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女の子に花の名前教わると、男の子はその花を見るたびに一生その子のことを思い出しちゃうんだって。

好きな人の好きなものを知りたいというのは、
至極当然の欲望なのだろう。
何に興味を持つのか、どんなところに惹かれるのか。
何が嫌いで、どのような理由で嫌悪感を抱くのか。
好きな人の心情のテンプレートを理解しておきたいというのは私だけでなく(例外なく)全人類が抱く感情なのではないかと思う。

だがこの感情、とても危険なものだと最近気づいた。
一見すると危険性がなく、むしろ好きな相手のことを喜ばせたり気遣ったりすることができるなど、素晴らしい行動のための素晴らしい知識の習得に繋がる欲望のように思えるかもしれない。

ただ、よく考えてみてほしい。
本当に危険性は無いだろうか?

ここでヒント!

君は1度覚えた事柄を都合よく忘れることができるかな?
彼氏や彼女、片思い中の相手や尊敬している人、
はたまた推しや家族など…
それらの好きな人のことを嫌いになったりその人と決別したりすることは無いと言い切ることができるかな?

そう。勘のいい君ならもう分かったかもしれないが、
好きな人の好きなものを知るということは、同時に
「未練や嫌悪感をフラッシュバックさせる原因を知る」
ということなのだ。

今はまだ好きな人を好きなままで関われているため考えたことはないかもしれないが、今の関係が途切れる日が来るかもしれないことを考慮すると好きな人に対する知的好奇心は大変危険なものであることが分かるであろう。

急に相手の受け入れられない部分を目の当たりにして、盲目になれていたはずの眼に視力が戻ってしまうパターン。
相手から急に関係を切られて今までの思い出に哀しみや寂しさを伴ってしまうパターン。
過程や原因は何であれ、永遠に今の関係のままでいれるとは限らないのである。

2021年に大ヒットした恋愛映画『花束みたいな恋をした』で絹ちゃん・麦くんとの掛け合いにこんなものがある。

麦「この花ってさ、よく見るけど何ていう花なの?」

絹「女の子に花の名前教わると、男の子はその花を見るたびに一生その子のことを思い出しちゃうんだって。

麦「え、なにそれ。じゃあ教えてよ。」

写真に写っていた花の名前を何気なく訊くも教えてもらえない麦くん。というシーン。
この絹ちゃんのセリフがまさに今回の話そのものだ。

好きな人との関係が切れると、視界に入った花にさえ
「あ!あの人が好きな花じゃん!」という感想から
「あ…あの人が好きな花だ…」や
「うわぁ、、あいつが好きな花じゃん、、、」と
抱く感想が一変してしまう。

(ちなみに、麦くんは花の名前を教えてもらえなかったことで"名前の分からない花を見る度に絹ちゃんのことを思い出す"ことになると思うので、絹ちゃんはかなり意地悪だなと思ってます。)

以上の内容から、好きな人の好きなものを知りたいという欲望はとても危険なものだということが分かったと思う。
このような考えを持っていると「死ぬ(関係が切れる)ことを計画に入れるバカがどこにいますかお嬢さん」と言われてしまいそうなので、終わりなんて考えずに今を楽しんで好きな人の好きなものを知りまくりながら関係を築き続けた方が良いであろう。(結局)

この考えを持ったうえで麦くんみたいに
「じゃあ教えてよ。」と言えるような人と出会いたいね。

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