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随筆 春・夏・秋・冬、春・夏・秋・冬

春はあんまり好きではない。
新学期・新生活・新社会人・新入生…
新しい何かを強制的に始めなければいけないような気にさせられる。
そんなものはどうだっていい。やりたくなったらやればいいし、やりたくなかったらやらなくていい。

友達ができない。
何かしらの1年生になる度、憂鬱だった。
周囲の人間がするすると容易そうに集団を作っていくのを黙って見ていた。
こいつらは元からの知り合いか、あるいは前世で出会っていたのか?
いともたやすく友達になっていく様を見ながら、同時に世界に取り残されたような気になる。
始めのうちは焦って、皆の真似事をして輪に入ってはみたが、
あまりの居心地の悪さに段々息ができなくなって、面倒くさくなって、いつの間にか姿を消している。
しまいにはそれにも慣れて、最初から輪に入る、あるいは輪を作ろうと試みるのを辞めた。

なんにも共感できない話に「わかる~!」っていうふりをすることに疲れる。
息が詰まる。
だから春は好きじゃない。


夏も苦手。
暑い。虫が多い。あんまり寝れない。窓を開けて寝たいけど、虫が入ってきて最悪な気分になる。
一晩で10箇所刺されたことがある。
虫が嫌い。


秋もそんなに。
なんだか寂しい感じになる。大きなイベントもないし、そもそも友達のいない私には関係がない。
あと春が近づく気配が少しだけする。
「2年生の3学期は、3年生の0学期です」的な。


冬も勘弁してほしい。
寒い。ただただ寒い。北国だから雪が降る。雪かきがしんどい。雪に関するご近所トラブルも面倒くさい。
ただでさえ風呂に入るのが面倒なのに、寒い中服を脱ぐという行為は正気とは思えない。
あったかいお湯に浸かり、そこからわざわざ出て、体を冷やして、また服を着る。
クリスマスには、恋人を作らなければいけない空気感がそこら中に漂っていて辛い。
知らないおじさんの誕生日が何だというのだ。
あげるものも貰うものも思い浮かばないのに、プレゼントのやり取りをしなければいけない。
そこそこ大きなイベントだから、適当なものはあげてはならない感じも、辛い。
正月は、あまり興味のないテレビ番組しか放送されない。だからテレビもあまり観なくなった。
そろそろお年玉を、親戚の子どもたちにあげなければいけない年齢に差し掛かってきて焦る。
他人の子どもに金なんざくれてやる義理はない、という気持ちと、
「あいつはお年玉くれなかった」あるいは「このくらいの金しかないのか」と思われたらどうしよう、
という気持ちが同居する。
いつまでも子供でいたい。



巡り巡って、春は好き。
一年経つとそれなりに話のできる他人もほんの少しだけいて、出会いにちょっと感謝する。
満開の夜桜の下で、知ってる話をされたことを思い出す。
思い出のベンチが取り壊されて、立ち入り禁止になったことも。
向かい合って始めた約束が、いつしか同じ方向を向いていたことも。
あのベンチにはもう戻れないけど、ベンチに座ったことだけはずっと忘れないであろうことも。


巡り巡って、夏は好き。
陽が沈んだ部活帰りに、自転車を走らせながら浴びる、生ぬるい風。
汗が少し冷えて、ちょうどいい感じになって、それすらも懐かしく思う。
花火がどうだったかは覚えていないのに、花火を観に行ったことは覚えている。
ただただ大きな、人の形をした提灯を引っ張る祭り。
理由もなく熱くなる人々。祭りが人の血を滾らせる。
そういう人の群れを眺めるのが好きだ。

何もかも夏のせいにしていいらしい。
そんなに夏のせいにしたいこともないけれど。


巡り巡って、秋は好き。
遠くの山が色づいているのには興奮する。秋は訪れが分かりやすい。
小さい時は、十五夜になると、お団子とその辺で取ってきたススキをお供えしていた。
月には本当は兎がいないと知った今も、あの時の気持ちを忘れないでいたいと思う。
あんなに分かりやすくやってきた秋は、いつの間にか、あっという間に、いなくなっている。
その潔さに、惚れ惚れする。


巡り巡って、冬は好き。
一人で寝る布団より、誰かと潜る布団のあたたかさ。
少し重たい布団に包まれる喜び。
息苦しくなって顔だけ出した、頬の冷たさ。

スキーの授業が終わって、朝から身体に巻いていたタオルを取るときの気持ちよさ。
ひんやりとした肌着が心地よくて、先生の声が段々遠くなっていく。
あれ以上の快感を、私はまだ知らない。

歩道に積まれた雪を手のひらで攫っていく帰り道。
ありとあらゆる電柱や看板を狙う雪玉。
あるいは家につくまで転がし続けたらどのくらいになるのかという好奇心。
綺麗なつららは口に入れたくなって、やっぱり冷たくて、
家に帰るとそんなもの食べたらお腹壊すのよ、と怒られるのは世の常。
毎年毎年それを繰り返して、大人になっても、雪の指先の平行線は止められない。
でも、いつか自分の子どもがつららを食べたりしたら、ちょっとは止めるかもしれない。


巡り巡る季節は、好きだったりそうでなかったりする。
心はあの時のまま、身体だけが大きくなっているということも思い知らされながら。

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