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山口裕一郎とは?【売れないバンドマンから年商1億】TV出演&本12冊出版の売れっ子社長になった話

はじめに


どうも、山口裕一郎(やまぐちゆういちろう)と申します。


noteではひたすら「せどりで稼ぐ情報&マニュアル」ばかり書いていて

「どうやらこの山口ってやつはせどり、転売で稼いでいる人間らしい」

ということはわかってもらえてるのかもしれませんが、
実際のところ、私という人間のことを知ってる人はネットでつながってるだけの方にはかなり少ないです。

なので、このnoteでは、私、山口裕一郎という人間は一体何者なのか?

という部分にフォーカスを当てて、軽い自己紹介、というか私山口の略歴について書いていきます。


「おやじの自分語りになんて付き合ってらんないよ」


という人はすぐにでも閉じてもらって結構ですが、
この記事をきっかけに私という人間を少しでも知ってもらって、興味を持ってもらえたら嬉しいです。



山口裕一郎とは?


子供の頃は大人になったら何になりたかったんだろう?

1人、夜の世田谷通りを走りながら思い出してみる。

走っていると考える事くらいしかやる事がないので(笑)


私は東京の下北沢という繁華街で育ちました。


周りは自営業を営む親を持つ友達ばかり。
当然、私の親も自営業でした。

ですので、

将来はいい会社に入って働く

なんていうふうに「サラリーマンになって死ぬまで働く」ことはハナっから考えてない子供だったことは覚えています。

小学生時代の山口

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小学生の時は剣道とサッカーを習っていて、魚釣りやザリガニ取りが大好きでした。

では、サッカー選手を夢見たか?

というとセンスがあったほうではなかったので「自分には無理かも」と思い諦めました。


そして中学になるとアントニオ猪木に憧れ、プロレスラーを夢見ておりました。

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当時は、プロレスって、全部シュートでやってると思ってました。

全日はやらせだけど、新日はガチだと。
UWFと新日本が対抗戦をしてた時代ですから。

前田日明が長州に顔面蹴りをやって謹慎処分になったりとか。

今、思うと前田がトンパチだっただけで(笑)
ブック破りでアンドレを潰したりね。

マニアックな話でスイマセン。。。

兎に角、純粋な少年だったので、プロレスが「ガチ」じゃないと知り、大ショック!

ということでプロレスラーの夢もここで終了。


お次は音楽でアーティステックに自分を表現するほうが
女の子にモテそうだなぁ~と単純に思って
偏差値48の都立高校でPUNK BAND結成!


こんな感じで音楽とバイクとアートに夢中な生意気な高校生でした。

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PUNK研修中の高校生時代(17歳)


 
SCHOOT ライダース
RED WING エンジニア
RAY BAN サングラス...
 
等々・・・
 
246を驀進して江の島辺りまでツーリング。
 
東京の高校生にとって、バイクで江の島はめちゃめちゃ、大冒険であった。
 
こんなチョッパーをコツコツ作って
走り回って、喜んでいたなぁ~。
 
ご覧の通り、かなり生意気でやんちゃ坊主で
バイト代は全部、服とバイクに注ぎ込んでいた。
  
あなたが40代、50代なら、こんな時代ありましたよね?
 
・・・・ないですかね?
 
ちなみに既に彼女もいたけど17歳だったので実家でゴニョゴニョと(笑)
 
そっちはデビューしちゃってましたが
まだLIVE活動はしていないPUNK修行憎。

今だから笑えますが、高校の卒業式なんてこんなでしたよ(苦笑)

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高校の卒業式(18歳)


実は都立高校で卒業式も私服。
 
と、いうか私立は全部落ちてこの高校しか受からなかったんですけど。笑
 
今見ると笑えますが、当時の自分としてはメチャ気合い入れてお洒落したつもり。
 
ヘアメイクも当然、メチャ気合い入れて
今は無きダイエースプレーでバッリバリ。
 
PUNKSというか、めんたい系だね。
 
当時はヘビメタとか流行ってたけどメタルの奴らは大嫌いだった。 
みんなダセぇ~服着てて、ナヨっこくて。 
 
そんなのがウジャウジャいた当時。
 
メタル刈りっていって新宿とかでメタルの奴をとっちめる
PUNKSだか暴走族だか分からない連中も結構いたなぁ。

 
アナーキーっぽいって書くと伝わりますかね?


