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一杯の珈琲の価値 by Bike Packing Short Trip④
前回までの記事はこちら
コストのかかる楽しさとかからない楽しさ
遊ぶには金がいる、なんてコンビニ強盗を言う浅い動機みたいな言葉を普段から口にするのはオススメしません。(無論、強盗もダメ、絶対)
「遊び=金がかかる」と思っているのであればそれは生きている、知っている世界が狭いと同義です。
飼い猫に高価な遊び道具を買ってきても道具そのものではなく、それが入っていた段ボール箱にまっしぐらな場合や小さな子どもが家にある段差や新聞紙などで楽しんでいるのを見ると販売価格(購入価格)と楽しさは比例しないと言えます。
社会での価格と本人の楽しさは一致しない
もちろん金銭的なコストをかければ楽しさの「選択肢」は増やすことができます。
例えばスカイダイビングをしたいのであればその取り扱い会社の予約を取る必要がありますし、美味しいご飯を3つ星級のレストランで食べるならそれ相応のお金を払う必要があります。
しかしながら楽しさの選択肢を増やすのは何も金銭的なものだけではなく、自分の知識や感覚、情報を深めていくことで選択肢が増えるどころか楽しさそのものを深めていくことができます。
川の水で淹れたコーヒーの価値
カバー写真は自宅で淹れたコーヒーです。
なんの変哲のないコーヒーですが、僕にとってはかなり特別。なぜならこの時に沸かした水は今回の旅のゴール地点、道志川上流で汲んだ川の天然水だからです。
50kmという過程を汗水垂らして自転車で走り、一人夜を越えて、帰る前にボトルに汲んで帰ってきたもの。
帰るだけなので重量は減らした方が楽に決まっています。道中にコンビニがあることもわかっていましたし水がそこまで必要な気温でもなかった。持ち帰ってきた水は道中はただの重りでしかなく、不要そのもの。しかし、旅に行った「お土産」としては自分の中で最高。
フィジカルを使った旅、自分の身体を削った旅だったからこそこの川の水で淹れたコーヒーはいつもより美味しく感じられます。味はその料理そのものだけではなく、歴史やそこに至るまでの過程・ストーリーも含めた総合評価判定もあながち間違いではないと思います。
もし、このコーヒーをこのストーリーを知らない人が飲んだらおそらく普通のコーヒーだと感じるはず。楽しいとかも特に感じない。
あくまで僕個人「だけ」が楽しさを感じることができますし、この一杯の川の水コーヒーに価値を感じるのです。
万人受けする必要はなく、「自分」が楽しめているか否か
物事の価値観を人に委ねるな
過去に数十万円で買った服が今は数千円なんてザラなので価値を社会や他者に委ねない方が良いと思います。市場価値を参考にする程度が良いですね。
今回の一杯のコーヒーも僕にとってはプライスレス。
そういった「自分にとって〇〇」のような自分基準で物事を考えることも豊かさの一つではないかと思います。そのためにもSNSやテレビなどで情報を入れすぎないのがオススメ。
モノも情報も価値観も交友関係も少数精鋭。空いた空間や時間は自分のために使う。誰も文句は言いません。交友関係が少なければ言われることもない。
自分がどう感じるか?をどうぞ大切に。「ときめく」か否か、という判断基準もありますね。
Don't think, Feel.
おわり
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