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その際(きわ)をば、面白しなどとも云ふべからず:モノから得られる感覚と、そこから広がる時空間。

これは、世阿弥の『拾玉得花』にある一節です。このあと、以下のような文章が続きます(ただし、抜粋。引用は岩波書店刊「日本思想体系」第24巻『世阿弥 禅竹』に拠る。表記については私意により改めたところがあります)。

「面白しとは、一点付けたる時の名也。一点付けざる以前をば、何とか云ふべき」「遊楽(能のこと:山縣補注)の面白きと見る即心は、無心の感也」「言語を絶したりしは妙、すでに明白となるは花、一点付くるは面白なり。しかれば、無心の感、即心はただ歓喜のみか。覚えず微笑する機、言語絶して、正に一物もなし。ここを“妙なる”と云ふ。“妙なり”を得る心、妙花也」

これを思ったのは、ALL YOURSの木村昌史さんの以下のTweetでした。

これはまったく同感で、じっさいにハイキックジーンズに試着で初めて足を通したときに感じたことと、ほぼ完全に重なり合ったのです。そして、今夏、毎日のように、ではなく実際に毎日袖を通しているAMIDOもまた同様です。

いや、何でこんなことを書き出したのかというと、今日(2021年7月22日)は奈良の中川政七商店さんの鹿猿狐ビルヂングで、こういうイベントがあったからです。

お昼には能も観てました。浦田保親さんの『景清』、ちょっと気になるところがなかったわけではなかったですが、この方の身体(とりわけ腰から背筋、首筋に至る)の締まり具合が素晴らしくて、目の離せない舞台でした。こちらはまた折を見て。

ALL YOURSさんの考え方については、折に触れて伺ってきたので、もちろん既知のこともありました。しかし、今日は木村昌史さんのお話、そしてそのあとにあった最所あさみさんがファシリテーターに立たれたセッション2と3と続けて伺って、いろいろと思索をかきたてられました。

以下は、イベントでの話を踏まえた、私のメモ書きです。私の思索も含まれていますので、純粋なイベント・リポートではありません。その点はご了承ください。

すべてにおいて“U”が中心にあること。その含意。

ALL YOURSさんのおもしろい、というかビジネス的な通念からすれば異常ともいえることのひとつが、13区分のサイズ設定かもしれません。アパレルの内部事情には詳しくありませんが、ここまで細分化されたサイズ区分はあまりみたことがありません。しかし、これはどんな身体的特徴を持った人でも、ALL YOURSの服や考え方に共鳴して着たいと思った人に着てもらえるようにという考え方に発するもの。これを実現するために、商品の種類数をかなり絞り込まれたとのことです。しかも、性差の区別がないことも、基本的な考え方の一つに含まれています。

inclusiveという言葉がよく用いられていますが、これを実際にやっていこうとすると、越えるのがなかなかに難しい関門も少なからずあります。にもかかわらず、「着たいと思ってくれる人に着てもらえるようにする」という考え方の軸を確ともっているがゆえに、そこを越えていこうとしている。ここにこそ、上に掲げた節題が単なる建前ではなく、実際のものとして具現化されていっている所以をみることができると思うのです。

今日のイベントの再終盤に、木村昌史さんからこんな発言がありました。私のTweetで恐縮ですが、以下です。

ここでの「自分自身」とは、木村昌史さんご自身のことです。木村昌史さんがこれまで経験してきたこと、考えてきたことなどなどを顧みられつつ、出てきたこの言葉は、真ッ正面をきれいに打ちぬかれたような爽快な感覚がありました。

これ、木村昌史さんというn=1の体験をご自身が深く掘り下げたり、おそらくはずらして考えてみられたり、いろいろと思索と実践を重ねながら「こういうのが欲しい」というところの帰結として、今があるという趣旨だと、私は理解しました。もちろん、それは手前勝手な範囲ではないわけです。自分自身を起点に考えながら、それが「他の人だったらどうか」ということを、意識的あるいは無意識的に同時に考えておられたからなのかな、と、私は思うのです。

アウトプットよりアウトカム。サービスドミナント・ロジックとの接点。

ちなみに、ここでのアウトカムとは「製品、サービスからもたらされるもの」と定義されていました。

これ、サービスドミナント・ロジック(S-Dロジック)に親しまれたことのある方なら、このアウトカムこそS-Dロジックにおけるサービス(Service)概念に相当することは、すぐ直観されるのではないかと思います。これについては、後ほど。

