藤原鎌足と多武峰と阿武山古墳
藤原氏の祖、中臣鎌足は669年、56歳で薨去した。墓所は定かでないが、『日本三代実録』天安2年(858年)条には「藤原鎌足の墓である『多武峰墓』を十陵四墓の例に入れる」という記述があり、平安時代中頃の成立と見られる『多武峯略記』などに「最初は摂津国安威(現在の大阪府茨木市大織冠神社か)に葬られたが、後に大和国の多武峯に改葬された」との説が見える。一方、『藤氏家伝』の記述に基づき、鎌足の墓は京都市山科区のどこかに存在するという説もある。
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