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水子供養と日本古来の霊魂観

先行研究をきちんと押さえたうえで発言するわけではないので、以下の文は話半分に読んでいただきたい。

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日本で水子供養が始まったのは1970年代頃と比較的新しい。この頃、霊能者がよく「水子の祟り」を持ち出していたが、この「水子の祟り」は「七つまでは神の内」という日本の伝統的な霊魂観と真っ向から衝突する。
「七つまでは神の内」という表現は子どもの霊魂が不安定なことを表す。七五三の祝いがあるように、乳幼児の死亡率が高かった前近代においては、子どもの成長は一大事だった。おそらく、数え七歳を超えると一安心という風潮があったのだろう。それ以前に子どもが死亡した場合、葬儀を行わず簡単に埋葬して済ますことも多かった。七歳以前の子どもはまだ一人前になっていないと言え、それはつまり人としての個性を持たないということになる。昔は口減らしのために産まれてすぐの赤子を殺す「間引き」があったことが伝承されているが、このような、ある意味残酷な行為ができたのも、産まれてすぐの子どもに人格を認めなかったためと思われる。
水子とは流産、死産、堕胎、間引きで死んだ子どもの総称であるが、日本の伝統的な霊魂観に基づくなら、自我を持たない水子は祟ることがないはずなのである。

井原西鶴『好色一代女』

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ただ、一見、これの反証のような記述が井原西鶴の『好色一代女』に出てくる。主人公の女の前に、堕胎された子どもが妖怪となって現れるのである。ただ、ここで注意すべきは、祟りとは多くが祟られる側に「やましいこと」があるために発現するもので、この『好色一代女』の妖怪は主人公のやましい心が見せた幻影と言える。
祟りのメカニズムは「不幸が起きる→託宣で何者かの祟りとわかる→その者が願い(要望)を伝える」というもので、それが神であろうが人であろうが意思を持つことが前提になっている。上記の『好色一代女』の例では託宣が欠けており、主人公が生み出した幻影と見るのが妥当であろう。
そう考えると、自我の存在が認められていない七歳以前の子どもが祟るということは民俗社会の理屈からするとあり得ないのである。まして、赤子に過ぎない水子が意思を持つかどうか。

以上、水子供養の周辺を考えてみた。日本の伝統的な民俗社会の理屈によれば、水子はそもそも祟ることのない存在であり、供養する必要もないのである。

付記1
「七つまでは神の内」という概念は、柳田國男とそれに続く民俗学者によって根拠不十分に形成されたものとして近年批判が出ているが、あえて用いた。

付記2
死んだ子供をめぐっては「賽の河原」の伝承は避けて通れない。この伝承(あるいは概念)が生まれたのは中世で、『法華経』方便品を元に偽作された『地蔵十王経』が直接的な典拠らしい。江戸時代に『賽の河原地蔵和讃』が作られイメージが定着したようだ。

付記3
本稿はTwitter(現X)に投稿した内容の転載である。文字数制限等により、かなり乱暴なまとめ方になっている点はご容赦願いたい。

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