でも、集団で1人をボコるんじゃなくてサシで素手での勝負だったから
ワリと健全で明るい決闘だったね。

今じゃあそんなのやってたら即警察行きですね。笑
 
そんな暴力的なことよりも
PUNKSとかROCKABILLYのほうが
断然、お洒落でいいなっ~て。
 
ロン毛のメタルよりはモテそうだし。笑

結局女の子にモテたかっただけかい!


バイトしたお金で原宿のROBOTやPINK DRAGONでこういうライダースなどの服を買ってた。
 
でも、もう学校に行かなくてくいいと思うとなんか気分がスッキリしたね。


食っていけるかどうかなんて分からないけど
バイク乗ったり、音楽やったりして

「卒業後は自分の好きなように生きよう」

って。
 
それは今も変わらないなぁ~。
 
そっからまさかまさか


「人生のドロップアウト」


が始まるとはこのときは思いもよらなかったんだけどね。
 
それにしても人生って思いもよらない事ばかり。


卒業後は音楽、バンドにどっぷり。


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1994年のライブ写真

RAMONESに憧れて髪を伸ばしたと言いたいが  
同時にジャパニーズスタイルのハードコアにも
かなり憧れていたので髪を伸ばしてた。
 

あの時代のハードコアバンドはヒリヒリした疾走感があり、
みんな、メンバーは怖いけど、音が個性的で攻撃的でカッコよかった。
 
海外のエクスプロイデッドとかGBHより
目の前にいるPUNKSのほうがリアルに感じた。
 
そんな先駆者に近づく為にこんな感じのメンバー写真を撮って
ライブハウスにデモテープと一緒に持って行って売り込んでましたね。

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当時20歳(バンドメンバーと)


PUNKSは当時、出禁のライブハウスが多かったから
気がつくと、汚くて、酒臭くて、時には怪しい薬物の匂いも混じるライブハウスばかりで活動してました。

当然、女性の来場率が恐ろし低く、本来の目的から外れ出す。


元々は女の子にモテたくてバンドを始めたのに、
自動的にモテない方へ驀進しちゃったわけですね!(笑)


夢中過ぎて、間違った方向に進んでいても若くてなにがなんだか分からなかった。
 
ご覧の通り、若気の至りで調子に乗ってたんで喧嘩を売られる事もしばしば。
 
誰がどうみてもおっかねぇ~って感じる
MAD MAXとか北斗の拳に出てきそうな人ばかり。
 
当時、PUNKのLIVEに行くとしょっちゅう小競り合いがあった。


当時のライブハウスは映画「FICHT CLUB」の雰囲気に近いな。


怖いから嫌だなぁ~と思いつつ、やれらないようにいつも無駄に気合いを入れてたな。
 
 
音楽以外の事には全く興味がない生活。


必死にバンドをやってたからこそ、譲れない部分もあり、
衝突して、メンバー間の人間関係が悪化する事も。


なんと!自分以外で他のメンバーが新バンド結成。

俺が邪魔者だったという訳か??


こんな挫折感は味わった事がなく失意のどん底へ。(号泣)


それでもバンドで食っていく夢を持ち続け、何とか復活!

でもバンドでは食えないので、肉体労働のバイトで生活費を稼ぐ毎日。
東京都調布市の風呂なしアパートで1人暮らし。
 
これはこれで楽しいと言えば楽しかった人生のひと時。


でこの写真は

彼女との同棲時代(24歳)

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髪の毛は大阪のおばちゃんチックなケバいピンク色。(笑)

やっぱ、バイクをいじったり改造するのが好きだったんだなぁ~って
改めて思う。

クラブマンのフレームに
ビラーゴ250のタンク乗っけて
ゼファー400のリアショック入れて
スーパートラップぶっ込んで
 
等々・・・激しくカスタマイズ。

これまたマニアックな話ですいません。


で、彼女とは中野のボロアパートで同棲を開始したわけですが
 
というか金がなかったので中野ZEROというコンサートホール?
の裏で一人暮らししていた彼女の部屋に住まわしてもらっていた。

生活費はさすがに稼いでいたが、家賃は彼女持ち。

ほぼ「ヒモ」のようなクズ男。笑

 
その後、何故か彼女の親にバレてしまうという事件が勃発。
 

おそらく彼女が親に付き合ってる男がいるとでも言ったんだと思うけど
今ではどうしても思い出せない。
 
コソコソしてないで結婚を前提に!

