出会いによってわたしを育てる。|47キャラバン#29@北海道
さてさて、ポケットマルシェで働いて半年。ついに生産者さんの元を訪れる機会がやってきました。その名もREIWA47キャラバン!
今年の夏、岩手県沿岸250キロ踏破から始まったこのキャラバン。
弊社社長(以下「博之さん」と呼ぶ)が、名前のとおり47都道府県を行脚しています。各地各地で生産者と消費者と語り合う場を設けながら。
で、社員もそのどこかに同行してもいいよ!というお触れが出たので北海道キャラバンに参加してきました。
今日はそのレポートです。
会社のすごいところ自慢と私の劣等感。
突然ですが、質問です。
会社員のみなさん、
自分の会社の理念(ビジョンやミッション)ってご存知ですか?また、それについて語ることはできますか?
そして社長のみなさん、
従業員さんたちに会社の理念は伝わってますか?
わたしがポケットマルシェという会社に来て驚いたのが、
ポケマルのビジョンやミッション、それにこんな世界を創りたい!というものを社内のほとんど誰もが自分の言葉で語れるところです。
みんなそれぞれのバッググラウンドからの創りたい世界を持っていて
そして、そこで自分が果たす役割をちゃんとわかって、毎日励んでいる。
自分の仕事の意味を知っているんです。
で、もちろん私にも私なりのそういうものはあるんだけど、どうもそれが抽象的でふわっとしていて、自分の言葉になってない感覚がありました。
身体性を伴ってないというかね。
普段生産者さんと接しているチームの方はほんとにポケマルの顔みたい。一人の人間として生産者さんやユーザーの方と対話していてかっこいい。言葉の重みがわたしとは違うな。。
普段バックオフィスの極み的な仕事をしているので、余計にそんな劣等感のようなものがあったのです。
なので今回のキャラバンで生産者さんと直接話せるのを機会に、わたしもわたしの言葉が見つかったらいいな〜と思ってました。
余市町長とこれからが楽しみなワイナリーにて。
さて、北海道キャラバンレポートです。
お昼前頃、余市駅にてキャラバン前日組と合流したのが1日目の最初。
このあとどこ行くんですか?って聞いたら、急遽、余市町長とランチすることになったんだって!
余市町長の齊藤 啓輔氏は外交官出身の男気あふれる方で、博之さんとは旧知の仲。
余市のワイナリー・レストランOcciGabiにて会食しながら、余市のいま、地方共通の課題、民主主義とは、、など色々なお話を伺いました。
外見も中身も男前な町長(写真右の真ん中)。
「余市盛り上げてね!」の言葉に「オッケー!」というさわやかすぎる返事をされていたのが印象的でした。。
そして会食後、OcciGabiのオーナー 落さんにワイナリーを見学させていただくことに。
「先行投資はだいぶかかるが、賞味期限というものがないのがワインのいいところ。」という落さん。(写真右から3番目)
コロナで確かに大変だけど、今が底だから後はもう上がっていくしかない。
余市は住みやすいところだから今後移住者も増えていくだろう。希望がある。
と、おっしゃってました。
とっても話上手で、訪問者をいつもこうやってもてなしてファンにしているんだろうなーと思いました。
(私には、二回目の結婚式をこのワイナリーでしてね!とめちゃめちゃ推されました笑)
そして、次の訪問先であるトマト農家 川合秀一さんのところへ出発。
やんちゃで優しいトマト農家さんの親孝行ストーリーを聴く。
川合さん、見た目がちょっぴりこわそうなお兄ちゃん風なんですが、中身も昔はちょっぴりこわいお兄ちゃんだったそうです。
(学校にバイクで乗りつけたり・・そしてそのバイクを勝手にお父さんに売られたり・・・色々)
だけど大型台風による被害をきっかけに、お父さんを助けたいと継業を決意。
お父さんも偶然登場してくれたのですが、ケンカもたくさんするよと言いつつ、良い関係なのが目に見えるお二人でした。
今では広大な敷地を持つバリバリやり手な農家さんで
ポケマルでは
『一口でミニトマトジュースの概念が変わります!!』
なトマトジュースを販売してくれています。
「味の違う4種類のジュース、飲み比べてくださいよ・・・」
一同トマトジュースに感動。
話は変わりますが。
今回北海道(小樽・余市)に行ったら、ほんとに全然寒くなくてびっくりしたんですよ。
川合さんは、
「この時期にこんなに雪降ってないのはおかしい」「これからの農業は温暖化と排水対策が必須だ、変化に合わせて新しいことをやっていかなきゃ」
