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相手を想う嘘は愛かもしれない。


「嘘をついてはいけません」と幼稚園でも教わってきた。(※この教えを否定してるわけではない)


「嘘」は全て悪いものなのだろうか。
もちろん故意に相手を傷つける嘘は論外だけど。


わたしは「相手を想う嘘」なら、それは愛だと思う。
目には見えないけど、そこには「思いやり」という名の愛が存在しているからだ。
こんな風に言うときれいごとに聞こえるかもしれない。

…確かにきれいごとだ。

…わたしはきれいごとが大好きだ。


でも「相手を想う気持ち」からの嘘はちゃんと温度がある。温泉のようにポッカポカだ。

わたしも相手にそんな嘘をつかれていることがあるはずだ。
それでも、わたしを想ってついてくれた嘘ならウエルカムだし温かさを感じる。


…とはいえ、後から知ってちょっぴり悲しくなることもある。笑

でも大概のことは冷静になって考えるとその嘘は納得できるものなのだ。相手がわたしの気持ちを考えてくれたという背景があるから。


反対にわたしもそんな嘘をついたことだってある。

仮に、愛のある嘘をついたことで相手や周りから責められたとしても「あなたへの愛(思いやり)から嘘をついた」でいいと思うのだ。

相手を想う嘘をついてしまったわたしも、
あなたも、(え!?ないかも?そんなあなたは正直で素敵です •̀.̫•́✧)
温かく思いやりのある存在には間違いない。


相手には理解してもらえないこともあるだろう。
それでもいい。
そもそも理解してもらわなくてもいい。
だって相手の受け取り方は相手のものだから。

何にも縛られることはない。
唯一縛ってしまう存在があるとしたらそれは他でもない自分だ。
(心当たりがある…)


愛のある嘘をついた相手も、わたしも、あなたも正直で温く思いやり溢れる人だということだ。
だから相手を想う嘘は愛かもしれない、と思うのだ。


それでは。
これを読んだあなたもわたしも、今日も明日も温かい気持ちでいられることを願って…


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