という事で高円寺にお引っ越し。

結婚を前提に!

ということにはなったが、私の中ではまだ
バンドで成り上がる夢というか野望はメラメラと燃え続けていた。


でも、現実は生活費を稼ぐために東京都中野区の運送会社でバイト。
 
こんな髪型だし、資格らしい資格は運転免許位しかないので
バイトだったけど、一所懸命仕事してた。


と、言っても実際はプー太郎には変わりはないけどね。実際はプー太郎には変わりはないけどね。


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バンドも仕事も一生懸命時代(27歳)

 
髪の毛が派手派手だったんでフロムA買って、バイトの面接行っても
なかなか仕事が見つからなかった当時。
 
そんな時は友達とかに職を紹介してもらう事が多かったな。
 
先輩の紹介で入った会社では年に1回、社員旅行があって
バイトでも社員旅行に行けた。
 
これは北海道に行った時。

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富良野か?


やっぱ、髪の毛は派手。(赤系が好き♡) 
 
 
もう死んじゃったけどプロミュージシャンの先輩もいたりして
なかなかいい職場だったなぁと。
 

「集中して作曲したいから1週間、休ませてくれ!」


と告げると休みをもらえたり。(笑)


仕事さえちゃんとすれば髪型とか何も言われなかったから
当時の私としては理想的な会社でした。


配送の仕事だったんで仕事してれば、身体も鍛えられるし、
荷物積んで、トラックに乗っちゃえば好きな音楽も好きなだけ聞けたしね。


そして、


プー太郎のくせに結婚しちゃう

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まだメジャーデビューを夢見てる時代(28歳)


 
友達の美容師にストリートスライダーズのハリーみたいな
髪の毛にしてもらったんだけど...頭、デカ~~~!!

 
もう高さを競ってる感じ?(誰と?)笑

 
頑張ってライブ活動していたけどメジャーデビューの気配はまるでなし。


ペット禁止のアパートで猫を飼ってたんだけど大家さんにバレちゃって追い出されてペットOK!の阿佐谷の部屋を借りた。

 
高円寺時代は外で飼ってたんだけど青梅街道が近いので
車にひかれちゃうから引っ越しを機に家猫に昇格!

画像だとまだ小さいな。

 
結局、19年生きたんだけど大きな病気もせずに優秀だったな。 


でも、声が出なくなっちゃって車の助手席に乗せて、
動物病院に連れて行ったんだ。

 
もう歳だし、体力ないので

 
「手術とかはしないほうがいいのでは?」

 
と動物病院の先生に言われてからも結構、頑張って生きてくれた。

 
でも、名古屋~大阪と講演してきて家に戻ったら、死んでた。


ブランキージェットシティーの

CAT WAS DAED

は聞きたくない。当時を思い出して涙が止まらなくなる。

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もうダメかも?と考え出す時代(30歳)

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相変わらず髪は派手でピンク色。
 
バンド活動はバリバリしてたが...
 
「俺には飯食っていくような音楽的才能はないのか?」
 
と日夜、自問自答。 
 
 
TV番組でPU●FYのバックバンドの
あてふりの仕事依頼があったが、蹴る。

今ではやっておけばネタになったと少し後悔。。。


アイドルのバックバンドとかじゃなくてあくまでも「自分の曲」での勝負に拘っていた。 
 
 
このころからハローワークの職業訓練校でパソコンを習い始める。
 

ピンクの髪の毛の超~初心者君はPCのスイッチの入れ方、マウスの持ち方から教わっていた。


オリジナル曲の歌詞をワードで打てるようになり、大喜び(笑)
 

しかし、同時に車の大型免許も取得して今後、どう進んで行くべきか悩み過ぎてグラグラした思考と行動。
 


音楽で食う夢はそろそろ諦め、堅気になるかぁ~



と熱い気持ちと意思が弱くなってきた時期です。


 
高校生の頃からバンド一筋で仕事の資格、スキル、経験、人脈等々、何もなく、このまま野たれ死にだけは避けたいと本気で思った。

嗚呼野良犬にさえなれない。。。


って事でこのときに


「パソコン1台で出来る」


というサイトアフィリに挑戦!


