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瞑想 meditation

瞑想はおそらくヒトのこころの萌芽と共に生まれた行為であると思われますが、考古学的には人類が古代都市文明を発達させた頃から行われていたのだと言われているようです。
その物証として、4500年ほど前に築かれたインダス文明のモヘンジョダロ遺跡から、ヒトが坐して瞑想している姿を象ったと見られる刻印が発見されています。
この印章に刻まれている、両足のひらを合わせた坐法は、後世のヨーガ体系では合蹠坐(パッダコーナ・アーサナ)あるいは達人坐(シッダ・アーサナ)と呼ばれる、呼吸の調整や瞑想に適したものです。
同じくモヘンジョダロで発掘された、半眼で一点を見つめる人物彫像の額には、神秘的な「第三の目」が配置されており、考古学者たちはこの人物像を「瞑想者」または「神官王」と呼んでいます。

インダス文明を作ったとされるドラヴィダ人は、ある時期を境にインダス川流域に点在していた数千カ所にも及ぶ都市を放棄して、インド亜大陸各地に移り住みました。
強い政治的権力者が存在せず、社会的格差の見られない彼らの暮らし方は、おそらく深い精神性に基づいたものであったろうと考えられています。
古代オリエント博物館研究部長の堀晄氏は、「インダス文明は深遠な宗教哲学や宇宙論的体系をもつ、高度な精神文化を有していたはずである」とし、「瞑想者」たちは世俗の人々から「聖なる人」と崇められながら、後の時代のブッダのように、修行や瞑想をしていたのではないか?と推論しました。
約3500年前中央アジアからインドに侵入し征服したアーリア人は、バラモン教を初めジャイナ教や仏教、ヒンドゥー教など様々な宗教を生み出しましたが、実践的な精神修行においては先住民族であるドラヴィダ人の瞑想法を取り入れ、それが後にヨーガという心身鍛錬システムとして発展して、インドから世界中に広まることとなったのです。

インドで発祥した諸宗教は、古代ドラヴィダ人の瞑想法を土台として、それぞれ独自の工夫を盛り込み実践していたようです。
バラモン教は元々、支配民族アーリア人の祭司階級バラモンの祭儀宗教でしたが、宇宙原理である梵(ブラフマン)と自己の根本である我(アートマン)の融合する梵我一如の境地を追求する沙門(サマナ)たちが現れ、出家して世俗を離れた自然の中で、瞑想修行を実践しました。
沙門の一人だったマハーヴィーラは、裸形となって12年間の激しい苦行と瞑想を行い、「全能の力」を獲得してジナ(jina勝利者)となり、ジャイナ教(ジナの教え)の創設者となりました。
王族から沙門となったゴータマ・シッダールタも、数年間の断食苦行を行いましたが、村娘スジャータから乳粥を施されたことをきっかけとして、過度の苦行は不適切であると悟り、ピッパラ樹の下に座して瞑想し、仏陀として覚醒して釈迦牟尼と呼ばれました。
釈迦の教えはインドからアジア一帯に広まり、その間に初期仏教から部派仏教、大乗仏教、密教、禅と、様々な宗派が興隆して、瞑想法もまた多様に発展していきました。
元々は支配者階級の宗教だったバラモン教は、次第に民衆にも受け入れられるようになり、4世紀『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』の2大叙事詩がまとめられた頃からは、ヒンドゥー教としてインド全域をカバーする民族宗教となって現代に至ります。
このバラモン教からヒンドゥー教に至る、長大なインド宗教史の中で培われてきた、こころを統一させ解脱に至るための行法のことをヨーガと呼びます。

瞑想はインド発祥の宗教だけでなく、世界各地の伝統宗教の中でも、様々な形で実践されてきました。
キリスト教カトリック教会の修道者は、神との合一を成就するため、黙想や観想を日課とし、イエズス会には、霊魂を鍛えるための独創的な観想法として「霊操」があります。
ネオプラトニズムの影響を受けたキリスト教神秘主義者は、古代インドの沙門のような苦行や断食、瞑想を実践することで、一者(神)との合一を目指しましたが、その伝統はキリスト教社会の異端者告発の歴史の中で次第に失われてしまい、現代では日本の禅を取り入れた黙想会などが行われているようです。
イスラム教の神秘主義者スーフィーは、瞑想の中でアッラーの名を唱え続けるズィクルを行い、個我からの解放と全体との合一(ファーナウ)を追求します。

このように古より宗教的伝統の中で、修行法として実践されてきた瞑想ですが、現代では宗教から離れ、心理学的な自己実現や精神治療、ビジネススキルの向上などに用いられたりもしています。
次章からはもう少し詳しく、深くて広い瞑想の世界を覗いていきたいと思います。

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