省みる日。2021年度合同ゼミ。
昨日(2021年12月18日)は、たぶん7年前から参加させてもらってる6大学8ゼミ(この数値は変化します)合同研究報告会でした。まずもって、いつも運営してくださってる先生方に心から御礼申し上げます。
この合同ゼミの意義。
この合同研究報告会(以下、合同ゼミ)では、それぞれのチームが自ら設定した問いやプロジェクトなどから導き出された問いを起点に、研究報告します。山縣ゼミは、ここ数年、価値創造デザインプロジェクトという協同実践による学びを展開してることもあって、研究テーマの源はこのプロジェクトから生まれてます。
ちなみに、この合同ゼミでは参加学生の相互評価(同じゼミの他チーム報告は評価対象外)による“コンクール”と、教員の視点からの“教員賞”からなっています。学生にとってみたら、順位は気になるもの。しかし、それは“結果”にすぎませんし、いろんな状況にも左右されます。だから、メンバーにはいつも「順位はどうでもいい。ちゃんと考え抜いて、やりきったかどうかこそが大事」と言い続けてます。
こういう対外的な錬磨の機会は、やはり学びに本気で取り組むうえで、すごく大きな意義をもっています。
さて、今年はどうだったのか。
自分に向けた反省。
学生の相互評価では高い評価をもらえたチームも複数あって、それだけ見たら「よかった」とはいえるかもしれません。しかし、私自身としては、すごくモヤモヤしてました。
じつは、やってる最中から不安はかなり募ってました。プロジェクトそのものについては、かなりがんばってもいるのですが、それを研究として客観化することができてない憾みがあったからです。もちろん、そういう傾向は毎年あるのですが、今年はそれが顕著でした。
これをゼミメンバーの責に帰するのは、ちょっとどうなのかなと思うところもあります。実際、ウチの学部ではリサーチメソッドであったり、そもそも研究する*とはどういうことなのかということを早いうちに実践的に学ぶカリキュラムが設定されていないからです。
とはいえ、それがないなら、ゼミで伝え、また実践していかなければならないわけです。今期、プロジェクトにやや比重が寄りすぎて、そういった探究するという側面がおろそかになっていたという反省を、今、自らに強く痛感しています。
その点で、たまたま昨日(12月18日夜)に髙橋一也先生がお書きになられたこのnoteは頂門の一針どころか、心臓を真っ芯にぶっ刺される感がありました。有料部分がありますが、ぜひ。
ここ数年、価値創造デザインプロジェクトそれ自体は、軌道に乗りつつあるといってもいい状態にはなっています。これは、プロジェクト先のみなさんのおかげで、ほんとに感謝でいっぱいです。
ただ、それが結果として、ゼミのなかでの探究的な側面にかける時間やエネルギーの比重を低めてしまっている可能性があるということを、昨日の合同ゼミで、私の課題として突きつけられた感があります。言うまでもなく、プロジェクト型の学びは、学生にとって、単に実践的であるがゆえのみならず、そういった実践的な学びのなかから問いが湧き起ってくるという点で、きわめて大きな意義があります。なので、お相手くださるプロジェクト先がある限り、続けていくつもりです。
同時に、やはりもっと文献を読む(読むだけでなく、報告&議論する)機会や、リサーチ方法について学ぶ(やりながら学ぶ)機会などをちゃんと準備しないといけないとも痛感しました。学史研究者である私がこんなことを言うてる時点で、もっと自身を愧じなければなりません。
いずれにしても、私にとって、いろいろと反省を促される合同ゼミでした。
こういう場で、どういう報告や質疑をめざすべきなのか。山縣ゼミとして。
ゼミでの学びのありようは、それぞれに違ってていいと思います。得意な領域や方法論も多様であったほうがおもしろいですし。
じゃあ、そんななかで、山縣ゼミとして大事にしたい点って何なんだろうか。
あらためて考えてみたとき、やっぱり「構えをしっかりと」「切れ味鋭く」というところかな、と。
「構えをしっかりと」というのは、問いをしっかり見定めて、それを考えていくのにふさわしい概念枠組を、できるかぎり咀嚼消化して、考察に活かすということです。今回のメンバーの報告、プロジェクトが充実しているからということもあるのでしょうけれども、素材としては盛りだくさんでした。ただ、それをどう料理するのかというときに、包丁であったり、料理の仕方であったりという点が、やや等閑になっていたことは否めません。