しかし、そんなパソコンド素人に稼げるわけもなく、アフィリも当然挫折。


だってさぁ~ HPとか作るの苦手なんだもん。

そりゃ~稼げない筈だyo


もう貯金もなんもスッカラカンになくなって
手当たり次第に何でもカンでもやりまくり。


無職になっちゃったから、もう恐れる事は何もないさぁ~ってね。

色々とやっていく中で


ネット物販なら結構、いい感じに稼げるぞ!

ってなりました。


ヤフオク!に目覚めた時代(32歳)

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何とかパソコンを少しだけ覚えてヤフオク!に没頭。


もぉ~楽しくて仕方なかった。


本当にやりたかったのはこれだ!って感じ。

 
主に初めは自分のコレクションであるCD、DVD、バイクのパーツなんかを売っていた。


好調に売れていたが、どう考えてもそのうち玉数不足になる。

 
そこでネットショップをやってる会社に入って仕入れから運営まで身につけようと考える。

 
しかし!

 
全くの未経験の中年を使ってくれる会社なんてない。


何度も何度も面接を受けても全然受からない。

 
人生は厳しい。

 
そこでまた考える。

 
私が唯一、出来るヤフオク!を大フューチャーして履歴書を制作。


そしたら何と!採用。

作戦勝ちだったね。

 
超~嬉しかったけど、幸せは長くは続かない。


入社時は4~5年我慢して、ネットで稼ぐスキルを身につけたいと真面目に思っていた。


しかし、朝から晩まで働く環境と社長が無理難題を押し付けてくるんで
ず~っと我慢してましたが、最終的には喧嘩に発展。

 
初めて大爆発!

 
「やってられないっす。もう辞めます!」

 
どんなショボいバイトだってちゃんと引き継いで辞めてきた私が
喧嘩して辞めるなんて自分でも不思議なくらいだ。

 
よっぽど、意地悪されたんだろう。

こんなナリだけど、基本的には温厚で喧嘩は好まない性格なんで。
 

結局、折角、雇ってくれた会社を3カ月で退職。

 
また、飲んだくれのぷー太郎生活。

 
バンドも上手くいかない、就職もこのザマでなんで人生は思い通りにいかない?と本気で悩む。

 
ヤケクソでヤフオク!にさらに没頭。

狂ったようにヤフオク!やりまくり。

だって、稼がないとご飯が食べれないから必死でやって、何とか稼ぐしかないって。


海外仕入れに目覚めた時代(33歳)

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折角、雇ってくれた会社の社長と喧嘩して入社からわずか3カ月で退職。


また、ぷー太郎生活。バンドも徐々にライブ数が少なくなる。


生活する為にヤフオク!でガシガシやっていた。
 
もう就職もコリゴリだし、ヤフオク!だけで食っていけるかどうか謎だけど
お金を作らないと飢え死にしちゃうしね。

マジでそんな気持ちだった。

 
当時は国内のフリマで仕入れをしてたんだけど業者の人に思い切って仕入先を聞いたら何故か簡単に教えてくれた。

何事も勇気を出してやってみるもんだ。
 

何と仕入先はタイのアランヤプラテート。

じゃ~行ってみるか?


もちろん行った事なんかないんだけど。

 
成田~バンコク往復
ビーマンバングラデッシュエアライン
39800円@@

 
ぷー太郎だから金はないけどフットワークは軽いぞ!(笑)


そっから先は本に書いたので興味がある方は読んでくだされ。


『ネットショップ&ヤフオク 海外仕入れの達人養成講座』



33歳崖っぷち。


もう引き下がれないのであとは野となれ山となれだ!


タイだか台湾だか知らねぇ~けどサワデーカップって言ってれば何とかなるっしょ?

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中国仕入れ開始の時代(37歳)

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あんまり行きたくなかったんだけど中国・義烏に行く羽目に。


9年も前だからノウハウも何もなかった訳で。


WEBで検索しても情報らしい情報もない時代。
 

必死に検索してもお気軽な義烏グルメブログしかHITしない状況。


そのため3回目までは赤字だったが、4回目の仕入れでどんな商品が売れるかが判るようになり、徐々に利益が出し始める。


もう、完全に意地になってたね。正直。


勝つまでは闘いを続ける覚悟で。
  

中国輸入をする中で元妻が仕事を退職し、自分の仕事を手伝うことになる。


しかし、朝から晩まで2人で4畳半の部屋で仕事をする環境に嫌気が差したのか、夫婦仲は悪くなる一方だった。


必死過ぎて止まるのが怖くてワーカホリックになっていたかな?

