IV. 鬼の罪
残念な現実なんだけど、世の中は変わらないし、変えられない。
日本の直近1000年間だけを見ても、なにひとつ、変わってない。
250年続いた室町幕府は、第15代足利将軍で終わり、
250年続いた江戸幕府も、第15代徳川将軍で終わった。
室町時代と江戸時代の間には100年間の戦国時代があって、
明治維新から始まった戦争の時代は100年続いて、第二次大戦で終わった。
戦後の日本は、戦国時代が終結した江戸時代の始まりと同じように急激な経済発展があって、平和で豊かな時代が始まった。
「犬公方」と呼ばれ、徳川政権で最初に馬鹿にされた第5代徳川将軍は、
「関ヶ原の戦い」から80年後に就任し、戦争を知らない世代だったのと同様に、
日本は今、戦後80年を迎えようとしていて、戦争を知らない時代が再び始まっている。
江戸時代も現在も「ペケペケ改革」のスローガンを、受験生ですら覚えきれないほどたくさん掲げるだけで、実際には世の中を変えられない。
ほらね、同じグラウンドを1000年かけて2周しただけ。
「世界」どころか、「日本」という小さな世の中ですら変えられないのに、
「あの世」なんてもっと変えられないと僕は思うんだよね。
でもね、
「変えられないのは仕方ない」と僕も諦めているんだけど、
「やるか、やらないかの判断」に、
「変えられるのか、変えられないのか」の結果は、全然関係ない。
水泳と同じさ。
「夢が叶わないなら、泳がない」なんて、おかしな考え方でしょ。
「結果が出るなら、やる。出ないなら、やらない」じゃ、視点がズレてるでしょ。
泳ぎたいから泳ぐ。そこでしょ。
僕は「人間の奴隷になるのは仕方ない」と思っているけど、
「システム」や「機械」の奴隷にだけは絶対にならないって、決めてる。
社会とのすり合わせがうまくいかなくて、理解されずに苦しかったり、孤立するのは怖いんだけど、勇気を出して断固拒否するって、決めてるの。
だって、機械やシステムは「生き物」じゃないもん。
「ルールや仕組み」は人間が支配するものであって、
「機械やシステムの都合」に人間側の生き方が曲げられちゃうのはおかしいでしょ。
社会や会社のルールに、人間が「当たり前のように」従っちゃったら、「生き物」ではいられなくなっちゃう。
動いてるだけなら単なる「動物」で、ルールに従って動くだけならAI(コンピュータ)にも出来る。
僕は日本最速スーパーコンピュータのSE(システムエンジニア)をしてるから断言できる。
ルール通りには動けないからこそ、人は生きてる。
「多様な感情が揺れ動く動物」、その「迷い」こそ、人間。
「人間が守るべきルール」は、国が変わっても、時代が変わっても、変わらない。
「所属する文化によって変わっちゃうような価値観」に囚われて、人間側の判断が曲げられちゃったら、人は「生物」じゃなくて「物」に成り下がってしまう。
鬼だって同じさ。
勇気を出して、社会システムの奴隷から逃げ出してさえいれば、
「鬼にならなくちゃいけないほどの憎しみ」は持たずに済んだのに、
君は逃げ出さなかった。
君に非があるとすれば、
「勇気を持って逃げ出すべきだったのに、実行しなかった」ことだ。
「自分が所属している文化」の外側には、別の価値観が当たり前にたくさんあって、
別の文化なら、逃げ出した君こそ正義さ。
なぜ、逃げない。
どうして勇気を出して理不尽から逃げ出さなかったんだ。
君の周りにも僅かながらいたでしょ、逃げ出した卑怯者が。
君の全力は、その卑怯者が持っていた「逃げ出す勇気」に使うべきだったんだ。
守るべきは、ルールじゃない。「君自身の人生」の方なんだ。
全力の勇気で、「最後は逃げ出しちゃえばいい」と、最優先で自分を大切にする「覚悟」さえしていれば、
いつだって、電車で空港に向かい、飛行機で飛び越えちゃうだけで、
泳げない君は、「橋の真ん中を堂々と歩いて渡る人生」を生きれたんだよ。
社会は変えられないけど、鬼になっちゃう人生からは逃げられたんだよ。
produced by yamato bear. 2019.05.05
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