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民俗学小話集④

【百鬼夜行の話】
妖怪は夕暮れ時(黄昏時)、幽霊は深夜(丑三つ時)に現れるものとされる。以上は柳田國男の分析だが、例外もあり、百鬼夜行は深夜に出現したようである。
『拾芥抄』によると百鬼夜行が現れる日は決まっていて、この日に出かけなければならないときは「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」という呪文(和歌)を唱えれば百鬼夜行に出会わないとされた。
なお、密教の「尊勝陀羅尼」を記した護符を身に着けていると危難に遭わないとされ、藤原常行が着物に縫い付けられていた尊勝陀羅尼の験力で事なきを得た話が『今昔物語集』に収録されている。

【異界と他界】
異界と他界。
一般に他界は死んでから赴く場所=来世と考えられている。仏教の極楽浄土、日本神話の黄泉国、沖縄伝承のニライカナイなどがそうである。そこは神々の住処でもあり、そこから神々がマレビトとしてこの世にやってくるとされた。イメージとしてはこの世の外側に同心円状に広がっている。
異界とはこの世と異なる世界で、生きたまま迷い込むことがあるとされた。『遠野物語』のマヨイガ、昔話に登場する龍宮や雀のお宿などがそうである。そうした異界はユートピアだが、時間の流れが異なり、帰って来ると十〜百年経っていたというのはザラである。イメージとしてはこの世に隣接している。

【日本人の他界観】
日本の他界観、記紀神話や民間伝承を合わせると、
①天上他界
②海上他界
③地下他界
④山中他界
があるのだが、死者が留まる空間としての他界はどうも③と④らしい。
うち、③は中国の影響が強く出ていて「作られた他界観」っぽさがあり、④は山が葬地であったことから発生したと思われる。
山が葬地となったのは、おそらく群集墳が築かれるようになった5世紀代以降。縄文〜弥生時代の共同墓地は集落に隣接していて山と関係を持たない。
『万葉集』所収の歌から、おおよそ飛鳥〜奈良時代には山を死者の空間と考える観念が成立したと考えられる。

【小子部の姓の由来】
蚕(カイコ)とは飼いコの意で、養蚕のために飼いならされたものである。野生のものはクワコとも言うが、古くは単に「コ」と言った。
雄略天皇の時代、天皇の側近にスガルという人物がいた。ある時、天皇は宮中で養蚕を始めようと思い、スガルに「コ(蚕)」を集めてくるよう命じた。すると、何を勘違いしたのか、スガルは大勢の子どもを連れて帰ってきた。天皇は笑って、スガルに「小子部(ちいさこべ)」の姓を与え、子どもを養育させた。後に、スガルが住んでいた所を子部の里と言うようになった。
『新撰姓氏録』等に見られる逸話である。スガルはよく説話に登場する人物で、雷を捕まえた逸話で知られる。

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