というのが原因だったかもと感じる。

まぁ時間は巻き戻せないから気にしないようにはしてますが。

 
そんなこんなで稼げるようになったノウハウを教材にしていくつか出して、フジテレビにも出て、中国個人輸入の第一人者に。


 
今、中国個人輸入でブイブイ言わせてる方は全員、私が産み出した子供と言っても過言ではない。 


 
あの時、渋々と義烏に行ったのが結果的には成功のきっかけとなっただよね。

 
それにしても人生って思いもよらない事ばかりだ。
 

ただ1つだけ言えるのはチャレンジし続ければいつか結果が出るという事。


公式戦でバッターボックスに立つ回数を単純に増やせばいいだけ。


練習と本番は全然、違う。


昔は一流選手だった野球評論家でも今、打席に立ったらホームランは打てないじゃん。

 
兎に角、現役選手として公式戦に出て、真剣勝負する状況を自ら作りだす事が重要なんです。

 
真剣勝負に負けたら、次は勝てるように色々と努力するからね。


練習試合をいくら全力でやっても結果にはつながらないのです。それがビジネスです。

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遂に初出版&法人化(38歳)

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勉強もスポーツもあんまり出来なくて音楽に全身全霊を捧げて来たけど
モノにならず、泣かず飛ばずの人生。

 
パソコンがあまり出来ませんでしたが有料のメルマガ教室に通い
何とかメルマガを開始したのがこの頃くらい。


そのメルマガに

 
「いつかは本を書きたい!」

 
と書いてみたら、本当に執筆オファーが来た(驚き)
 

行動してみるもんだねぇ~。
 

ちなみに、今も配信中の無料メルマガはこれ。


初出版でAmazon総合第一位を取ったんだからその勢いは伝わりますよね?

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その後、出版しまくって、気付いたら


日本一の出版数


になってました。

Amazonで「山口裕一郎」で検索すると書籍がメチャメチャ出てきますんで調べてみてください。

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当時、一緒に活動していた「柴野雅樹さん」という友人(今でも仕事したりしてます)が


会社を作る!


と言い出してなんか仲間外れになっちゃうって気持ちから俺も会社を作ろう!と決めた。

 
30代半ば、ここらで1発、栄光を掴みたい!


という願いから社名を株式会社グローリーと命名。


グローリー = 栄光


元ネタはラフィンノーズというアーティストの名曲から。

よく、今後、自分のなりたい姿を

・紙に書く
・口にする


 
と願いは叶うという成功法則があります。

 
社名を株式会社グローリーにしてしまえば天文学的数字の回数を栄光、栄光って言ったり、書いたりする訳です。


そうなれば自然と栄光を掴むようになるかなぁ~ってね。


ROCKっぽい、PUNKっぽい感じでも好きでこの会社名、とても気に入ってます。

 
でもこの辺りから夫婦仲がおかしくなるから人生ってホント分かりませんね。


仕事は上手くいきだしたのに予期もしないところで亀裂が。


でも・・・

 
出版記念セミナーの画像のスーツも髪型もマジでダサ~いっすね(笑)



煙草と決別した時代(39歳)

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タイの電車の中で煙草を吸う悪い私。


 
もうとっくに時効だけど小学生の時、煙草を隠れて吸ってるのが先生にバレて学校中、大問題になった。


あの時の仲間は今、どうしてるのかなぁ~。

 
会いたいぜ!

 
もし、見てたら連絡してくれよな。
 
 
で、中学の時もやはり隠れてって訳だけど味とかよりファッションだよね。


大人っぽい、不良っぽい感じを狙って。

 
あんまモテなかったから自分をカッコよく見せたい一心で。


小学生の時は度胸試しというか友達の中で吸わない奴は情けない奴という
空気があったんで吸ったよ(苦笑)

 
 
PUNKS時代はハイライトとか重いのがカッコいいって感じだった。


当然、ステージでもカッコつけで吸ってた。

 
しかし39歳の時、突然、禁煙開始!


私のセミナーの懇親会で煙草を吸っていたらセミナー受講生に
煙草の害の話を聞かされたのがきっかけ。

 
もう30年も吸ったし「辞めるか~」って感じ。

 
煙草を買うタスポをチョン切っている一枚

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すぐに煙草は辞めれたけど口さみしくて、沢山、食べちゃって一気に太ったよね。


それからランニングをはじめて男の意地でナイスバディーをGET!!


