「生きてるだけで、愛。」を観た

「生きてるだけで、愛。」を観た。

趣里さんと菅田将暉さんの演技は圧巻だった。

物語は一人の双極性障害(躁うつ病)と過眠症かもしれない女性(寧子)のはなし。

※このあとはネタバレになっちゃうかもしれないのでネタバレ大丈夫な人だけ読んでください。

なぜかもしれないのかというと寧子は医師の診断を受けていないから。

無職だから医療が受けられない。そんな現実が寧子を追い詰める一つになっていたかもしれない。

ちゃんと治療をしていれば・・・と思うところもたくさんあった。

一見甘えに見えるずっと寝ているという行動。

彼である津奈木は住むところを与えてくれているしご飯も買ってきてくれる。寧子は一方的に津奈木に当たっている。

それだけ見るとなんて自堕落で嫌な女なんだと思うだろう。でもちゃんと見ていると努力をたくさんしている。

たくさんの目覚まし時計・・・彼が温かい料理が久しぶりに食べたいと言えば料理をしようと努力はする。

そんな日常は津奈木の元カノ・安堂が現れたことで変わっていく。

安堂は自分が津奈木の彼女になるために寧子を自立させようとして無理やりカフェバーでバイトさせようとする。

カフェバーの人は優しくて家族みたいに寧子を受け入れてくれる・・・

そうこれだ。これが問題なのだ。

一見親切な人が受け入れてくれたと思うのだ。

でもそれは寧子の状態を見ているわけではない。

もちろんいい人なのだ。

いい人だからこそ厄介なのである。

やる気があれば・・・わかってくれる人がいれば・・・楽しくご飯を一緒に食べれば・・・

無垢な人たちの言葉の刃が寧子に刺さっていくのが見える

自分はこの親切な人たちとは違う生き物なのだ。同じ人間に見えるのに本当は違うのだと突きつけられる。

それを突き付けられたとき人はどうするのが正解なのだろう?

みんな一人ひとり違うのだから当たり前?

そんなこと言うのは簡単だ。

受け入れてくれる。助けてくれる人はいない。

「いいよね津奈木は私と別れられて。私は私と別れられない」

この言葉は私の心にも深く突き刺さった。

津奈木もカフェバーの人も別に寧子と別れることは簡単なのだ。

だから決して深くは関わらない。だけど助けてはくれる。

でも自分は自分と別れることなんてできない。どんなにつらくても逃げたくても自分は自分で追ってくる。

そんな現実を容赦なく突きつけられる。

一瞬でもいい自分のことをわかってくれる人がいたら・・・それは幸せなのかもしれない。

でもそれも途方もない生きている中の一瞬だけ。

生きるって孤独だなと考えるなどした。

心にずしんとくる映画だった。


寧子のように心の問題で悩んでいる人がいたら市役所や精神保健福祉センター、社会福祉協議会などに相談してほしい。

ひとりで解決するのはなかなか難しいから専門機関への相談が必要だと思う。

みんな何かしらの悩みは抱えているだろうしこの映画の登場人物の誰の心にも暗いところがあると思う。

それが人間だと言われてしまえば終わりだけれど、出来れば少しでもそういう人が減ったらいいなと思う。

少しの瞬間でも生きていてよかったと思える世界だったなら・・・。



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