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民俗学小話集①

【盆行事の話】
私の実家がある地域では、盆の時期に「七橋参り」という行事をしたという。私は母からこの名称だけ聞いた。母も詳細は知らないらしく、どのような行事だったのかは推測するしかないのだが、名称からすると、部落周辺にある7つの橋を巡礼したものと思われる。
川は世界の境界、橋は現世と異界を繋ぐ道であり、盆が「死者があの世から帰って来る」行事であることを念頭に置くと、先祖を迎え入れる行事であったと考えられる。
問題は「七」という数だが、中国由来の「名数」という考え方があり、同質のものを複数まとめる習慣があった。七だと七草、七福神、竹林七賢などがある。特に七は聖数とされ、世界的に重んじられてきたという(飯島吉晴「聖数七のフォークロア」)。
よく似た行事に七墓参りがある。大坂で行われた行事で、盆行事の一環として近郷の7つの共同墓地を巡ったという(江戸時代の大坂では肝試しのようになっていたらしい)。


【善光寺平の行人塚】
長野の善光寺の周辺には7つの塚があり「善光寺七塚」と称されるが、その中に「行人塚」がある。
昔、一人の行者が即身仏を志し、塚を築いて入定した。村人には3年後に掘り出すよう遺言していたが、人々は怖がって手をつけず、そのまま月日が流れた。
その後、善光寺一帯を襲った大地震(善光寺地震)で犀川が決壊し、行人塚も押し流された。ある寺に人のようなものが流れ込み、遭難者と思った住職が引き上げると、それはミイラだった。行者は塚の中でミイラ化していたのである。住職は行者と顔見知りであった。水が引くと、住職は絵師にミイラの絵を描かせ、境内に手厚く葬った。ミイラの絵はその寺に残されているという。
以上の伝承を信じると、即身仏になることを志したことがわかる、数少ない土中入定伝説となる。
以前、この伝承を紹介したブログ記事か何かがあったが、今は検索しても出てこない。行人塚についての情報は、ネット検索では何も得られていない。気になる。


【春頭富水居士】
とある旧家に伝わる「春頭富水居士」の位牌と、その戒名を記した御札の由来譚である。『天城の史話と伝説』の「史話」の部に収録されていたので、実話の可能性が高い。
天城のある旧家の当主が隠居した後、伴二人を連れて伊勢参りに出かけた。その帰路、宿で休んでいると、隠居の夢枕に白髪の老人が立った。老人は「明日の朝、富士川に髑髏がひとつあるので丁重に供養してやるとよい。そうすればご利益がある」と告げて消えた。翌朝、伴にもこのことを話し、富士川に差し掛かったところで河原を探すと、お告げ通り髑髏があった。対岸の寺で事情を話し、その日を命日として埋葬、供養を行った。戒名は発見の経緯にちなみ「春頭富水居士」とした。そして、同家では現在もこの位牌を祀っている。


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