とおっしゃってました。
そうやって環境に合わせて新しいことをどんどん取り入れていって
学びや経験をちゃんと周りにもシェアしてくれる川合さんのような若い方がいて、同じ地域の農家さんもだいぶ助かってるんだろうなーと思いました。
「農業、楽しいからやってる!!」って。
いい言葉ですね、ほんとに。
余市の夫婦岩の目の前で、女漁師さんが奮闘していた。
さて、陽も暮れてきつつある時間帯に、今度は沿岸部に移動。
この左の岩。どうなってるんでしょう。いつか倒れますよね。
で、この絶景の真ん前に居を構える女漁師さんを訪ねました。
ここで聴いたお話がですね・・ちょっと自分の中でどう整理したらいいかまだわからず。
新しい挑戦をいろいろしようとするが、それがことごとく「旧」のものに邪魔されるというやるせない話で。
地方で生きていくってこういうものと共存していかないといけないんだ、っていう陰の部分を感じました。
でも救いだったのが、
この女漁師さんがちっとも絶望してなくて、諦めてもいなくて、前だけを向いているのがひしひしと伝わってきたことでした。
「アレがだめなら、次はコレに挑戦してみよう。それもだめならコレを考えよう」って。
こういう方の挑戦が報われる社会になってほしいな、変わっていってほしいなって切に思いました。
もちろんポケマルでもできることはやっていきますよ!
北海道でも裸足の講演会。
さて、長い1日の終わりは小樽で開催された、博之さんの講演会です。
集まってくれたのはほとんど若い人!!
先ほどのトマト農家 川合さんも急遽駆けつけてくれました。
参加者の方々は、博之さんが毎朝やっているオンライン車座や、ツイッターで知って来てくれたそうで。すごい行動力ですよね。
そしておもむろに靴と靴下を脱ぎ始める博之さん・・・ブレない・・・
(生き物としての感覚を取り戻すために編み出した手段だそうです。)
何も知らないうしろめたさ。想像できない距離の遠さ。
博之さんの講演は台本なしの一発勝負。
その話題は多岐に渡りますが、やはり力が入るのは生産者と消費者の分断の話です。
今や動植物の命をいただくという意味で「いただきます」をいう人はいない。
普段の生活の中で、農家や漁師の存在がどんどん見えなくなってきている。
スーパーじゃ何も見えない。命を生み育てるプロセスが全く見えない。
昔はシティボーイであり議員の秘書だった博之さんが、農家の友達ができて一番最初に感じた気持ちは後ろめたさだったそう。
人間として一番大切な「食」の部分をまるまる委ねてることに対して
そして、自分が「食べ物をつくること」について何も知らないことに対して。
そして今では、知ってしまった。
あの人がなぜ農家漁師になったのか。
どんな農法を用いて生産しているのか。
日々自分たちの仕事に対して、家族に対してどんなことを想っているのか。
それを知ってしまったから、食べ物の価値が上がった。言い値で買うようになった。
でもスーパーでは、値段でしか選べない。
都市の人の想像する「地方」は「空気が綺麗で人がのんびりしてて〜」みたいな、いいとこ取りのイメージ。(私もそうです)
農家漁師は人口の1%以下だから、友人にも知り合いにも親戚にもいない、という人がほとんど。
地方のことも、生産者のことも、その現実を知らないし想像できない。
「第三者」の苦しみは想像できないから悲しくない。
心が動かないから、行動もしない。
ニュースで地方の農家のビニールハウスが台風で全部壊れてしまったって聞いても、パレスチナで空爆があったくらいの遠さになっている。
(でも私は今回余市の生産者さんの顔を知ってしまったし、声を知ってしまったから、いつか余市で何かが起きたらとても心配してしまうだろう。)
今、野菜の値段が暴落していない売り場。
今、スーパーでは野菜の値段が暴落していて、豊作貧乏なんていう矛盾だらけの言葉が言われているけれども
ポケマルでつながっている生産者と購入者のあいだでは、値段は暴落なんてしていない。
「あの人の野菜おいしかったから今年も買おう」
そこに市場のモノサシは入ってこられない。
もちろん、
生産者と購入者がつながるっていうのは良い面だけじゃなくて、購入者から直接もらう感想の中にはキビシイ評価もある。
でも、それを活かしている生産者さんは、お客さんの声を取り入れた商品開発を行っている。
いい意味でマーケティングの観念が生産者さんの中にも入ってきたということ。
生産者と消費者がつながることで、化学変化のように色々な現象が起こる。
生産者の考え方も変わっていくし、消費者の考え方も変わっていく。
