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やまとみずほの国に生まれて

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大和は倭にあらず大きくなった和です。阿波は邪馬台国やソロモンの秘宝など伝説の宝庫。「やまとみずほの国」に生まれて「おおやまと」に暮らす弥真都満穂が熱く古代ロマンを語ります。
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#神武東征

八咫鏡と草薙剣を宮外に祀る崇神天皇

やまとみずほの国に生まれて  第ニ十六話 第十代崇神天皇は御眞木入日子印恵命、皇后は御真津比売。しかし日本書記では御間城姫。第五代孝昭天皇の御真津日子訶恵志泥命と同様に「津」を書き換えるのが抜けた。なぜなら御真津は美馬津、阿波吉野川中流域の美馬に港はあるが三輪山の麓には小川しかない。神山を美和山と呼ぶのは、大物主と活玉依毘売の処女懐胎伝説にて、糸巻きに三輪残った赤い糸に由来する。 第十九話「神武東征翻す熊野三山が徐福伝説を覆す」の通り、秦山が音読みで神山になり、後に訓読み

長髄彦討つ物部氏!神武東征最後の戦い

やまとみずほの国に生まれて  第二十五話挿話 開化天皇の諡号が古事記では若倭根子日子大毘毘命なのが、住吉大社神代記では和加倭根子意保比比乃命だ。飛鳥に宮を構えた懿徳天皇と孝元天皇は、大倭日子鉏友命と大倭根子日子国玖琉命。阿波で倭(邪馬台)だったのが、奈良に進出して大倭になる前に紀伊が若倭だった。和歌岳があっての和歌山ではなかった。第三話「桃太郎は木眉津彦か和歌岳彦か」は間違っていた。 回想話「倭国の呪いが解けて邪馬台の由来が判明」に書いた通り、伊都国に対しての邪馬台は山都

欠史八代系譜と宮が奈良盆地征圧を語る

やまとみずほの国に生まれて  第二十五話 綏靖天皇の葛城高丘宮は奈良盆地の片隅だったが、安康天皇の片塩浮孔宮は中央に進出し、第四代懿徳天皇の大倭日子鉏友命の軽曲峡宮は飛鳥にあり、阿波の倭(邪馬台)が大倭になったということか。第五代孝昭天皇は、前話「阿波から麁服を下賜する片鱗が見えた」で詳しく述べたが、掖上池心宮は南へ後退し、孝安天皇大倭帯日子国押人命の室秋津島宮はさらに後退する。 孝安天皇かかさんの世襲足媛。第六話挿話「黄泉比良坂に倭国大乱の暗号」尾張氏の祖となる天村雲命

阿波から麁服を下賜する片鱗が見えた

やまとみずほの国に生まれて  第二十四話 第二十三話「阿波本家を断絶した綏靖天皇の殺人」の通り、弟師木が支配する磐余邑へ第二代綏靖天皇が通い、第三代安寧天皇が育ってから宇迦斯兄弟を征伐する。兄宇迦斯を切り刻んで撒いて「宇陀の血原」になった赤色は、辰砂の赤にして、大和水銀鉱山が優秀で山が原っぱになるまで掘った暗号。水銀確保のための東征説を裏付ける。阿波本家の財政基盤の源泉が辰砂だ。 安寧天皇の御子三人のかかさんを日本書記は、事代主の孫の鴨王の娘である渟名底仲媛と記す。第二十

阿波本家を断絶した綏靖天皇の殺人

やまとみずほの国に生まれて  第二十三話 第二十ニ話「阿波を隠す神武東征が欠史八代を生む」に述べた通り、宇陀の兄宇迦斯・弟宇迦斯より先に、神武天皇聖蹟磐余邑顕彰碑の兄師木・弟師木を攻略した。磐余邑も地名の改竄。神武天皇の和風諡号が、古事記では倭は伊と言われの「神倭伊波礼毘古命」が、日本書紀は「神日本磐余彦天皇」。余を我と読ませ、我は日本の磐=礎と言いたそうだけど「ワ」が一つ余る。 順番が逆としか思えない記述は多く、神武天皇聖跡菟田穿邑顕彰碑の戦いに勝った後、神武天皇聖蹟菟

神武天皇社より後退する綏靖天皇宮趾

やまとみずほの国に生まれて  第二十ニ話 第二代綏靖天皇葛城高丘宮阯は、葛城古道にひっそり佇む。皇后の河俣毘売の元へは通い婚だし、奈良盆地を治めていないから宮なんて必要ないのだ。葛城古道はいくらでも眺望がいい場所があるから、兵士でも隠していたか。神武天皇を始馭天下之天皇と記すのは日本書紀のみ。即位を紀元前660年にするための改名。古事記は神倭伊波礼毘古命、「倭」は「伊」と言われ。 しかし賀茂神社の総本社と称する高鴨神社の主祭神が、出雲国風土記に登場する阿遅志貴高日子根命な

八咫鏡が偽りなら草薙剣は裏切りの剣?