 
当時の妻は喫煙者だったので私が禁煙してから更に夫婦仲が悪くなり、
その後、別居。

 
結局、煙草だけが原因じゃ~ないけど離婚。

 
実際、健康に良い事は何1つないのに。。。

 
特にお肌によくないからね。(女子か)

 
一緒に禁煙って訳にはいかなかったなぁ~。

 
 
やっぱ、人生って上手くいかないし何かが上手くいくと、何処かが崩れるんだよね。

 
私は特にそうみたいです(苦笑)


で独り身になりガンガンビジネス、出版やってたらふと気つくと書籍、雑誌、TVに出まくっていた。


地上波テレビに進出した時代(40歳)

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厳密にはバンド時代以外にも中国個人輸入の専門家として
フジテレビとか出てますが転売のプロとして地上波に出演し始める。

 
インターネットテレビとか地方のテレビ局ではないことがポイント。


基本的にバラエティーが多かったですね。

 
これは今は亡き、たかじんさんのテレビにせどりの専門家として出た時の1カット。


 
ぶっちゃけ、テレビの出演はギャラが安いし、
拘束時間が長いのでせどりしてるほうが儲かる。
 

1日あれば最低数万円は稼げるからね。


テレビのギャラはいくらだったのかって?

 
内緒です。(笑)


でもまじで高くはないよ。
 

ギャラなしオファーの場合はお断りしてました。


 
その辺りはバンド時代に培ったプロ意識で自分を安売りする事だけはしないんで。
 
せどり業界の第一人者という自負もあるんで舐められちゃ~いけないと思って頑張ってます。

 
だって・・・・この業界の方で私より地上波テレビに出ている方はいないでしょ?


地上波TV総なめ時代(41歳)

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沢山、オファーが来て、沢山、テレビに出る。

 
自分自身が見てない番組もあったりしました。

 
実は2週間前に出演したTBSの番組も本人は見てない(笑)


ロケは収録時間、拘束時間が長い割には
ギャラが少ないので断る事もしばしば。
 
 
実際、私クラスだとTVってまな板の上の鯉なんですよ。


収録後は本人のチェックなしでいきなり放送されるんで。


いい感じに仕上がっていれば

「ちょっとなにこれ??」

って時もあるんです。


 
編集次第でどうにでもなってしまうのが怖い。

 
よくも悪くも。
 
 
でも、仕事ですから精一杯、頑張る自分がいたりする。
 
 
いつでも


「やってやる!」
 

って思ってやるのが私流。


 
いつまで経ってもPUNKな姿勢だったりします。

 
このときは雑誌2本、テレビ3本やってましたが
基本的には雑誌なんかの記事を書いたり、取材を受けたりする方が好きですね。
 
 
当時タカアンドトシさんの番組に出演したけど
 

「欧米かっ!」

 
って突っ込んでもらえなかったのが心残り。
 
突っ込みどころ満載な私なのに。。。


雑誌総なめ時代(42歳)

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沢山、オファーが来て、沢山、雑誌に掲載。

 
自分自身が所有してない雑誌もあったりします。


BIG tomorrow(ビッグ・トゥモロウ)
レタスクラブ
週刊プレイボーイ
GetNavi (ゲットナビ)
リサイクル通信
女性セブン
月刊サイゾー
CIRCUS
サンデー毎日
サムライ『人生の達人』


等々、いっぱいやらせていただきました。
 
 
記事を書いたり、取材を受けたりする方が好きです♡

 
これだけで食っていけたら理想的なんだよなぁ~。

 
 
TVには転売のプロとして出る事が多いから
こんなヘアースタイルを楽しんでいる時は急いで染めて、ロケに向かっております。


でも、雑誌の場合、こんな頭の時は取材後に宣写(宣伝写真)を送って
本人画像撮影なしにしてもらうんで。
 
金髪で掲載される事も稀にあったりしますが・・・


 
新聞とかお硬い文章も書けますがフリースタイルで面白い文章が書ける依頼がくると本当に喜んじゃいます。


 
フルパワーで頑張って、面白い記事を書いて、みんなが喜んでくれるのが理想だね。
 
本当は連載やりたいんで出版社の皆さま、ご依頼お待ちしております。笑

 
 
最終的にはフライデーされたいですね。

デートとかパパラッチされるくらいにならないと(汗)
 
なんちゃって。


フルマラソン初挑戦の時代(43歳)

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煙草辞めてたら、案の定、太り出したのがランニングを始めたきっかけ。


高校生の頃からバンドばかりやっててスポーツは全然しない人間だったのにね。

 
むしろ、バンドマンは不健康の方がカッコいいって思っていたくらいだから。


実際、ランニングは辛いだけで全然、面白くない。

でもカロリーを燃やさないと太る一方なので。


ただ、それだけなんです。

カロリーを燃やせ!

