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思うがままが無理な件について


いくらイメェジの世界といえね


思形は潜在化を経由して顕在化する、と言ってますけどね。

いきなり思ったとおりには動けないし変わらないというのが現状です。


いきなりバク転とかしたいと思うとします。
しかし、訓練を積まないと到底無理です。

これは常識でしょう。

まず、逆立ちの練習から始めないといけませんね。


このように、3次元テンソル展開は実現まで非常に時間がかかる、という事実そのものを当然と思わねば真の意味で先には進めません。


バク転が3次元なのかというと、3次元は3次元ですねえ。
立体が動いている、という視点とは少し違う意味で。


バク転の基本の型を4次元としますね。
しかし、多くの人は完璧なるバク転を行うことが不可能。
技術点だかで満点を取れません。
不完全な、今後も練習を重ねる必要がある未熟な状態。
それそのものを3次元と言います。

次元の感覚を掴むこと。
というか、定義を理解出来ないことには、思うような世界なんて作れませんよ。
そして、世界そのものの解像度もちーっとも上がらないです。

次元の話は、案外奥深いですね。


今回は、大人気テーマ

「自分軸 他人軸」

について少々…。

タイトルが
思うがままが無理な件について
ですけんね。


よろどぞ。



他人の為に生きる。それが本当の自分軸。


自分軸と言うと「自分の思うがままに生きること」と思いがちですが、実はここで反転の意識が働いてしまいます。

自己と他者はどうしても切っても切り離せない関係。


一人で生きるのもいいですけどね。

どうしても孤独には耐えられないし、どんなに足掻いても他者との関わりを持ってしまいますよね。


自分の為に生きるんだ。
それはいいですけど、そう思った時点であなたは他人軸に傾いてしまいます。


自己の主軸をΨ3 他者のマクロコスモスに置くと、自分が特に輝いて見える為です。

真の意味で自己を輝かせたかったら、Ψ2 自己のミクロコスモスに主軸を置かねばなりません。

多くの人は
「置いてるけど!」
と訴えられますが、置けてないですよ。


Ψ2に主軸を置くと、自分がとても惨めで無力で情けない存在に思えてきます。
それが堪らなく嫌だと思うから、反発に反発を重ねて自分軸で生きる、と仰られているのですよね。


でも、違うんですよ。
辛いであろう精神状況に身を置くこと。
それが、自分軸の真っ只中にある、最初の入口といえるのです。


つまんない話。
切るわ、と思う人も多いでしょう。


ここで、大多数が考える自分軸の定義を書き出してみます。

自分が輝いて見える=喜びに溢れた世界

という定義をどこに置くかの自覚を持つことから、スタートです。


まず、人間というのは第二チャクラ エモーショナルの変動を欲します。

エモーショナルとは、心の動きを意味します。
エモいという言葉は感動とは違うよ、と言われていますが、感動と同義です。

人間の感情は、まず興奮から始まると言われていますね。
興奮のイメージは個々により違いがあると思いますが、精神に光がパッとさすような感じ。
これが興奮の入口です。

この辺は、中学の家庭科の授業でやった気がするな。
保健体育だったかな?記憶が混同してますけど。

とにかく、興奮そのものはかなり原始的な感情なのですよ。

しかし、そこに先入観や感性が入り交じると、どうしてもその感覚を理解出来ません。


そして、エモーショナル変動が自己に対して快感側に傾くと、人間は生の喜びなるものを感じます。

第二チャクラをプラスに傾ける条件の多くは、第七チャクラ コーザリック・テンプレートの領域に侵入するパターンが多いです。


コーザリックは、主に経済的なもの、社会地位的な状態に影響してきます。

富の片寄りが憎らしいだとか、誰かに煽られるのが嫌だとか、そういう感情にかかってくるものなのです。

欲に直結します。

多くの人はこれらを言語化して、堂々と世間様に曝け出すことが出来ません。

「金欲しいよー! 裕福層にばかりお金が集まって羨ましいよー!バカにされたくねーよ! 人間関係で優位に立ちてー!」

と、大きな声で叫ぶなんて、普通の人には無理ですね。

こういうことを、直接的な表現で言い表す。
それが自分軸の始まりです。


普通は綺麗事で本音を隠しますね。

「貧しさに苦しむ人がいる。あの人はあんなにお金を持っているのに。これは社会のバグだ」
とか
「心無い人が多いから、いじめが無くならないんだ」
とか。

こういうのは綺麗事なんですよ。


貧富の差を社会のせいにするでないよ。

あなたがセレブに転生しなかったのが悪い。
あなたの失態ですわ。

貧富の差というのはどうしても生まれでてしまうもの。
そんなものに目を向けてどうするの。
あなたは直接的に何か出来ることがある?