やまとみずほの国に生まれて  第二十話 龍神信仰はインドで最も恐ろしいコブラを畏怖して神にしたのが起源です。中国に入って龍になりましたが、日本に龍が伝わるまで海人族は、コブラを和邇に置き換えました。因幡の白兎の悪役も鰐だし、神武天皇の皇后である媛蹈鞴五十鈴媛のかかさんの元へ通うのに、ととさんの事代主は八尋熊鰐になります。かかさんのととさんが三島大明神にしたいからの創作でしょう。 第十四話「神武は瓊瓊杵の子?瓊瓊杵は台与の子?」にお伽噺で神武天皇のおばあちゃんの豊玉姫が日本

神武東征翻す熊野三山が徐福伝説を覆す

やまとみずほの国に生まれて  第十九話 中国地方で無かった戦いが突然始まるのが、神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑。生駒山地の大阪側でよく長髄彦は迎え撃てたか不思議ですが、もっと信じられないのが神武天皇聖蹟男水門顕彰碑。長兄の五瀬命の死地は正確に記すために、単に寿命で亡くなった和歌山で死ぬ戦傷を受けます。お兄ちゃん殺した憎い長髄彦を殺してもしょうがないよねの前振りに思えてしょうがない。 戦いの後、紀伊半島を大回りするため、神武天皇聖蹟盾津顕彰碑から船出。三世紀には河内湾は潟湖で航

神武東征は東部開拓フロンティア

やまとみずほの国に生まれて  第十八話 前回「神武東征旅立ちは阿波倭国内の蜜月旅行」にて、神武東征の九州編は第6話の「黄泉比良坂は墳墓ハウツー物語」を辿ると記載しました。今回は中国編です。多家神社の東南の外れに、神武天皇聖蹟埃宮・多祁理宮顕彰碑 「たけ」は無理矢理、元々は「おおけ」、太安万侶の多氏を祀る、多神社が本家でしょう。古事記にはきっちり安芸国ではなく、阿岐国と記されます。 阿岐とは阿波の境界、讃岐の岐と同じ意味。阿讃山脈は阿波と讃岐を分岐、分けています。讃岐の讃は

神武東征旅立ちは阿波倭国内の蜜月旅行

やまとみずほの国に生まれて  第十七話 古事記に日向国としか記されていませんが、急な船出のエピソードに因んで八朔の夜に起きよ祭りが行われる美々津に神武天皇御舟出の地が、宮崎神宮に神武天皇宮崎宮之碑、鵜戸神宮に神武天皇御降誕伝説地が有ります。最初に立ち寄った宇佐には、神武天皇聖跡菟狭顕彰碑が建ち、古事記には一年過ごしたと記される筑紫国の岡田宮には、神武天皇岡田宮伝承地が残ります。 太平洋戦争前年の1940年が紀元二千六百年記念行事ですが、その一貫で神武天皇聖跡顕彰碑は、推定

桃太郎は木眉津彦か和歌岳彦か

やまとみずほの国に生まれて  第三話 桃太郎モデルの最有力は四道将軍として吉備を制圧した吉備津彦命だ。きびだんごが決め手だろうが、「吉野川は邪馬台国のナイル川」に岡山が吉備になったのは吉備津彦が制圧してからだし、国生み神話の女島は鬼ヶ島伝説の残る女木島と書いた。女木島の桃太郎は誰かと調べるとなんと腹違いの弟の稚武彦命だ。しかし二人のかかさんは姉妹なのでお里は同じだから家来も同じだし、きびだんごを若武彦も持っている。鬼ヶ島が決め手になるべきだ。 箸墓古墳に眠るとされる倭迹迹

吉野川は邪馬台国のナイル川

やまとみずほの国に生まれて  第二話 吉野川は屈指の暴れ川が幸いし肥沃な土地に育つ藍は大いに阿波を潤した。古事記の国生み神話の冒頭に、天沼矛でかき混ぜその矛からしたたり落ちておのごろじまができたとある。まあ神話だからと諦めず何かを象徴していると解釈するのが阿波邪馬台国の基本だ。吉野川中流の硬い岩盤で川幅が狭い岩津で大水が堰き止められると、大量に流入した泥が渦巻くと考えたのだ。 「国生みは壮大な王権拡大プロジェクト」に示したグーグルマップは国生みと邪馬台国への行程をまとめて

国生みは壮大な王権拡大プロジェクト

やまとみずほの国に生まれて  第一話 隠伎之三子島は宗像三女神 佐渡島は関門海峡邪馬台国の謎解きとして最も興味をを惹かれるのが、魏志倭人伝に書かれた行程だ。魏の都合のいい位置に書かれていると言われても推理してしまう。そこで「草薙剣は剣山から吉野川支流に流れ出た」に紹介した動画の行程をグーグルマップにまとめた。地図上部の→アイコンをクリックしても、説明は出てくるが、上部右の四角アイコンをクリックすれば拡大表示できるし、データをダウンロードしてマイマップを作成すれば距離を自動測