1人身なんでビシっとしたNICEBODYをGETしてモテないといけないんで。

結構、切実な問題だったりします。

 
40代半ば、色々と訳あり人間ですからね。

 
コツコツとした努力は自分を裏切らないし7月から再挑戦中ですが、4キロ落ちたり。
 
身体は何とかなりそうだから顔は韓国でやってもらおうかな?(笑)

 
で、面白くない辛い事を続ける為には目標がないとだめです。


という事でダイエットのつもりで始めたランニングがガチレースに何故か変更(爆)
 

もう3回くらいフルマラソン出てるけど全部、完走し、ベストは3時間30分。


まっ全然、速くねぇ~な。

 
こんな辛い思いをしないでモテモテBODYをGET出来る方法があれば
ホント、誰か教えてください。

 
と、言いながら今夜も夜の世田谷通りにはぁはぁ呼吸の音だけが小さく響く。

只今、一緒に走ってくれる方を募集中です。

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韓国せどりでバリバリ(44歳)

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2002年の日韓ワールドカップから韓国に行き出す。


私は超凡人なので初めは稼げなかったけど何度も何度も挫けずに渡航しまくる。


意地になりながらも遂に稼げるロジックを掴む!


アタクシのノウハウ、めちゃメチャ、再現性高いですyo。


 
スマフォがあれば誰でも稼げるレベルになったのでツアーを開始。


当然、参加者さんにめちゃ大好評♡

 
指導者としてみんなが稼いでくれると嬉しいです♪


 
ツアーサポーターの池ちゃん、韓国人の友人である崔さんには本当に感謝。

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とても1人ではここまで出来なかったです。
 
特に仕入れと激安グルメには自信あり!

韓国ノウハウについてはこちらのLINE友だち専用で
今後公開予定。ぜひ友だち追加よろしく!


韓国グルメについては無料で公開してます。

 
毎回韓国に行くとビール+焼酎の爆弾酒でKOされてますがお仕事はきちんとやってます。
 
 
本音言うと、韓国せどりノウハウ的なガイドブックを出版したいです。



こんな企画を通してくれるラディカルな出版社さん、是非、お声掛けください。


面白い本を書ける男がここにいますスミダ。

 
韓国せどり本、出版するイムニカ?

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最後に


さて、非常に長くなってしましましたが、見返したらなんと1万字オーバー。笑


そんなこんなで、今でも私はバリバリの現役プレイヤー。

生涯現役を貫きたい。


せどりでも、毎年1億以上稼いでます。

Amazonだけだと9000万くらい。

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こんな私が編み出したせどり手法を


「本気で勉強してみたい!」


という場合はこちらのLINEを友だち追加してください。


私が今現在実践している中で

【誰がやっても利益が出る再現性ナンバーワンのせどり手法】

をあなたに直接お伝えします。


って最後に宣伝かよ!って思ったかもしれませんが、ここまで読んでくれたあなたは立派な山口裕一郎のファンですからね。宣伝しない手はないかと。


そんなあなただからこそぜひFB、ツイッターで私をフォローしてね。


SNSでは割りと当たり障りないことばっかり書いてますが

LINEでは真剣にノウハウについて配信してます。

当然ですが、LINEなのでメッセージ送ると私に直接届きますので
なにかあったらお気軽に送ってください。




仕入れ解説などのYou Tubeもやってます。
最近はおサボり気味ですが・・・笑


これからも山口裕一郎を宜しく!



PS.

最近、ドーテー少年がいかにして一皮ムケた男になってその後、ミュージャンになったけど木っ端微塵に挫折してビジネスでのし上がる一部始終を書いた小説を出版しました。

累計13冊目かな?

多すぎてもはやわかんないけど。笑

良かったらぜひ読んでください。

読破 (成功法則本を1000冊読んで月収を100倍にした男の厳選55冊を教えます) 

そうそう、LINE友だちになるのもお忘れなく!

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