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企業行動論講義note[10]「充たし方、充たされ方が変わってきた:新しい価値創造の考え方としてのサービスドミナント・ロジック」

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この内容は、第7講に当たります。講義の進み具合で変動します。
なお、このnoteはクリエイティブ・コモンズ・ライセンス「表示-非営利-改変禁止」です。

みなさん、おはこんばんちは。やまがたです。

前回は、価値創造過程について説明しました。価値創造過程と一口に言っても、企業ごと、事業ごとなど、さまざまな要因によって異なってきます。ただ、いずれにしても「他者の欲望や期待を充たすような効用給付を創出・提供することで対価を獲得し、自らも価値を手に入れる」という点については共通しています。

こう考えるとき、一般的には「どうつくって、どう売るか」という視座になりがちです。一概にそれが間違っているとは言いません。しかし、現代のようにモノやコト、情報があふれかえっているとき、このような視座は往々にして価値創造をしくじらせてしまう危険性をはらんでいます。

たとえば、木村石鹸工業株式会社の社長である(何度かこの講義noteで紹介してるので、そろそろ肩書省略してもいいかなw)木村祥一郎さんの2020年5月30日のツイート。

この木村祥一郎さんの「買ってもらえる」*というフレーズこそが、今回の講義noteの最もコアとなる点なのです。この点について、今回は〈サービスドミナント・ロジック;Service-dominant Logic / S-Dロジック〉という思考枠組を手掛かりに考えていきたいと思います。

* めっちゃくちゃ些細っちゃ些細なんですが、「~(し)てもらえる」という語の用法についても確認。慶應義塾大学の大場美穂子先生の論文(大場美穂子[2014])によれば、「~してもらえる」は可能形式 / 実現可能文として位置づけられ、「主体の意志と事態の実現を切り離して、事態の実現について述べる」ところに特徴があるとされます。そのなかでも、「主体の意志の発動が認められたのにもかかわらず、事態が実現したかどうかについて問わなければならない場合」であり、「その事態が得難く、しかし、望ましい」場合に、「~してもらえる」という表現になるとされます。

今回の場合、「買ってもらえる」というのは、まさにこのような認識の状態をあらわしていると言っていいように思います。それに対して、「売る」という表現には、そういった認識はいっさいあらわれていません。

些細かもしれませんが、言葉の端々にこそ、その人のパースペクティブ(視座とそこから広がっている“景色”)が浮かび上がってきます。優れた経営者 / 企業者の発言には、そういったパースペクティブがあらわれているので、みなさんもぜひ注目してみてください。と同時に、もちろん私も含めて、一人ひとりが言葉を大事にしたいものです。そこには、その人の姿勢があらわれますので。

ここでいう〈サービス〉とは、いわゆる有形財としての製品に対する無形財としてのサービスとは、ちょっと異なります。もちろん、無形財としてのサービスを含まないわけではありません。この点については、後ほど触れますが、モノやコトを含んだ価値提案のトータルなパッケージというイメージでひとまず捉えておいてもらえれば、と思います。

ちなみに、サービスドミナント・ロジックという思考枠組は、アメリカのマーケティング研究者であるラッシュ(Lush, R. F.)とヴァーゴ(Vargo, S. L.)によって提唱されたものです。日本でも研究が進められていて、以下のような翻訳や研究書も出されています。

他にもあると思いますが、さしあたってこれらを挙げておきます。

これまでの価値創造の思考枠組としてのグッズドミナント・ロジック

サービスドミナント・ロジックという思考枠組があるということは、そうではないドミナント・ロジックがあるということなのは、何となく想像していただけるかと思います。もちろん、サービスドミナント・ロジックが提唱されるまでは、特に名前もついていなかったわけですが。

それこそ、最近の大学での学びのオンライン化によって、リアルに教室で実施するやり方を「対面授業」「オフライン授業」と言うようになったわけですが、そもそもそんな名前すらついていなかったわけです。何かに名前がつくというのは、それ以外のものと区別するためだってのが、わかってもらえるのではないかと思います。

その、これまでの価値創造の思考枠組を〈グッズドミナント・ロジック;Goods-dominant Logic / G-Dロジック〉と呼びます。グッズ、つまり物財を主として考えるロジックということです。

この考え方は、もともとの製造業が立脚していた(←ただし、すべての製造業がこの考え方に立脚している / いたという意味ではありません)価値創造の思考枠組をあらわしたものです。

