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逃げちゃだめだ

今日は碇シンジの誕生日らしい。
彼と言えば「逃げちゃだめだ」。このセリフについて思うことがあったので、回想病人日記をちょっとお休みして、今日はわたしの思うことを書こうと思う。

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「逃げちゃだめだ」ってすごいインパクトある。わたしはそれが正義だと思って疑わなかった。逃げちゃだめなんだ、辛くても悲しくても向き合うべきだ。と。
しかし、現実はそんなに優しくはないし、かっこよくもない。わたしはさらに心がこんにゃくのようにグニグニしているタイプなので、「逃げちゃだめだ」に相当悩まされていた。ほんとは逃げたいことばっかりだったから。でもそんなことにも気付きもしなかった。それほどに「逃げちゃだめだ」は私の中であたりまえの答えだった。だからこそ、それができない自分に劣等感を抱いていた。
なんかこの世代?って、(わたしだけかもしれないけど)この「逃げちゃだめだ」以外にも、「諦めたら試合終了だよ」みたいなパワーワードが存在している。
そうなんだ、諦めてもだめだし、逃げてもだめなんだっていう、もう、とことん100パーセントで突き進めよ!!!みたいなとんでもない精神をわたしは長い間無意識に理想として掲げていた。
(碇シンジと安西先生が悪いって言いたいわけではまったくありません。)

でもよく考えて、よーく考えてみると、そのスポ根精神は絶対わたしには合わない。いや、当たり前だろ、もっと早く気付けよ、ってほんとに自分でツッコミを入れたいくらいだけど、え、そんなことないかも。って気付くのに、20年くらいかかってしまった。逃げたっていい、諦めたっていいんだって。

そう思えるようになったのは、まあ、病気を体験したことも多いのですが。
でもその自分の根底にあったような大きな価値観みたいなものを崩したことで、他のこともようやく息を抜いて考えられるようになった気がする。
感情が流されるばかりだったけど、しっかり自分を守るため、自分が気持ちよく生きるため生活するため考えるために、いろんなことを選択をするようになった。
以前は選ぶなんてそんな。とか思っていた。わたしは選ぶ権利なんてない、とか。どんだけ自己肯定感低いのよって思うけど。
選ぶことが失礼だったり、不誠実だと思ってた。

そう、誠実かどうかってことがものすごく重要だった。
でもその裏には誠実に対応してほしいという欲望があって。やばいなんか中二病みたいなこと言ってる。

何が言いたいかわかんなくなってきましたが。そうじゃなくて。
わたしは今頭を悩ますことがあって、それに対して、いまだに「逃げちゃだめだ」「諦めたら試合終了だ」精神を持っていたんだよね。一度手放したことだと思ったんだけど、根は深かった。アニメの影響力の深さ。
それをこの碇シンジの誕生日ってことで再確認できて、よし!もうやめちゃえ!なんて思ったんだけど。でも、諦めることも、逃げることもその後変化することだと思うから、その決断は決して逃げるにイメージしやすいようなことではなく、むしろ反対ですごく決意が必要なことなんではないかと。
そこが以外と大きい。だからわたしは決断できないのかもしれない。
ほんとは「逃げちゃだめだ」をやっているつもりで、最初っから逃げてたのかも。
とりあえず、わたしの悩みはもう長年悩んで改善できず、改善できないのが悔しいし情けないしそんな自分が本当にいやで、もがいて暴れたりいろいろやったけど、残念ながらなにも変わりませんでしたと結果を出すことにする。自分が気持ちよく生きるために、この件からは猛ダッシュで逃げようと思います。
こうやって文章にするとほんとかっこ悪いなあと実感していますが。
でもそうじゃないの大事なのは。かっこいいかどうかって他人目線だから。
わたしが今大切にしているのは、気持ちいいか、気持ち悪いか。悩むことって本当多くて、今だって悩んだりしている毎日だけど、自分の心の声を真剣に聞くと、絶対シーソーはどちらかに傾く。その数ミリの傾きを絶対無視しないように心がけるようにしてる。自分が気持ちよくいられるためには努力が必要なんだってことも、昔は知らなかったんだ。

碇シンジは「逃げちゃだめだ」って言って、いろんなこと受け入れようとしていたのかな。中学生なのに、全人類の命背負ってほんとすごいよね。
頑張れ碇シンジ。いつか楽になれるさ。もちろん死ぬこと以外で。


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