006年に立命館大学を卒業し、地元・奈良のオートバックスで働いた。週刊プロレスの記者を目指したが書類審査も通らず、他に筆記試験を受けた新聞社もすべて落選。

いずれ週プロに再挑戦するつもりだったが、その前にどうせなら一番苦手な接客業をやろうと決めた。大学では遊んでばかりでアルバイト経験もない。人付き合いが苦手だった。

店舗のある奈良県南部の御所(ごせ)は県内で特に気性の荒い。1年目から毎日お客様に怒られ、先輩からは「使えない」となじられる。なんのために大学を出たのか...。

閉店の掃除をしながら、毎晩同時刻に通過する飛行機を見上げては「あれに乗って遠くへ行きたい」と思っていた。

K店長が異動してきたのは2年目。30代後半だが童顔で温厚を絵に描いたような人。爽やかなイケメンで年季のはいったスバルの青のスポーツ・セダンがよく似合った。

2年目にも関わらず、懲りずに毎日お客様からお叱りを受け、K店長に何度も尻拭いをさせてしまった。自分でもなぜ怒られるのか分からないからタチが悪い。それでもK店長は怒ることはなく、やさしく注意するのみ。それが余計に情けなかった。

一度、大きなクレームを犯し、お客様が店に怒鳴り込んで来たときがある。「許してもらえるまで土下座します」と伝えたが、「俺がなんとかするから出てこんでええ。事務所で待ってろ」と言われ、K店長が1時間以上も謝って事なきを得た。

日に日に疲れの色が出てきたK店長が店を辞めると知ったとき、申し訳なさと同時に「これ以上、迷惑をかけなくて済む」とホッとした自分がいた。何ひとつ恩返しができず、次の仕事で使ってもらうネクタイを贈るのが精いっぱい。その代わり、一人前の店員になるまではオートバックスを続けようと思った。

1年半後、会社を辞めるとき、多くの後輩が「心の支えでした」と言ってくれた。そのときの店長は「ゆくゆくは店長になってもらうつもりやったのに」と惜しんでくれる。それらの言葉は、自分ではなくK店長に届けたかった。

オートバックスを辞めたあとは大学生でやり残した極真空手の全国大会を目指しコンビニでアルバイト。その後は週プロの記者になるため上京したが、東京で山に出逢い、今は違う道を歩んでいる。

K店長は現在、奈良でITの仕事をし、お互い気づかずTwitterで相互フォローをしているうちに「あのときの松田くんやんか!」と気付いてくれた。柔軟剤のような声が13年ぶりに蘇る。

「たくさんご迷惑をかけました」とお詫びすると「あれも仕事なので気にせず」と優しいまま。スバルの車も24年間、乗り続けているらしい。「大事に乗ってきてよかったよ」

やっぱりK店長は、お店を辞めてもK店長だった。

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