これが、たとえば私も大好きなハイキックジーンズという商品の名称にもあらわれているとのこと。

というのも、ハイキックって素材の特徴や質などではなくて、まさに「ハイキックできる(くらいの伸縮性がある)」というアウトカムであるわけです。そのアウトカムを考えた帰結としての、この名前であるわけです。

だからこそ、とあるアパレルブランドがこの名称を断りなく使ったときに、ALL YOURSさんが冷静かつ厳として対処されたのは、まさにこの姿勢に発するものであると思うのです。今さらこれを持ち出されるのはご本意ではないかとも思うのですが、余計な憶測を招かないために、ALL YOURSさん(木村昌史さん名)のプレスリリースもリンクを貼っておきます。

こういったアウトカムに軸を置く姿勢というのは、ユーザー中心であり、またS-Dロジックがいうところの、まさにServiceであるといえます。

S-DロジックにおけるServiceとは、いわゆる無形商品としてのservicesとは別です。私は、どちらかというとフランスの経済学者セイが用いた“効用”といいう概念を用いたいのですが、これも多様な意味合いで用いられるので、悩ましいところです。

S-Dロジックの概念枠組のなかでおもしろいのは、価値創造を資源統合という概念から捉えようとするところです。ここにいう資源統合とは、あるアクターが創出・提供した価値提案(オペランド資源)が、それを享受するアクターによって受け取られ、そのアクターがもつオペラント資源(価値提案を活用できる視座や技術、能力とさしあたって言っていい)によって、そのアクターの生活に摂り込むというプロセスをさします。

つまり、ハイキックジーンズという商品における「ハイキック」とは、まさに「ハイキックできるほどの柔軟さを感じて、履き続けることができる」というアウトカム、S-Dロジック的な意味でのServiceを象徴する言葉であるわけです。

ここのところ、じつはS-Dロジックを考えるときにものすごく重要なポイントの一つではないかとも思うのです。別にS-Dロジックは倫理性・道徳性を押し出した概念枠組ではありません。が、20世紀型の機能分化した社会から、複数機能が重なり合った状態を考える必要が出てきた21世紀型の社会において、価値創造という事象あるいは営為を捉えようとすると、個々のアクターを、もっといえばアクターの生活を動態として見ていかないといけないということは言えるかと思います。S-Dロジックは、この点を考え、構想していくための手がかりを提供してくれると考えています。

ちなみに、S-Dロジックは個々のアクターの生活(いわゆる生活だけではなく、むしろ生存の動的姿といったほうが適切)を描き出すところまで議論を進めているわけではなさそうです(論文の見落としはたくさんあると思うので、そこはご容赦を。これから研究します)。この点、ニックリッシュの内部価値循環と外部価値循環という価値循環思考を援用すると、クリアになるのではないかと考えています。が、これはある学会で報告する予定なので、ここではここまでで(笑)

さて、今日のイベントのセッション2で、むねサンダル / サンダル王子こと川東さんと、東吉野村でオフィスキャンプを運営されている坂本さん、そして最所さんも一緒に登壇されました。

そのなかで、「商品の人格化」というフレーズが出てきました。これも、すごく興味深いところで、価値提案をそれ自体もアクター(ラトゥールの言葉でいえば、actant)ととして捉える視座ともみることができます。

そう考えると、ALL YOURSさんが想い描かれている生態系の動的特性が浮かび上がってくるわけです。

コミュニケーションする相手は、それぞれ独自。そういう視座に立って展開されるディスコース。

今回のイベントのなかで、木村昌史さんから「使い手側の言葉に翻訳する」「“これは私が買うべき商品だ”と思ってもらえることが大事」といった趣旨の発言がありました。これに呼応するかたちで、最所さんの「接客とはセラピー」という考え方も紹介されました。