貧富の差を気にする前に、ホームレスに炊き出しでもしたらどう?
貧しい人が溢れかえるのは、国のせいじゃないんですよ。
その人がビジネスに失敗したからなの。
自己責任なんですよ。

身切りをして他者に施しを行う慈悲も持たぬ人間が、経済力の差を嘆くなんて、卑しいにも程がないですか?


そうして、気付くのです。

貧乏人の図々しさに。
こんなに強欲なら、落ちぶれて当たり前だ、と思うようになる。

自立しろ、と考えるようになる。


経済を回す気がない人間が、足を引っ張っている。
そして自分で動くこともせずに、他人を羨むばかりで口しか出さない。

それが貧困の原因であるという事実にやがて到達するでしょう。


そんなことなのですよ。
貧富の差の原因は。

富を持つ人は、ごく普通に自分の身を守るために自分の意志でビジネスの戦場に飛び込み、戦っているだけです。

それに、セレブと言っても彼らは禄に金を持っていないという感覚でいます。
あんまり裕福感がないんですよ。
働いても働いても、ちっとも満足感が得られない。
だから更に労働に身を投じて、お金を稼ぐのです。

広い敷地の家があっても、数え切れないくらい服を購入しても、履ききれない程の靴、バッグがあっても、全然お金が足りない、と感じています。


何故って、ステイタスの維持に莫大なお金がかかるから。

彼らもまた、消費者と言う名の金融の奴隷です。

この奴隷根性は、少し勇気を出すだけでポンと捨てることが出来ます。

しかし棄てきれない。
だから、お金が大量に必要になる。


それだけなんですよ。


こういう状態が羨ましいと思うのなら、周囲を見渡すことを辞めて、あなたも天に願えばよろしいでしょう。

あと3年くらい待ってね。
叶うようになるから。



チャクラの話を出すと、一気にスピ臭くなって胡散臭い感じになりますね。

しかし、精神状況を説明するのに、チャクラの定義はぴったりだったのですよ。

オレンジ変動の為にはパープルを調整しなければならんけど、レッドが邪魔をする。
イエローが泣いてしょうがないので、仕方なくライトブルーに身を置くだけに留めておく。
その内に、インディゴが徐々に満たされるようになってきて、レッドが益々勢いを増していく。
やがて、グリーンについて考えるようになる。


外と内との兼ね合いをチャクラの色で現して考えると、論理的な説明の架け橋となってくれます。

自分軸の為に生きるには、ここらの理解から始めないと駄目。

これは全ての人間が当て嵌まるものです。


スピなんて知らねー。胡散臭い。いっそ滅びよ。
と思っても、社会に属している限り、これらの人間の感性から成り立つ社会構造の根底に潜むものからは決して逃げられません。

意識の細分化、仕組み全体を完全に理解するために、この例え話は切っても切り離せないものとなるのです。

要は、顧客のニーズはどこから来るのかとか、売上を伸ばす為にどのようなアプローチを仕掛けるべきなのか、ということに直接的に繋がってくるという訳ですね。

とはいえ、世のスピリチュアリストの全てはこの認識まで育っていませんので、その辺に転がっているスピ感を勉強するのは良くないです。
損するだけ。


まあ、その辺もどうでもいいです。

興味を持つか持たないかというのも次元差に関係し、こういった話題を子どものお遊び以下だと思う人は世の中に溢れ返っていますので。

この記事を読んでチャクラの認識を正しく持とう、と思う人なんていないでしょ。


だから、思うがままが無理な件。



コーザル体の回転を上げろ


社会の負?の部分を並べ立てるだけでは、本当の意味で自分の願望は叶いません。

我欲という名の蟻地獄に飲み込まれるばかりで、ずっとその場に留まり続けるのみ。


他者との癒着を一度断ち切ること。

そこから始めないと、脱せないようになっているようです。


全てを失い、物乞い紛いの生活を経験しないと、視野が広がらない。
視野を広げないと、世界が如何によく回っているかを理解できない。


それでも脱せない人がいます。
学ばない人種。


結局、全ては比較から成り立っているのですよ。

比べっ子しないと、自分が見えてこないのです。


嫌な世界だね。
皮肉だらけ。

しかし平均的な人間は、他者と比較し優越感に浸ることで喜びを覚えます。
それが、第七チャクラのケセリックの原始回転。


まあ無理でしょう。

この辺は、仏界で最高位といわれる紫微実相界に赴かないと理解できないようになっているのです。


紫微実相界とは、この世の全ての娯楽や喜びを理解した、その境地に立つことで侵入が可能となります。


kakaoは一体何なんだ?
そこに入った…?