図[10]1 G-Dロジックにおける価値創造の基本枠組

G-Dロジックによる価値創造の図式

おそらく、ほとんどの方は、この図式をみても「うん、そうよな」って違和感なく受けとめられるのではないでしょうか。

この図式のポイントは、価値創造が“つくり手”の段階で完結してしまっているというところにあります。つまり、“つくり手”によって完璧に創りあげられたモノを”つかい手”である消費者(←まさに、この言葉もG-Dロジックだからこそ、ということになりますが、その点は後ほど説明します)が「使って、最終的に捨てる」という構図なのです。

たしかに、大量生産大量消費をベースとしてきた20世紀の社会経済体制(一般的に〈資本主義〉と称されますが、このあたりは慎重に言葉を選びたいというのが、私の考えです)は、このG-Dロジックをベースにして動いてきたといっていいでしょう。

そして、このG-Dロジックは、同時に図[10]2のような前提を有しているといえます。

図[10]2 G-Dロジックにおけるアクター観

G-Dロジックににおけるアクター観

つまり、消費者や従業員は受動的で追随的な存在であるという認識です。今でもこういう認識は、決して少なくはないでしょう。

しかし、ラッシュやヴァーゴは、こういった認識ではない思考枠組を提示します。それが、〈サービスドミナント・ロジック;以下S-Dロジックと略称しますです。

サービスドミナント・ロジックとは?L&V[2016]の基本的前提(FP)と公理*から考える。

* 社会科学においても、ときどき〈公理〉という言葉が用いられます。数学で一般的に用いられますが、議論を展開し、命題を導き出してていくための基本的な仮定(前提)のことをいいます。社会科学の場合は、この〈公理〉自体の現実的な妥当性を問う必要があります。

S-Dロジックを詳細に論じるのは、当然ここでは無理です。関心のある方は、ぜひとも上に掲げた文献を読んでみてください。ただ、今は翻訳が品切れのようです。田口先生の本は、単著としては新しい(2017年)ので、翻訳以降の理論的進展もカバーされています。

S-Dロジックには独自の概念も多く、そこを理解するだけでも一苦労はあるのですが、これからのビジネスを考えるうえで、きわめて重要な思考枠組なので、ぜひこの機会に受講生のみなさんには触れておいてもらいたいと思います。

まずは、ラッシュとヴァーゴが2016年の論文で提示したS-Dロジックの11個の基本的前提について、みていきましょう。

表[10]1 S-Dロジックの基本的前提と公理

S-Dロジックの基本的前提(2016版)

(1)サービスが交換の基本的基盤である:FP1~5を中心に
ここで、まず押さえておかないといけないのは、S-Dロジックにおける〈サービス〉という言葉が、いわゆる有形財としての製品に対する無形財としてのサービス(services;サービシィーズ)とは異なる概念として位置づけられている点です。

もちろん、まったく無関係ということではありません。が、FP3からもわかるように、S-Dロジックにおける〈サービス〉は、より広い概念です。この講義で用いている〈効用〉ときわめて近い内容です。つまり、相手が抱き持つ何らかの欲望や期待を充たし、それによって相手のうちに〈価値〉を生じさせる内容(その瞬間だけでなく、そこにいたる継時的な過程)を、この講義では〈効用〉と呼んでいるわけです。そのために、さまざまなモノやコトなどが組み合わされます。その総体を、S-Dロジックでは〈サービス〉と呼んでいるのです。したがって、交換の媒体となる貨幣も「サービスを得るための権利というサービス」として位置づけられるのです。FP2は、この点を指摘しています。つまり、製品やサービシィーズ、貨幣といったカタチをとることによって、FP1がわかりにくくなってしまうということなのです。

図[10]3 S-Dロジックにおけるサービスの交換

S-Dロジックにおけるアクター観(出典付き)

FP4は、どちらかというと次の(2)で述べたほうが、よりわかりやすいので後述します。そして、まさにこういった事態をひとくくりにして言うと、FP5にあるように「すべての(価値の創造や交換の総体としての)経済は、サービス経済である」ということになるわけです。

(2)価値は受益者を含むすべてのアクターによって、つねに共創される:FP4、FP6~8を中心に
ここが、S-Dロジックの一つの勘所です。

先ほど後述するといったFP4で“オペラント資源”などという言葉が出てきました。受講生のみなさんは、ほぼ間違いなく初耳だと思います。ちなみに、この“オペラント資源”と対になっているのが、“オペランド資源”です。「いやもうわけわからん」っていう声が聞こえてきそうですが、オペラン資源とは、一般的に”資源”と呼ばれているモノやコトで、例えばスマートフォンはオペランド資源です。それに対して、オペラン資源とは、例えばスマートフォンを使いこなす(使える)知識やスキル、能力をさします。

