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思い出の曲と振り返る歩いてきた道

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歌は世につれ世は歌につれ
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2022年1月の記事一覧

日本人が一番多く使う言葉

口癖にも色々あり「なんていうか」を最初に発しないと喋れない人がまれにいるが、自らの意見や思いを口にする時にのべつくまなく「本当に」を入れる人がかなりいる。いつもではないにしても「本当に」を入れる人がなんて多いことか。心底そう思っていることを強調したいのだろうが、「本当に」を入れられる頻度が多いほど、いつもはうそが多いのかなと感じてしまう。 「本当に」を流行らした張本人は松田聖子だとにらんでいる。1990年代小室サウンドが席巻したと「1995年1月17日5時46分」に記した。

1995年1月17日5時46分

「正常性バイアスからの想像力の欠如」において、サザンオールスターズの「TSUNAMI」について記した。東日本大震災では職場は5階にあったため、大阪でも長周期地震動に見舞われ、かなり怖い思いを2度しただけだった。しかし成人式を過ぎる時節は、いやでも阪神淡路大震災を思い起こされる。 当時大阪の北東部に居を構えていたが、地震と共に飛び起きたが驚きはしなかった。なぜか一月ぐらい前からもうすぐ大きな地震来ると確信していた。飛び起きた時には時計をしっかり見て、この時刻は大変重要だから覚

正常性バイアスからの想像力の欠如

「東尋坊で聴いたオリビアを聴きながら」と同じころの思い出の曲の筆頭はサザンオールスターズの「いとしのエリー」だ。桜咲く季節に進学した大学の寮でカセットテープを何度もリピート再生していたお気に入りだが、本当にヒットしたのは夏休みが終わった後だ。当時久米宏と黒柳徹子の二大看板が司会するザ・ベストテンは大流行していて、まだテレビがない新入寮生は痩せるに便利なメニューだが、テレビがある食堂に集まるのが日常だった。 その年最大のヒット曲である西城秀樹の「ヤングマン」が十何週か連続1位

東尋坊で聴いたオリビアを聴きながら

「電話級アマチュア無線技士は生涯有効」において、ヒット当時はそんなに好きでなかったABBAの「ダンシング・クイーン」が後に最高傑作と思うようになったと書いた。しかしリリース当時全くいいとは感じなかったし、確かベスト10にも入ってなかったと思うが、後に名曲と言われ大のお気に入りになったのが杏里のデビュー曲である「オリビアを聴きながら」だ。 名曲になったのは尾崎亜美がよくセルフカバーしていたのも大きいだろう。二人そろって歌っていた音楽番組でオリビア・ニュートン=ジョンが好きと杏