勿論ですとも。
そこは弥勒が坐す地ですけど、なんかフッツーに入っていけました。

そして、弥勒を叱り飛ばしました。

「バカ! まだそんなところにいて!」

紫微実相界は、この世の全ての喜びがあるわけではないのですよ。

そりゃ総合的に見ると最高位は最高位なんですけど、深度がありましてね。
何層潜るんよ、というくらい超越していかないと、ずーっと不幸な身のままです。


私がまず、弥勒に言ったこと。

「外堀から固めろ」


訳分からんとなるでしょうが、それが最初にすることです。
自分軸を輝かせるという意味で。


私は比較的貧困な部類にあると見られますけど、わざとそういう人生を選んだということです。
その気になれば、世界的なセレブに転生することも可能だったということ。


それをしないのは面倒だからです。

他の人に席を譲っただけ。

これが、外堀を固める、という意識の一歩です。


人生の席は、実は固定なんですよね。
社会構造は始まりから終末まで完全に決まっている。

その中でどう動くか人生でどの程度お金を稼ぐかなども、全てブラフマンにより決められているのです。

その中で、何を考え何を思うか、ピン瀬を起こすかどうかは個々の自由。
意志を持って動いているので、自分の人生は自分で切り拓いている感がありますけどね。


歌に認識を引っ張られている訳ではないですが、まさにこの通りなんですよ。


暴走しているように見える常識の狭間で、星の動き(=アストラル・チャクラ)に操られていることも知らずに、考えたフリして実は思いっきり考え抜いているんですけど、星の命運の動き通りの未来を無自覚で選んでいく、というね。

耳を澄まして、自分の真魂の声を訊くと
「こうじゃなかったー! こんなつもりじゃー!」
というとめどない悲鳴が聞こえてくる。
後悔先に立たず。

大地を蹴る 鋼鉄の救世主は自分自身の欲望。
自分に利があると思えない景色だけを消滅させ、自分が気持ちいいと思うだけのご都合主義世界に認識を書き換えようとします。

監視された箱庭の楽園、つまり宇宙意志はずっと星を見守っているんですけど、視るだけで特に何をするわけでもないんですよ。
だからせめて、笑っていよ?というね。
そのうち悟りの境地、涅槃の気配(=出口の鍵)が見つかるっしょ。

朱い雨とは、傲慢の欲です。
まるで血を流すようにそっと、自分と近しい人が濡れそぼっていきます。
血を見なきゃ悟れないのかよ、という。



こんな感じで、エゴは知らぬ間に湧き出ており、それが自分自身を苦しめてくるという、極めて月並なことを言っているんですね。
しかし月並と言いましても、多くの人が感じるあるある体験なるものは宇宙の軸となっているものであるため、月並なことは実は正解なのです。



そして、以下は大前提です。

現世に幸せを求めては駄目です。
絶対に。

苦しくて当たり前だと思ってください。

それが嫌なら、今後一切人間としての転生を辞めるべきです。
人間だから苦しいんですよ。
霊長類の最高位にあるヒューマン。
智という宿命を背負って生まれたせい。

キャパシティオーバーを起こしているんですね。


生きているだけで大正解。
それはそうですが、本当は哲学するために生まれてきた。
真に人間の生きる意味。

あとは無いです。

空腹に耐えられないから食について考えて工夫して、暑さ寒さを我慢できないから衣・住方面で工夫して、段々贅沢を覚えてきたので好きなことを叶えようと努力したら今の社会が出来上がっていった。
ただそれだけのことです。


川の流れのように、歴史観に怒りや憎しみを向けることなく、人類がどのように工夫に工夫を重ねていったかを考えるのが、真の意味で次元が高い人です。

文句ばっかり垂れても、腹はふくれねーよ。


隔離された箱庭の楽園は、涅槃ですけどね。
涅槃の中に居てさえ、次を探すことを求められています。

それを拒否するというなら、お願いしてください。
「pray nos」
と。
止まります。


ここまで理解に達せないと、思うがままなんて絶対に無理です。

そして思うがままの人生を選べるようになったら、今度は縛りプレイをするようになり、更なる深みを目指すようになります。

やはりどう足掻いても、金融の奴隷からは開放されることは不可能なようです。


欲からは逃れられない。



それでは、さようなら。

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