『最後に』読売新聞 文化欄連載コラム 2014年3月29日掲載

群馬県で芸術文化振興の取り組みを始めて8年の歳月が過ぎた。
2006年に中之条町の木造校舎の一室を借り、第一回の中之条ビエンナーレを立ち上げ、回を重ねるごとに全国に広く知られるようになった。いまでは参加作家の数人は群馬に移り住み、農家の手伝いなどをしながら制作を続けている。
他所から来た若い世代が、仕事の少ない地方に移り住むということは、簡単に出来ることではない。
中之条ビエンナーレがきっかけとなり、そこで暮らしていく価値を自分で見出したということなのだ。町の過疎高齢化は相変わらず進行しているものの、ここで繋がった町外のボランティアスタッフや作家達が時々顔を見せに訪ねて来てくれる。また、幾つもの大学が地域づくりやアートプロジェクトの研究や社会実験の場として中之条ビエンナーレに関わっている。
町の人口は減りつつあるかもしれないが、この町で交流する人口は確実に右肩上がりに増えていると実感する。
日本の多くの地方が同じように困難な問題に直面し、地域社会を形成するためのアイデアを模索している。この数年間、私も仲間たちとともにその問題解決に取り組んできたが、特にノウハウが書いてある参考書があるわけでは無く、私達に出来たことは情熱を持って一つ一つに正面から挑んで行くということだけであった。もちろん苦労の連続ではあったが、人生において多くの大切なものを学ばせてもらった。
結果として出来上がるイベントの成功よりも、その過程を歩むということ自体が、地域で豊かに生きるということなのだと気づいた。
より多くの人が地域プロジェクトに参加することで、地域はより豊かな場所になる。そんなことを思っていた矢先、春より高崎の大学で授業を持つことになった。これからの社会の担い手である若い世代に、自分の見てきたことを自分の言葉で話したいと思う。

今回で2年間続けてきた連載が最後となります。
長い間、ありがとうございました。

(読売新聞 2014年3月29日掲載) 文化欄連載エッセイ 山重徹夫


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