第32回: 予測可能な未来 (May.2019)

 2019年5月23日、9億人の有権者を対象に1か月に渡った下院議員選挙が開票された。一時は続投も危ぶまれたが、首相の名を文字って “TSUNAMO” とも報じられるほどの政権与党の圧勝に終わった。次の5年間も革新的かつ実効的な政策が繰り出されるに違いない。

 当地で要職に就く者は総じてVisionaryだ。時に、でっかい構想だなぁと感じることもあるが、強ち妄想ばかりでもない。概ね現状と課題の認識は的確だし、解決の方向性も “確かにその通り、そうあって欲しい” と思えるものが殆どだ。周囲は足りないものばかり、どこかで見た事例をヒントに目標を定め、資源が続く限り実現を目指す、というのが典型的な経営スタイルでもある。

 今や多車線の道路が複雑に分岐と合流を繰り返し、立ち並ぶ高層ビルをメトロや緑の茂った歩道橋がつなぐGurugram、インドに通い始めた2010年頃は中核ビルの一部が建ち、“後に道路となるべき土地” を二・三・四輪や人・牛・犬が縦横無尽に行き来している状況であった。車が通った後には自ずと流れができ道となるが、所構わず横断もUターンも逆走もあり。無理に抜こうとして穴に嵌ったり亀になったのを居合わせた皆で救出する風景もそこかしこで見かけたものだが、ちょうどそんな頃、同地の開発を一手に担うデベロッパーDLFの描いた完成予想スケッチを見たことがある。5年先の2016年をかなり遠い未来に感じた以上に、実態とのあまりのギャップの大きさに現実感が湧かず、ただ、“へぇ” とだけ眺めたのを思い出した。

 その一画にCyber Hubが現れジーンズ姿の若者で賑わうのを目にした時も “インドがインドじゃなくなってきた” と感じたが、昨年来、バイパス・立体交差が相次ぎ開通しているのにも同じ感覚が蘇る。が更に先日、Cyber Cityの訪問先から外を眺めて、“スケッチに描かれた世界” が目前に再現されていたのには衝撃を受けた。荒野にインド中・世界中の英知を集め、今やFortune500の半数がオフィスを構える一大都市を築き上げた構想力と実現力は計り知れない。数年の遅れなどは十分に誤差の範囲に収まる。

 Bengaluruの工業地帯に創業半年のスタートアップを尋ねたら、経営者はその道一筋40年だった。聞けばかつて自ら興した事業が欧州企業の資本参加を受け、そのまま20年ほど経営。事業を手放し競業避止も解けた為、再度やりたかったことを実現すべく起業したという。長年付き合う世界中の顧客からの要望を受け、日米欧の競合が手掛けない革新的な製品をバックヤードで試作中。プロトタイプは既に売約済みで、向こう数年に渡り10近くの新規開発計画も控えている。ごみごみした工業団地の奥深く、作業自体は手作り感溢れる町工場だが、未来の世界標準を導く構想力と実現力を備える。

 かつて東京やSingaporeからインド参入戦略を描く際、実現可能性・確実性をどう示せるかに最も腐心した。万事に “想定外を想定” し、一歩進む度に二歩下がっても成果が見込める安全策に計画を割り引く。段取り、役割分担、順序をきっちり固め、マイルストーンを定めて進捗を管理するのは日本の常識だが、この日本的な進め方が返って未来を “誰もが語る卑近なもの” に押し留めている。考え得るリスクとその手立てを、投資対効果目標と必達シナリオを、とお決まりの指摘に備えれば “挑戦できる範囲” は必然的に極小化される。

 とことんまでの分業体制を重層構造を通じて指揮することが求められるインド。“任せるのが基本” とはいえ、雑な指示には似ても似つかない結果が返ってくる。細かく言及した部分は手を付けるものの、触れなかった部分への忖度はない。担当者の慣れたやり方と異なれば途端に金縛り、こちらが気付かない限り固まったまま。前後行程、部門間連携を意識して、など到底期待できない。

 当地のリーダーにはメンバーと “完成予想図” を共有することが求められるが、経営者には更に、どんな世界観をもって未来を描くか、障害を越えて歩み続けられるか、構想の大きさと実現に向けた気概が求められる。

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