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セピア色の思い出 3

「亡き母は看護婦」

母の白い腕の中
注射をされる
母の白い看護着
その胸の中で泣きじゃくる
幼い頃の私の姿

亡き母は看護婦
微かな思い出が
セピア色の夢となり
私に逢いに来ます

夢喰いよ
どうかこの夢だけは
喰わないで欲しい


今は亡き母の思い出の写真は、私を抱いて撮ったこの一枚だけ。セピア色の思い出写真です。母の実家の家の前で撮ったのでしょう。私の大切な一枚です。

母は戦時中から日本赤十字病院で看護婦をしていたと聞きました。終戦の年に18歳ですから、まだまだ経験の浅い看護婦でした。そんな時代ですから、戦争で大怪我をした人達を看護していたと聞いています。

今は「看護師」と呼ばれていますが、その頃は女性だけの職業で「看護婦」と呼ばれていました。

私が小学校一年生、昭和35年のころ、目に焼き付く思い出があります。

それは街頭で、戦闘帽に白い装束、松葉杖をついた片足の傷痍(しょうい)軍人の姿を見ることです。傍には3本の木の棒で組んだヤグラに、小銭の入った鍋が吊るされていた光景です。自らの姿を見せて小銭をもらっていたのでしょう。それは何度も見た悲しい記憶です。

看護婦だった母はそんな軍人を看護していたのでしょう。

話は少しもどりますが、私が小学校に入る前の幼い頃のお話しです。記憶というより夢の中の思い出なのでしょう。母はその頃、ある鉄工所の診療所で看護婦をしていました。
私のその夢の中に、白い看護着の母に注射をされた光景が浮かびます。幼い私は注射をされて、母の胸の中で泣きじゃくっています。

そんな1シーンです。でもそれは大切な大切な思い出として今も心の中に残っています。

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