つまり、いくら”高品質”な製品を提供者(=つくり手)がこしらえたとしても、享受者(=受益者 / つかい手)がそれを使えなければ、その製品はただのモノにとどまってしまうわけです。これを別の角度から見れば、「享受者がそのオペランド資源としての効用給付を、自らのオペラント資源を駆使して、その効用を発揮させ、享受したときに、初めてその効用給付は享受者に価値をもたらす」ということになるわけです。

以下の図[10]4は、山縣が価値循環のモデルに即して、今お話ししたことを図式化したものです。

図[10]4 価値循環モデルと価値創造 / 価値共創

価値循環と価値創造(共創)

つまり、ある効用給付が享受者に価値をもたらすかどうかは、その効用給付が享受者の内部価値循環に摂り込まれ、効用を発揮するかどうかにかかっています。だからこそ、製品やサービシィーズ、コンテンツといった効用給付は「価値提案」と呼ばれるわけです。

となると、S-Dロジックにおける〈価値共創〉というのは、つくり手と使い手(さらには、伝え手)が、それぞれのサービス=効用を発揮することで、使い手の内側に価値が生まれるという事態をさしているということがわかります。単独のアクターだけが価値を創造することなどできない、そういう考え方なのです。

私はゲームをやらないので、いささか推測的になりますが、今回の新型コロナウィルスの蔓延で多くの人が任天堂の『あつまれ!どうぶつの森』をやったりしたのではないでしょうか?これなどは、まさにユーザーがゲームでそれぞれの好みの生活空間を構築していく、しかもオンラインを通じた協働も存在するという点で、参加&協働型の価値創造=価値共創という考え方を具現化したコンテンツといえるように思います。

ここまで述べてきたような考え方に立つと、価値提案としての〈サービス〉は当然のことながら受益者(←この講義では、享受者)を軸に考えなければならないということになります。ただ、ここで急ぎめに付け加えておくと、提供者が享受者に従属するということではありません。日本では、「お客様は神様です」という三波春夫(1923-2001;今の学生さんはまずご存じないでしょう)の言葉が誤って流布するなど、やたらとお客が居丈高にふるまうという現象が少なからず見られます。

そもそも、この講義の考察の前提において、それぞれの主体 / アクターはその存在自体に上位優劣があるという考え方は採りません。もちろん、サービスの交換において主導権を握りたいというようなパワーバランス(パワー・アンバランス)が働くのは、何ら珍しいことではありません。しかし、それはそれぞれの存在そのものの上位優劣とはいっさい関係ないのです。

これまでの講義でも説明してきましたが、この講義では「人間は、等しく不完全であり、非完結である」という考え方に立脚しています。だからこそ、価値創造という営みが生まれるのであり、それをよりよく実現しようとして〈競争〉や〈協働〉が生まれるのです。

少し話が逸れました。逸れてはいないのですが(笑)
ここでは、提供者の価値提案を享受者がうけとり、それをオペラント資源によって効用を発揮させ、価値を知覚するという一連の流れ、そして関係性を〈価値創造〉、S-Dロジックにいうところの〈価値共創〉と捉えます

(3)すべてのアクターが資源統合者である
これは、(2)とほぼ重なり合います。すでに、図[10]4でミクロに描き出しましたが、それらがつながりあって、ネットワーク、あるいはエコシステムを形成しているのです。特に、このエコシステムを〈サービス・エコシステム〉と呼びます。

図[10]5 資源統合者 / 受益者としてのアクターとその連鎖

S-Dロジック:資源統合者・受益者としてのアクター(出典付き)

図[10]4を想起すると、ここにいう〈資源統合〉のプロセスが内部価値循環であることは、すぐに理解していただけるのではないでしょうか。オペランド資源が内包する効用発揮可能性(アフォーダンスといってもいいかもしれません)を、オペラント資源によって効用として具現化する=発揮させるプロセスとは、まさに欲望充足過程であり、また価値創造過程でもあるのです。第3講で言及しましたが、家政 / 家計もまた価値創造しているのです*。

* ただし、繰り返しにはなりますが、本源的経営であることをメインとする家政 / 家計の場合、価値創造は明らかに欲望充足の手段です。もちろん、それぞれの家政 / 家計=個々人がどんな生活をしたいのかは、それぞれに異なります。だからこそ、いろんな生活があって楽しいわけで。

一方、企業をはじめとする協働体系(組織体 / 経営)は派生的経営であると同時に、本源的経営としての側面を持つこともあります。B to Bの場合は、まさにそうですよね。なので、すべての個人&協働体系(=経営)は本源的経営であり、かつ派生的経営であるという両面性を持っていることは、頭の片隅に置いておいてほしいなと思います。だからこそ、ラッシュとヴァーゴはアクターを資源統合者であり、受益者だと位置づけたのだと、私は考えています。

