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たかがひな祭り、されどひな祭り。自分の人生を振り返ってみる。

三日坊主にもなれませんでした。

11月1日に、1がぞろ目だ!何かを始めなきゃ!と意気込んで、やたらかっこつけた文章で初めてnoteへの投稿をした。
はいいけれど、それから先、忙しいだとか日付が良くないだとかなかなか最悪な言い訳をして、すっかりnoteから遠ざかっておりました。
どこかで、やらないより三日続けるだけマシ、なんて言葉を聞いたことがありますが、まさにその通りだと思います。反省。

ということで、そろそろ何かを文章にしたい欲が出てきましたので、気まぐれに筆を執りたいと思います。

先日、3月3日、実家の母親からLINEでこんな写真が送られてきました。

どうやら我が家ではひな祭りの日にケーキを食べる習慣があるようです。知らんかった。

我が実家には、今、両親と祖母、それから3つ年上の兄が住んでいます。そして、唯一の娘である私は、実家を出て一人暮らし。
女の子の節句たるひな祭りを祝うには、やや華に欠けています。
たとえ私が実家にいたとしても、20を過ぎた喪女を囲んで、ぼんぼりにあかりをつけてケーキを食べましょ、とはなかなかならないかと思いますが。

振り返ってみると、母は年中行事が大好きでした。
五月人形もクリスマスツリーも、面倒くさがる家族の非難をものともせず、盛大に飾り付けていました。
当然、ひな祭りも母の大好物でした。

ひな人形というのは、その中でも段違いに面倒くさいものでした。
私の初節句の時に、祖父母から贈られたものらしいのですが、これがやたら豪勢なものだったのです。
ひな人形もその他の小道具も、恐らくフルメンバー。それらを置くための棚を男手を借りて組み立て、一年間押し入れで眠った人形たちを一つ一つ布で拭きながら、昨年の写真を見ながら正しく配置していきます。
なかなかの重労働だし、場所はとるし、ついでに言えば、夜は怖い。
私も小学校中学年ごろまでは、準備をしたり、毎朝ご飯を供えたり、という手伝いを喜んでやっていましたが、それ以降は、一人で盛り上がる母親をため息をつきながら眺めていました。

母は確かに年中行事が好きでしたが、ひな祭りにはここまでするだけの別の理由があったのだと、今なら推測できます。

母が私を生んだのは、自分の40歳の誕生日のわずか一か月前。既に3人の息子がいました。
母は、きっとどうしても女の子が欲しかったのでしょう。タイムリミットが近づく直前、4人目にしてようやく待望の女の子を授かることができたのです。母はどれだけ嬉しかったのでしょうか、私には想像ができません。

私は、そんな母の期待を一身に受けて育ちました。
元々フェミニンなものを好む母は、幼い私に「ザ・女の子」な服を着せたがりました。
幼い時の私の写真を見返すと、大抵、レースやフリルがたくさんあしらわれたピンクや水色の服を着ています。そして、大抵、不機嫌な顔をしています。
それもそのはず、私は3人の兄のおさがりを着る方が好きだったのです。
物心がつき始めると、私と母は毎朝、何を着て登校するかということで激しい喧嘩をするようになりました。
そして私はそのまま、「女性らしい」からは遠く離れた服を着てハタチまで来てしまったのです。

今年の1月、私は成人式に出ました。振袖は母のおさがりです。
振袖を着るにあたって、私は母に、「すべてお母さんの言うとおりにするよ」と伝えました。これまでの感謝を込めて、喜んで着せ替え人形になろうと思ったのです。
地元の百貨店で、足りない小道具を買い足しました。私ももちろん同行しましたが、テンションが高かったのは、断然母の方でした。母は、何度も「楽しいねえ」と繰り返しながら、私がたった数回着るだけの振袖姿を想像し、大枚をはたきました。
3人の兄の時は、ちょっと良いスーツを仕立てるだけでしたので、「女の子っていいねえ」と、目を細めて何度も言ったのです。

私は、そうして20歳の節目を迎えて、ようやく気が付きました。
母が、「女の子」を育てること、に強い強い憧れを抱いていたこと。
「女の子らしい」を強く拒否してきた私の行動が、そんな母を失望させるようなものであったこと。
私が生まれてきた理由が、言ってしまえば、「女の子であること」であるということ。

私は、自分の身体が「女」であることを受け入れ、楽しんでいます。
ただ、人から「女だねえ」と言われたり、そう見られたりすることに違和感を覚えます。社会的に「女」とカテゴライズされて生きていくことをまだ認められていないのです。
これは、言語化してはっきり伝えられるほど、明確な感覚ではありません。
ですが、本当に自分は「女」なのか、という疑問が存在していることは事実です。

この疑問は、きっとこれからも簡単に拭えるものではありません。
こうして生きていくことが、いわゆる一般的な「女の幸せ」に繋がらないことも、ぼんやりと想像がついています。
そして、それは、きっと母を満足させうるものではないのでしょう。

別に、自分で無理をしたいわけではありません。
母も、きっと私に無理を強いたいわけではないと、分かっています。
そう断言できるくらいには、このままの「私」という存在への母の愛情を感じているからです。
でも、私は、親孝行がしたい。
だから、ウエディングドレスを着て母を喜ばせたいし、泣かせたい。
私を生んでよかったと思わせたい。

だから、私は、私の意思で、「女」として生きる道を選んでいきたい。
誰かの生き方を否定するわけではありません。私も、自分を押し殺すつもりはありません。
なるようにしかならないけれど。
でも、なるようになる結果が、みんなを幸せにするようなものであればいいな、と心から思っています。

ちょっと長くなりましたが、最近思っていたあれこれをつらつらと書いてみました。

結局何が言いたいかって、今の私は、母に、思う存分ひな祭りを楽しんでほしいのです。
女の子の母として、できることは全部してほしいのです。

が、正直、おじさんおばさんたちでおひな様ケーキ食べるのは、やめてほしい。


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