それが、今の分断社会を変えていくきっかけになっていくだろう。
「食」はどんな人にも毎日訪れる、楽しい機会だから。
私自身のことについて
さて、ここまで書いてきて、
私自身はこの半年で少しは変われただろうか?と疑問が湧いてきました。
(写真左下が私。この絶妙な距離の置き具合は後ろめたさの現れ。)
今私が住んでいる神奈川県川崎市の武蔵小杉という街は、若い夫婦が引っ越してきて、こどもを持つにはとても便利な街なんです。
都心にもすぐに出ていけて、駅周辺にはユニクロもアカチャンホンポもフードコートも入った大きな商業施設。
病院も習い事教室も塾も美容院もカフェもたくさん。
飲食店も数え切れないくらいあって外食にもテイクアウトにもデリバリーにも困らない。
子どもが産まれたばかりの頃はこんな便利な環境を本当にありがたく思ったものでした。
(そんなこんなで子どもが増えすぎて保育園は足りてないけど)
だけど子どもが大きくなるにつれ「なんか暮らしづらい」という違和感がどんどん大きくなってきた。
毎日配達されるカット野菜やレトルト食品の宅配は、最近なんだか味気なく、すべて使えずに腐らせてしまうことも多い。
商店街の顔ぶれが、どんどんチェーン店に取って変わられていく。
子どもが走り回ったり自転車を練習したりする公園がない。
車優先、電車優先で歩行者が安全に暮らせているとはいえない。
自分の家の部屋の一部かのようにコンビニに行き、特に必要もない雑誌やお菓子を買って帰ってくる。
休日に遊びにいくのは商業施設。特に必要のないものをショッピング(消費)し、フードコートで特に美味しくないものを食べて(消費)過ごす週末。
子どもはいつしか「今夜ウーバーイーツしよう!」が口癖になり、
デリバリーした食事を「もうおなかいっぱい」と平気で残す。(ごめんなさい)
コロナ禍で外に出て行かれなくなったときにわかったのが
この街は「消費」の街で、私は単なる顔のない「消費者」にすぎない、ということでした。
(死んだ魚のような目をした母娘 ※イメージです)
最近
同年代の子どもを持つ武蔵小杉のママ友との会話には、「もうそろそろ潮時だよね」という話がよく出てくるんですよ。
「小さい頃は便利でよかったよね。でもこの頃はちょっと違うって感じるんだ。」
「もうちょっと広い家で、周りにも自然のある環境で暮らしたいよね。小学校は校庭が広いところがいいよね。」
「実は今度引っ越すんだ・・・」
子どもを持つ母親の感性は鋭い。
自分たちにとってこの街はもう役割を終えたから、もう次に人たちに明け渡そう。そうしたらまた、新しく「小さい子を持つ若い夫婦」が入ってくるから。
そんな話を日常的にしています。
そして、今年の夏から私がポケットマルシェで仕事を始めたのは
私自身が、そんな自分と子どもの食と暮らし方に疑問を抱いていて、無意識にでもなんとかしないといけないという想いが根底にあったからだと思います。
しいたけも人参もインゲンも、私が食べないからうちの食卓には出てこない。
私が魚を捌けないから、子どもは切り身しか食べたことがない。
私が伝えないと子どもには伝わらない。
私が実践しないと子どもには伝わらない。
博之さんの言葉を借りると、自然そのものだった赤ちゃんを、「ちゃんとしなさい」といって不自然な人間の世界に連れていくのが子育てだといいます。
そして今の社会では、周りに迷惑をかけないために、子供に「ちゃんとしなさい」と言い過ぎているといいます。
わたしは子どもに「ちゃんとしなさい」と言い過ぎてないだろうか。
元々、体外受精でできて、帝王切開で産まれたという
『最高に「不自然」な産まれ方』をした我が娘は
おかげさまですこぶる健康ですくすく育ち、5年が経ちました。
せめてこれからは、これ以上不自然な世界に連れて行き過ぎないように、できるだけ自然と離れ過ぎないように、育てていきたいと思っています。
そして、子どもだけでなく自分自身のことも同じように、育てていきたいと思っています。
生産者さんと対話する機会はまだまだ始まったばかりだけど
これからも生産者さんのことを知ることで、
また、ポケマルで生まれた個と個のつながりによって、自分を変えていけるように。
そして自分の言葉で創りたい未来を語って、その未来を創るための自分の役割を果たしていけるように。
がんばっていきたいです。
うん、がんばろう!
山崎 梨紗
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