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直観 ゼロからマアリファへ

7世紀前半のインドに誕生した「ゼロ」の概念は、その約200年後インド数字の記数法とともにアッバーズ朝の都バグダードに伝わり、生まれ出でたばかりのイスラム精神文化をより洗練させ、この地域を世界最先端の文明地帯として際立たせることに大きく寄与することとなりました。
 
中央アジアのホラズム(フワーリズム)出身とされるアル=フワーリズミーは、820年『ヒサーブ・アル=ジャブル・ワル=ムカーバラ』という数学書を表し、英語でアルジェブラalgebraと呼ばれる代数学の祖とされています。
825年に彼はブラフマグプタの本をもとにインド数学の記数法についてまとめ、この中で彼は十進法の計算方法とともに「ゼロ」の使用について記しています。12世紀にラテン語に翻訳されたこの書は、それ以降500年以上に渡ってヨーロッパ各地の大学で使用されることになる数学の主要教科書『アルゴリトミ・デ・ヌーメロ・インドルム』となります。
このテキストは「アル=フワーリズミー氏に曰く」という意味で「アルゴリトミ」と呼ばれていましたが、これが計算の手順を表すアルゴリズムalgorithmという語の語源となります。
イギリスの科学評論家エサン・マスードによると、「アルジェブラはこれまでに考案された最も重要な数学的ツールであり、科学をあらゆる面で支えている」と考えられています。
イスラム文明は科学の最強ツールである「ゼロと十進法による計算法」をヨーロッパより数百年先駆けて手に入れ、天文学や地理学、建築などの分野で活用していたのです。
 
インドにおける「ゼロ=空」の概念は、タントラやマントラヤーナという秘教の誕生と軌を一にして成立しましたが、イスラム世界においてもスーフィズムという神秘主義思想の出現とリンクしています。
イスラム教は7世紀前半に唯一神アッラーフの啓示を受けた預言者ムハンマドによって創始されましたが、始祖の死後、神学や法学を修めそれらを厳密に解釈して教徒たちに遵守させようとする法学者たち(ウラマー)が台頭し出し、形式的で律法主義的な面が強くなっていきます。
そうした教条教義や社会制度に飽き足らず、神との感覚的な一体化を目指す運動として起こったのがイスラム教神秘主義(タサウウフ=スーフィズム)です。
彼らは信仰と自己の精神的内面を重視し、言葉による教義やウラマーの世俗的権威を認めず、羊毛の粗衣(スーフ)を着て荒野での修行や托鉢を実践したため、「スーフィー」または「ファキール=貧者(アラビア語)」「ダルヴィーシュ=貧者(ペルシャ語)」などと呼ばれました。
ムハンマドによるハディース(言行)では「我がファクル(清貧)は我が栄光」と述べられており、信仰の清浄さを保つためには清貧でなければならないとする教祖の教えを、彼らは忠実に守ろうとしたのです。
スーフィーたちはB.C.6世紀インドの沙門や、20世紀アメリカのヒッピーのように、世俗社会を捨て真実を探し求めてひたすら放浪し続けました。
「ゼロ=空」という究極の抽象的概念の伝来は、制度化し硬直化したイスラム社会におけるオルタナティブなムーブメントと密接に関連しており、そのトリガーとなったのではないかと思われます。
 
「イスラーム」とは「唯一の神に絶対帰依すること」を指します。
イスラム教はアブラハムから始まるセム的一神教の伝統から生まれ、ムハンマドはモーセやイエスらに連なる最後の預言者であるとされています。
前にも書いたように、一神教は預言者の目の前(脳内)に顕現した人格神による啓示の言葉を、表音文字で直接的に記すことから始まります。
ムハンマドの面前には大天使ジブリール(ガブリエル)が現れアッラーフの言葉を伝えますが、ムハンマドは文盲だったためこれを丸暗記し、後に弟子たちが始祖の言葉をフェニキア文字系表音文字(アブジャド)であるアラビア文字で書き留めたものがイスラム聖典『クルアーン』です。
このようにイスラム教は、人格を持つ神の姿をこころの眼で直接観る(=直観)ことからスタートした具象神的宗教でした。
 
ところがゼロの概念が渡来した9世紀生まれのバーヤズィード・バスターミーは、イスラームの具象的宗教世界をインド的な「ゼロ=空」の高みにまで純粋化、抽象化しようとしました。
彼は何年もの旅と禁欲・苦行の末、全存在が瞬時にして無化される永遠性のさらなる彼方へたどり着いたとされています。
そこで彼が観たのは、絶対神の存在をも超えた何も無い「ゼロ」の光景です。
故郷バスタームに戻った彼は、「知にはウラマーの知らぬ知があり、禁欲には禁欲主義者の預かり知らぬ禁欲がある」として、言葉を超えた次元における真実を独自のシャタハート(泥酔妄語)として表現しました。
「蛇がその皮を脱ぎ捨てるように、私はわたし自身の殻を脱ぎ捨てた。するとどうだろう、私はまさに彼(神)だった。」
バスターミーはインド伝統哲学における最高の境地TAT TVAM ASI(梵我一如)に至ったのです。
 
スーフィズムはその後イスラームの大きな潮流となり、聖者(ワリー:神に近しい人)たちを導師として、いくつもの教団(タリーカ:道)を結成し発展させていきました。
スーフィーたちは創造者である神と自分自身との隔たりを消滅(ファナー)させ精神的合一(ファナーウ)を実現させるために、ストイックでハードな修行を実践します。
アッラーフの名を一心に唱え思念を集中させるズィクルや、イスラームの多数派では忌避されている音楽や旋回舞踏などの歌舞音曲(サマー)などを通して、唯一神とのつながりを体感します。
またシャタハートのような「日常の言葉を超えたコトバ」としての詩作を行い、理性的思考では到達し得ない根本的な矛盾性を超えた神秘的合一や神への愛を謳い上げます。
 
このような心身の弛まぬ訓練の中で、スーフィーが達成する認識主体の機能は、内観あるいは精神的な眼を表す「バシーラ」と呼ばれます。
彼らは肉眼の視覚ではなく、こころの眼で事物の形而上的真実(真相)を見通す意識の次元に到達し、存在の表面的形態や様相の底に伏在する根源的構造を直観します。
そうして言葉では表すことのできない「空」や「無」というカオス的な概念を、身体表現や音楽、詩的言語によって表現する能力を得るのです。
 
バシーラによって直観されるスーフィーの智慧は「マアリファ」と呼ばれ、イスラームの伝統の中でウラマーにより体系化された道徳的な知恵である「イルム」とは区別されます。
イルムが物事を分類し、序列化し、規範化し、形式化した「知」であるのに対し、マアリファは身体的修行による神との一体化を通して神によって与えられる「智」なのです。
インドのアブギダ文字世界から生まれた究極の抽象概念「ゼロ=空」は、イスラームのアブジャド文字世界を抽象化させて先進的文明を築き上げ、そこからさらにヨーロッパのアルファベット文字世界へと渡っていくことになります。

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