(4)価値は、つねに受益者によって独自に、現象学的に判断される
この公理も、この企業行動論を続けて受けて(あるいは、この講義noteを続けて読んで)くださってる方にとっては、それほど目新しい話ではないかもしれません。

ここで主張されているのは、文脈における価値(Value in Context)の重要性です。S-Dロジックの最大の特徴は、価値は享受者(受益者)による資源統合においてあらわれるという捉え方をしている点です。資源統合とは、さまざまなオペランド資源がもつポテンシャルを、オペラント資源を通じて効用として発揮させ、享受者(受益者)が置かれている文脈において価値として発現させていくプロセスとして捉えることができます。

まさに、内部価値循環です。

ここで重要なのは、価値の現れようは享受者(受益者)の文脈によって異なってくるという点です。この話は、価値が主観的性質をもつということをすでに理解してくださってるみなさんには、今さらの話といっていいでしょう。

(5)価値創造はアクターが創造した制度や制度配列を通じて調整される
これは、S-Dロジックのなかでも後になって追加された公理、基本的前提です。

S-Dロジックに立脚すると、図[10]5のように複数のアクターの関係性、あるいはネットワークのなかで価値の共創がなされるという考え方に行きつくのは当然です。このネットワークを〈サービス・エコシステム〉と呼びます。

サービス・エコシステムというレンズで、価値の創造や交換(S-Dロジックの言葉でいえば価値共創)を見てやると、(1)で述べたサービスの交換(経済的現象としては取引という姿として現れることが多いですが、贈与のような短期的均衡をめざさない交換も含まれます)は、たとえば共通言語や価値観、共有された意味体系、それらが明文化されたルールなど、これらを含む概念としての制度制度配列(相互に関係のある制度の集まり)を通じて調整され、遂行・展開されるという事態が浮かび上がってきます。

図[10]8 サービス・エコシステム

S-Dロジック:サービス・エコシステム(出典付き)

この制度や制度配列は、必ずしも外部からのみ与えられるものではなく、むしろ自生的な側面も多分に有しています。このあたり、以下の文献の第18章では社会学の理論的知見を基礎にして議論を展開しています。

ただ、もう少し理論的な幅を広げると、第二次世界大戦前後にドイツで展開されたオルド・リベラリスムス(秩序形成を志向する自由主義。新自由主義と訳されることもありますが、現在の新自由主義とは大きく異なります。レプケやオイケンといった学者が知られています)や、ブキャナンの立憲的政治経済学など、自由な取引を前提としつつ、それを成り立たせる秩序の可能性を問う議論も存在します。

ちょっと専門的なところに足を踏み入れてしまいましたが、S-Dロジックは経営やマーケティングといったビジネス現象というだけでなく、そもそもの背景としての社会経済のありようや、そのデザインをどう捉えるかという点にも結びついてくるのです。

で、S-Dロジックって何?

ここまでS-Dロジックの基本的前提と公理、特に後者に注目して、その特徴について見てきました。

S-Dロジックはマーケティング領域において議論されることが多いのですが、より広く経営現象、あるいは価値創造現象を捉えるうえで、きわめて重要かつ大胆な思考枠組です。あくまでも、価値が価値提案を担うアクターと受益するアクター(享受者)の共創において生じるという点に徹して議論を展開しています。

これは必然的に、受益者(享受者)の文脈を起点として、ビジネスをめぐる諸行為が展開されるという視座をもたらします。しかも、従来のように単独の企業が軸になって価値創造(S-Dロジック的には、価値提案)するというよりも、サービス・エコシステムを通じて、あるいはプラットフォームを通じて受益者(享受者)に価値提案がなされるという理解に立つことになります。

この点に関して、明治大学の渡邊恵太先生は、PDU(Platform / Developer / User)というモデルを提唱しておられます。

このモデル(概念枠組)は新しいものですが、ただ例えば京都の花街(祇園など)のしくみもまた、これときわめて近いものがあります。こういう文献もありますので、ここからさらにS-Dロジック的な観点から分析してみるのも興味深いと思います。

このような特質を持つS-Dロジックが、最近の価値創造の視座&アプローチとして注目されているサービスデザインと密接に結びつくのは、当然といえます。このあたりの理論的な基礎づけについては、ようやく議論が深まり始めました。

この点については、私自身もこれから研究を深めていきたいと思ってます。

【補論】動詞的思考としてのS-Dロジック
S-Dロジックもですし、またサービスデザインもそうなのですが、モノ、つまりGoodsという名詞ではなく、アクターがモノやコトを用いて何をするのか、すなわち動詞で考えなければなりません。

