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在家の法 第176号

★「幸福の法則(在家の法)」第176号  <幸福の研究3>

 あなたの心の糧となるよう大和武史が在家の法をお送りします。
 幸福感が素晴らしく生きていることの証明であるならば、その時の心の波動をモニタリングしてその波動に常時保つことができれば常に幸福でいられるはずですね。こういう方法論があるので、時代を下った頃には流行るかも知れません。

 いずれにしても幸福とは私たちが生きていく上で究極とも言える目標となるべきものです。人々が生きている間で幸福を求めての活動がほとんどと言えるのではないでしょうか。朝起きて、考えることは今日の活動の準備ですが、その活動はより良いものであって欲しいですし、そうでないと分かっていたら行く気などしないですね。良い日であること、それを願っての朝の時間でしょうし、活動中(昼間)はそんなこと考えてもいられないでしょうが、本質的に自己実現や良い結果を期待しているのではないでしょうか。

 幸福とは大きくも小さくもないものです。どれだけの幸運が来れば幸福であるかなど決まってはいません。要は本人の気持ちの問題であり、それを受け止める人の器量で大きさは変わるのです。良い日、良い事柄、良い人達、良い環境、こんなものは自分の受け止め方の問題であるわけなのです。この意味で不満ばかりの人はどんなに優れた環境に身を置いても決して満足することは無いでしょう。なぜなら受け止め方が不満に引き寄せられているからですね。

 逆にいうと、何でも満足できる人こそ常によい環境に暮らす人であり、幸せな人でもあるのです。何にでも感謝でき、どんなことでも満足できる(不平不満を持たない)人は、いつも幸福な気分でいることが可能です。幸福になりやすい気質というものがやはりあるわけです。

 因果応報のこの世界では、自分の心の持ち方で結果が変わるのです。不平や不満で一杯の人がそのままの心持ちで物事を受け止めれば、不機嫌であるのは当たり前ですし、その不機嫌な心は、その波動は同様の波動を呼び込み、不機嫌にさせるような事柄を招いてくるのです。逆に、何でも感謝でき、満足できる人はその満ち足りた心の波動は、同様の事柄を引き寄せて幸運な出来事に恵まれるのです。

 キリストが言った「持てるものは更に与えられ、持たざるものは更に奪われるだろう」という言葉はこの原理を言い当てたものです。

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