磨いて光らないものなんてない。はず。

「自分に何ができるのか?」

20年以上社会人として働いて、専門知識も資格もない。自分の中に積み上がっているスキルや知識ってあるのかな?40過ぎてから急にそんなことを考え始めた。

自分の中に核となるものが欲しいなと思い、ビジネススクールに通い始めた。

とは言え、すぐに行動を開始できたわけでもない。

「1講座3カ月、計6回で12万円か・・・。うぅ高い・・・。しかし、、、」。
申し込むまで3カ月くらい躊躇してからようやく申し込み。
新しいことを始めるなら4月からだと切りも良かったんだろうけど、躊躇したため7月から通学となってしまった。その辺も自分らしいと言えば自分らしいのかも。

1講座終え、充実感と疲労感。
しかし、何か変わったのか俺?続けるのか?止めるか?悩みに悩み、結局2講座目、3講座目とぼちぼちと通い、足掛け4年。

というか、ぼちぼち続けているうちに2年通い、これ以上は進学しないと受講できない状態に・・・。しょうがないので(?)大学院に進学。結果、4年間続けているというのが正しい状態なのですが。

4年近くが過ぎて、最初の思い「自分に何ができるのか?」との問いは「自分が何をしたいのか?」に変わっていた。

けど、なんと、その問いにはまだ答えを見つけられていない。

何をしたいのかわからないのに、200万円以上のお金、約4年間の時間を費やしてきた。仕事の合間に、せっせと宿題をやり、レポートに取り組み、紹介された本を読み、成績に一喜一憂しながら、経営学修士(MBA)を修めるところまで来てしまった。学ぶために学ぶ。わけがわからん。

一緒に入学した同期たちには自分のやりたいことに向け、必要な知識を求め、学んだことを活かして、自分の志の実現に一歩一歩進んでいる人も多い(というか、基本そういう人が集まる場所なのです)。

そんな同期たちは輝いて見えるよ。いや、眩しいね。自分は輝けていないな。光を放たない石ころだ。最近、そう思うようになった。

でも、芯のある石ころだ。と、自分のことは信じている。
「これ磨いたら光るんじゃね?」と思っている。

修めた知識とスキルを使って自分を磨く。磨き上げる。いつか光ると信じて。その時は、傍にいる身近な人をほんのりと照らすことができるのだろうか。

自己研鑽は続く。

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