ここのところは、なかなか慣れないと難しいのですが、アクターがいかなる行為や思考、感情の連続(シークエンス)によって生きているのかを物語として描き出すことがポイントになってきます。

価値もまた、行為から生じるものです。そう考えると、この動詞的思考というのはきわめて重要な思考起点といえるでしょう。

S-Dロジックと価値循環思考:サービス・エコシステムを動的に捉えるために

あまりおおげさは言い方は個人的に好きではないのですが、S-Dロジックは、今までのビジネスをめぐる考え方に大きな変容を迫る、そう私は捉えています。

単に「モノからコトへ」というようなフレーズで捉えきってしまうのではなく、一人ひとりのアクターがどう動いているのか、そこから考えるところにこそ、S-Dロジックの重要な意義があるわけです。拡大解釈は避けねばなりませんが、発し手(つくり手)だけの視点になることを許さないのが、S-Dロジックだと思うのです。

そう考えると、講義note[06]でも触れたニックリッシュの本源的経営と派生的経営という概念枠組が、生きてくるのです。

ニックリッシュは、充たされたい欲望を抱く活動主体を本源的経営、その本源的経営の欲望を充たすような効用給付を創出・提供する活動主体を派生的経営と位置づけました。受講生限定のオンタイム講義では質問やら「ちょっとわかりにくい」(←たぶん、「だいぶ」わかりにくかったんだと思いますw)というコメントももらったので、復習がてら何度か解説しました。

あるアクターが永遠に本源的経営であるとか、別のアクターが恒久的に派生的経営であるとかいうようなことはありません。たとえば、派生的経営として位置づけられる企業だって、自らの生存を維持するためには必要な資源を獲得する必要があります。その点で、本源的経営か派生的経営かというのは局面による相違だということもできます*。

* ただ、根本的には、個人が本源的経営で、企業を含む協働体系は派生的経営であるということはできると思います。

そういった個々のアクターが、それぞれ持っている資源(とりわけ、オペラント資源)を駆使して、接しているモノなどのオペランド資源から発せられる効用を具現化していく。その際には、他のアクターとのやり取り、関係性が生じる。その関係性の網の目(ネットワーク)が、サービス・エコシステムとして顕在化していくわけです。

そこには、参加するアクターがそれぞれに抱いている欲望や期待(今さら言うまでもないですが、これは物質的な欲望に限定されません)が、効用発揮可能性を持つ資源のやり取り(外部価値循環)と、それぞれのアクターが持っているオペラント資源による内部価値循環への摂り込み(=資源統合)によって充たされ、そこに価値が創造される(トータルにみれば「共創」される)という、トータルな価値循環が生じています。

このトータルな価値の循環をいかにしてデザインするのかが、サービスデザインであると、私は考えています**。

** このあたりの議論は、〈自由〉をめぐる社会科学史・社会思想史と深くかかわってきます。いろいろ言及してみたいこともあるのですが、ちょっとここは寝かせてから書くなり、お話しするなりできればと思います。

いちおう、これは講義noteなので、あんまり深いところに踏み込みすぎると収拾がつかなくなる恐れがあります。なので、いったんこのあたりで〆にかかろうかと思います。

協働を通じた価値創造の原理としてのS-Dロジック。まとめとして。

現代の社会経済において、価値の創造が協働を通じてなされているというのは、おそらくだいたいは認識として共有してもらえるのではないかと思います。こういうと、個人の独創性は?ってすぐに訊かれるわけですが、協働を通じて価値を創造するというのは、そこに参加する個人の活動があってのことです。そこを対立的に捉えること自体が正鵠を射ていません。

協働そのものを捉える理論は、これまでもたくさん提示されてきました。しかし、「じゃあ、それがどう価値の創造につながるのか」という点については、まだまだ解き明かされてはいません。おそらく、ここには偶然的な側面も含まれているので、完全に解明されることはないでしょう。むしろ、完全に解明されたら、おもしろくないような気もします(笑)

S-Dロジックは、たしかに出発点としてはマーケティングの領域での議論だったわけですが、それにとどまらない可能性をもっています。そして、2019年あたりから指摘され始めていた”アフターデジタル”の状況において、特に重要になってくるのではないかと思います。

興味ある方は、ぜひS-Dロジックについて、上でも紹介した文献に触れてもらって、考える手がかりとしていただければと願っています。

次回は、今回の価値創造をめぐる議論にもすでに入り込んでいましたが、価値交換の問題について考えたいと思います。

ということで、ではまた次回に。
ばいちゃ!






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