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BLが受け付けなくなってしまった話


時代の流れに逆らいますよ

変な略語が流行っていましたね。
LGBTQとかいうやつ。
Lesbian(レズビアン)
Gay(ゲイ)
Bisexual(バイセクシュアル)
Transgender(トランスジェンダー)
Queer(クィア)/Questioning(クエスチョニング)

の頭文字を羅列した性自認の在り方についてです。

正直言うと、現在の私はこういった話題に嫌悪感を抱いています。
誰を好きになろうが知ったこっちゃないが、社会的に認められていないと自我ひとつ保てないんかい、という。

外部から受ける印象や認識を意識することは動物として生きていくには必要不可欠ですが、中には「それちょっと違わない?」と思わざるを得ないものがあるのも確かです。
そういった考えに対して「差別だ!」と訴える人もおりますね。
それも違うんですよね。
一般的な「型」から外れていることに良い顔をしないと言うだけで、マイノリティー側が被害者ヅラして他者を人非人として声を上げる。
それは論点ずらしのズルい対応です。
人間のすることではありません。
最早ケダモノとも言える忌むべき態度でしょう。

愛し合うなとは言いませんよ。
好きにしてください。
周囲の理解を得られないというのなら、自立して愛し合う者たちだけで静かに生活してください。
自分が同性愛者であると他者に言い触れて回りたいのならコミュニティー内でお願いします。
思想の違いを押し付けないでください。

認識の範囲、思想、ある行動に対する許容などは思型と言い表せます。

思いの型。
枠ですね。
枠の中のことなら対応出来ますが、枠の外へ出た途端に理解そのものが不可能となる。

これは、人間の防衛機能の一つと言えます。
精神にはキャパシティがあります。
その範囲を越えることは負荷、負担となるのです。
思型は生まれてから現在までの人生の内に育っていくものですが、人間の心はそれだけに留まりません。
生まれ持った性質、これを点質と呼ぶのですが、これを基本として外部情報や刺激を取り込みながら成長していきます。

両親がゲイ同士で養子として迎えられ育てられた子は、ゲイに対して理解を示すかもしれませんが、必ずしもゲイに育つとは限らないということ。

世間の目は冷たいでしょうね。
どんなに同性愛に偏見の目を向けるなという風潮が根付いたとしても、ゲイに育てられた子は同じくゲイだろうという目で見られてしまうことでしょう。
その子は、育ての親と社会の奇異の視線に板挟みにされて苦しみます。
女性と交際したり結婚しようものなら両親に猛反対されるでしょうし、誰かしらにからかわれたり虐められたりといったことも避けて通れないでしょうね。

社会は変えられない。
社会全体の思想の枠も変えることが出来ない。
何故なら、長く続いたパートナーシップの在り方の歴史の積み重ねがあるからです。

これを時熟と呼びます。
歴史と伝統なるものは非常に重く、新規の要素が全体の中に介入するには大小あれど抵抗が発生するのは当然なのです。

同類を探す必要がある。
そこで、同じ思想を持つ人間同士が結託し、コミュニティーの存続の為の活動を行うことが必要。
そうして100年も経てば、世間に認められることでしょう。

しかし、同性愛はいつの時代もマイノリティーです。
宗教によっては禁止さえされております。
言うまでもないでしょう。
理解を示す為の動きが発生するたびに社会の風紀を乱す輩が産出され、禁止せざるをえないような社会問題にまで発展してしまうから、という理由。

同性愛。
主にゲイですが、ゲイの心理の根底にあるものは「女嫌い」です。
ゲイバーのオカマさんなどは女装している場合も多いですが、実は根っこでは女を心の底から憎んでいたりします。
では何故、わざわざ女の格好をしているのか?
というと、男性ファッションに比べて女性ファッションは華やかであり、またゲイ受けも良いからです。
ヒトの情愛というものは様々なカタチや方向性が存在し、全てが全て同じ愛ではないのです。
女を憎み合う同士が集まって、悪口を言い合って仲間意識を持つことで恋愛関係まで発展する、というケースもあります。

それを外まで持ち出さず、口外せずにいるなら問題はないですが、中には直接的な態度に出る人もいたりします。
女性排除。
そういった念は、いつか社会の風紀を乱しやがて重篤な犯罪にまで発展する「攻撃性の芽」となりうるのです。
故に、同性愛は禁止されていました。