そして、「切れ味鋭く」。これは、私もそうできてないので、メンバーと一緒にやっていくしかないことです。「切れ味鋭く」というのは、結論だけのことではありません。もっというなら、問いそれ自体が「さこそ」と思わせるものでなければなりません。現実に起こっている事象を、それをより的確に捉えることのできる理論枠組 / 概念枠組を用いて解明していくこと、そしてそれにふさわしい分析方法にもとづいて、データを収集し、それを分析する。そして、問いに対して見解を導きだしていく。うん、これって研究する際の王道です。これを地道にやっていくしかないわけです。
あともう一つ大事なこと。
これは、ゼミのメンバー(だけではなく、今回の合同ゼミでの報告で全般的にすごく感じたこと)の報告を聴いていて感じたのは、問いから結論に到る全体構成がなかなか描き出せていないという点です。これは、研究報告の準備の応対をしながら、部分々々について細やかに質問しにくることは多いものの(そのこと自体は何ら悪いことではない)、全体構成を考え抜いて見せにくるというケースが少なかったことともつながっています。
この全体構成、教員が提示しちゃったらダメなんですよね。そりゃ、教員が提示するのは楽なことです。でも、ここを描き出せるかどうかが肝腎なので。もちろん、アドバイスはいくらでもします。けれども、自分たちのプロジェクトにせよ、研究報告にせよ、全体構成を自分たちのものとして提示できなければ、やはり報告してても散漫になるか、あるいは弱くなるか、いずれにせよ、相手に自分たちの見解を伝えることは、きわめて困難です。
上に書いた「構えをしっかり」というのは、この全体構成と重なり合います。同時に、報告の一言一句、「どこを切っても血が出る」くらいに全体がつながっていて、実があるってのが理想ではあります。もちろん、こんなこと書いてる私自身がなかなかそれをできてないわけですが。でも、それを一緒に追求していくのが、ゼミだと思ってます。
Research-orientedなPBLに。
こう書くと、形式ばったPBLに感じられる方もおられるかもですが、そうではありません。上に書いてきたような研究 / 探究のプロセスは姿勢としてのデザインを志向するプロジェクトにおいてこそ、ことに大事になると考えています。
ここでいうリサーチというのは、単線的なプロセスばかりではありません。日常的な観察の蓄積からのブリコラージュも含まれます。もちろん、一方で、学問の領域において磨き上げられてきた(磨かれつつある)さまざまな方法を使いながら身につけていくことも必要です。
これって、窮極的にはカリキュラムをどうデザインするのかという問題にいきつくと思うのですが、それはまた別の機会に考えてみたいと思います。
いずれにしても、探究を通じてプロジェクト先のみなさんにも何がしかの新しい視座を提供できるかどうかが、価値創造デザインプロジェクトにとって、もっともcriticalな点の一つです。来年2月に成果報告会を実施する予定なので、その際にはメンバーたちの研究報告もさらにブラッシュアップされてるはずです。
山縣ゼミ第13期のゼミ長が、合同ゼミを終えて、さっそくにnoteを書いてくれてました。よろしければ、ご高覧くださいませ。
ゼミメンバーは、教員の現状を映しているのかもしれない。それを省みることができる機会としての合同ゼミ。
コロナ禍以降、正直なところ、私もいろいろ浮足立ってしまっているところがあるという自覚はあります。いろんなインプットはかなりできているのですが、思うように論文にできていないことに焦りも苛立ちもあります。これはもちろん、学生には関係のないことです。
ただ、思考思索がとっ散らかってしまっている私の現状が、今回のメンバーの報告に何がしか反映されてしまっているのではないかという危惧を抱きました。そのためには、私自身が「構え正しく」「切れ味鋭く」研究をしないといけません。
そういうことも含めて、合同ゼミというのは、もちろんメンバーのみならず、参加している他の学生も含めて、その学びの成果を知ることができるという点ですごく実り多い催しだと思います。そしてまた、私自身が自らのゼミなどでのやり方を反省することのできる、まことに意義深い機会でもあります。
ほんとに、いつも開催や運営のお世話をしてくださる和歌山大学の厨子先生と神戸学院大学の千田先生には、何と御礼を申していいのか言葉が見つからないくらいに感謝しています。ありがとうございます。
また来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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