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自分の「ミ」の範囲を広めよう

初めましての方もそうでない方もこんにちは。

やま施術院の山本と申します。

先日、初めてと言っても良いくらいの頭痛を経験しました。

拍動痛がひどく、動くと痛みが増す感じでした。結果としては自分でセルフケア+妻に押して欲しい経穴を伝えてケアアイテムを使って治しました。(自分で施術できるって便利)

HYPERICE HYPERVOLT ハイパーボルト [並行輸入品] https://www.amazon.co.jp/dp/B07GNXZV1H/ref=cm_sw_r_cp_api_i_UynCEbXNDTMH4

で、感じたことですが普段五体満足で過ごしているといざ不調になった時の感覚が分からなくなる。
もちろん、不調は感じない方が良いですしそうならないために施術やケアをしてます。

で、ここから本題。

その頭痛が治ってきた頃に満員電車で座っていた時のこと。
車内に杖を使用した高齢者の方が乗ってこられました。
大変そうだなー、と思ったので席を譲りました。
で、その方が僕よりも早めに降車されたのですが、その去り際に
「ありがとうございます」と一言。

まあ、よくあることですよね。

この話で言いたいのは僕が良いことをしたから褒めて!ということではなく
反対に上記の行動が特にこれと言って何も考えずスムーズに行われたこと。

足の悪そうな方がいる→大変そうだな→席譲る

の流れが譲る、譲らない、の選択がなく当然のように行われたこと。
朝起きたら歯を磨く、尿意を催したからトイレに行く、みたいな生理的な反応に近い感じです。(歯磨きは人それぞれ)

実際、頭痛も少しだけあったので座っていたいのになんぜ席を譲ったのかな?と思い返してみると

高齢者の身(ミ)と自分の身(ミ)が同一である

と感じていたからかと推測。

人の辛さ・大変さをそのまま自分のものとして捉えることで
(自分も高齢者も)辛いから席を譲る、という行為になったのかと。

自分のミの範囲をその高齢者にまで広げることで一番効率的かつ効果的な判断になったのかな。となんとなく結論。

自分が辛い思い(この場合、頭痛)をしたことで他者の辛さをより身近に感じ、ミの範囲を自然と広げていたのかな。

これを全人類ができればめちゃいい社会になるなーという思いつき。

その為には適度に辛い・キツい思いを体調不良ではなく、運動や勉強などで予習しておくと良いですね。

めちゃくちゃ走り込んで吐きそうになる、とか一日ぶっ通しで机にかじりつくとか

不健全でない方法で辛さの予習をすれば人の辛さを理解できるし優しくなれる。

そう思った出来事でした。


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やま施術院 山本将也

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