ここに通底するのは、コミュニケーションにおける“隙”あるいは“余白”でありましょう。つまり、受け手が微細なる誤解もなく発し手の発信を受容するというコミュニケーション観ではなく、コミュニケーションはそれぞれに異なる文脈に立脚した唯一独自の存在として“その人”との相互応答で、そこには渡邉康太郎さんの言葉を借りれば「誤読」をも含むわけです。この「誤読」は単に意思疎通不全としてのみとらえられるべきものではなく、時としてコミュニケーションのスコープを拡張させたり、ずらしたりします。ここに意味の変容が生じるわけです。

だからこそ、広報という概念はあまりなくて、一人ひとりのお客さん(ALL YOURSの用語を使えば、「共犯者」)との相互応答こそが大事ということになるわけです。オンラインにせよオフラインにせよ、ツールはそのための道具だということになります。

そして、このコミュニケーションは、いわゆる人と人との会話だけをさすのではありません。むしろ、商品を介したディスコースも含まれています。「含まれている」というと付帯的に感じられるかもですが、そうではありません。これも重要なコミュニケーションです。

もっといえば、対価を支払うという行為もまたコミュニケーションであるといえます。その商品のアウトカムであったり、それを創出したALL YOURSという会社やそれを構成するメンバーであったり、さらに遡れば生地生産や縫製などをしている企業さんであったり、そういったアクターたちの協働の帰結に対して、「この価格、あるいはそれ以上の価値がある」という意思の具現化として、対価を支払うという行為を捉え返すことができるわけです。

こういったALL YOURSさんをめぐるコミュニケーションないしディスコースは、ひとつのあるべき姿を示しているようにも思います。もちろん、日常的にはさまざまな問題や課題が浮上しているとは推察しますが。ちなみに、今日のイベントにおいでだった木村祥一郎さんの木村石鹸工業さんも、コミュニケーションに関しては、まったく同じ姿勢を感じます。

モノ派とサービスドミナント・ロジック、などと。

そろそろ終わりにしようと思います。
で、ちょっと話が逸れるのですが、中川政七商店さんの鹿猿狐ビルヂングの3回のJIRINが今日の会場でした。前に伺った折に、書架に李禹煥『余白の芸術』という本が置いてありました。

これにちょっと魅かれるところがあって、その後、『両義の表現』と李禹煥の研究書とを買うことがありました。

この方は、モノ派というアプローチに立脚していると、ご自身でも書かれています。私は、このアプローチの作品そのものは今一つよくわからないところもあるのですが、しかし提唱している内容については理解できるところがあります。

冒頭に掲げた木村昌史さんのTweetなどは、もちろんモノ派とまったく同じというわけではないです。しかし同時に、そのモノがいかなるアフォーダンスを内包し、それを人が使う(着る)ことによって、いかなるアフォーダンスを発揮するのか=アウトカムを発揮するのか、そしてそれが享受した人にどんな感覚や価値をもたらすのかを考え抜いています。ここにおいて、関係性的な視座の共通性は見いだせるようにも思います。

ということは、S-Dロジックを考える際に、servicesに引き寄せられて、価値提案媒体としてのモノがもたらすアウトカムを軽視するようなことがあってはいけないわけです。このあたりは、もうちょっとさらに考えてみたいと思います。

終わりに。Ecosystem-orientedな価値創造の可能性。

書いているうちに、日付が変わってしまいました。それにしても、濃密でおもしろいイベントでした。これは1時間半で終われるようなテーマではなく、合宿が必要です(笑)それくらいおもしろかったです。

ALL YOURSさんのようなLocality(これは、いわゆる地域ということだけをさすのではありません。ここはまた別途に考察します)にねざした生態系(エコシステム)を構築しながら、価値創造をおこなっていこうとする試みは、これからの一つのありようであると、私は考えてます。

同時に、生態系を構築するといっても、Globalityを志向するようなケースもあるわけです。同じ生態系といっても、その場合の設計原理 / デザイン思想は異なってくるでしょう。その意味で、GlobalityとLocalityを理念型として措定して、そのあいだのグラデーションとして捉えていく必要がありそうです。

いずれにしても、価値創造実践が生態系 / Ecosystemをベースにしつつあるという点は、これからの経営を考えていくうえでの一つの重要な手がかりになると思います。

そして、ことにLocalityを軸として考えていく場合には、言語化できないような感覚、アウトカムもまた、きわめて重要な位置づけを占めるのではないかとも予想しています。

その点でも、すごく重要な思索の手がかりをもらえるイベントでした。


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