女性同士の恋愛は、実は物凄くマイナーです。
しかし根底は同じ。
男性から手酷く性被害を受けた者同士が集まって古傷を舐め合っているケースが殆ど。
しかしレズビアンがそれほど社会的に問題にならなかったのは、歴史的にも神霊的にも女性の地位が低かったからですね。
社会への影響力は小さく、また彼女らはゲイのように激しい性行為はそれほど行いません。
見逃されてきた、という方が適切かもしれません。
インターネットの発達により、声のでかい人間が権利を主張しだしたことで問題となっているようですが、これを叩いて回っているのは殆ど男性です。
相手が女性というだけで、攻撃性を剥き出しにする男性は少なくない。
しかも、社会的地位が高い場合も多い。
影響力が強い。
そうして、この訳の分からない謎の略語まで出てくるまでとなったのです。

これ以上はあまり話したくないです。
闇が深いというか、一つ一つ丁寧に説明するととんでもなく長くなりますので。

結論として

LGBTQなんとかの思想はマイノリティーとして扱い続けるほうが社会の平和が保たれる。
差別はなくならない。
差別撤廃運動は程々にし、他のことにエネルギーを使ったほうが建設的。
男性ファッションの多様性をもっと認めるべき。

このくらいでしょうか。

あと、女性の社会進出は少子化の原因となりますので辞めたほうがいいですね。
女性はさっさと結婚して子を生み、子が大きくなってから学業なり社会進出するといったルートを取る方が人口も増えますし、職の数も安定します。
お見合い結婚で、無理矢理にでも縁を持たせます。
若さで乗り切るしかない。
美貌なんてすぐに失われてしまうのだから。
旦那を迎えて、素直に家庭に入った方が平和でしょう。
それが嫌だという跳ねっ返り娘は、女としての資格はない。
生まれる性別を間違えたとしか言いようがないですよ。

理想としては高校卒業くらいまでに結婚し、子が高校生になる頃に仕事を始めるなり大学に行くなりといった感じ。
業務経験が全く無くても(しかし高校時代にバイトくらいしておくべきです)1年程業務に従事し続ければ、普通はそれなりに育ちます。
1年経ってもまだ入りたての頃のような人は、正直無能です。
最低でも中堅の2〜3歩下くらいにはなっていましょうよ。

女性に学はいらない、というのはおかしな話ですけどね。
別に学校に通わなくても、何かしらを学ぶことは可能ですよね。
家事技術を磨くとか、庭仕事を覚えるとか。
男の真似事をすることが社会の全てではないです。

ここまで社会も成熟しましたし、昔から才気のある人は物がなかろうが金がなかろうが女だろうがチャンスを掴み次第、とっとと出世していきました。
成功に年齢も性別も関係ないんですよ。
出来るか出来ないか。
ただそれだけです。
実家が〜とか学歴が〜とかいうのは出来ない言い訳に過ぎない。
全てに恵まれた人と全く同じ地位には立てなくても、それなりに大成することは可能です。

例えば中卒でガテン系になった人も、真面目に頑張って社長に認められれば現場監督くらいには成り上がれるでしょう。
実績を積めば、部長ひいては社長の跡取りになることも夢ではない。
大小あれど、組織内での地位を詰める。
それは虚構でも夢でもないのです。

それで、ボーイズラブが苦手というのは?

本題に入ります。
私は元々、ノーマルカップル派でした。
男女の恋愛が好きだったんですね。
しかし、好き嫌いは良くないとして男性同士の恋愛についても考えることはありました。

中学の頃、部活の友達に初めてボーイズラブ(以下BL)のライトノベルと漫画を借りたことがきっかけです。
びっくりしました。
こんな風に…いや、男女のそれとは少し違うのね、と。

まず、性への入口から始まります。
そこから真剣に考えました。
女同士だと、多分物足りないだろう。
挿入あってこそなので。
しかし、そういう玩具も世の中には存在するようである。

男性なら玩具は不要?
と思ったらチャッカリ使う人もいるようですね。
なるほど。
尿道開発?
これは将来、尿道が開きすぎて病気になりそうだぞ。
などなど。

更に、痔の手術は人生で2回しか出来ない、肛門への挿入は基本的に危険であり、括約筋が損傷すると死ぬまでオムツが外せなくなる、などの知識を得て、ゲイはファンタジーの中だけに赦されるものでは?と思うようになりました。

ファンタジー、創作のゲイと現実のゲイは大きく違います。
混同し、安易な発言をする者は配慮がないとして嫌われています。

それだけに留まりませんが、BL愛好家は昔から「頭のオカシイ異常者」として彼女ら自ら腐女子と名乗り、社会の影に隠れて生きる存在でした。
いまでこそ全面に押し出されていますが、本来ならばはしたないとして隠さねばならぬものではあります。

私は腐女子にはなれませんでした。
何作かBL作品を読みました。
過激なものから、ただのイチャつきで終わる健全風まで。
「男女間でこのやりとりは出来ないのか?」と考えることも少なくなかった。

結果として、腐女子は男体を性的に消費している、という視点を持つようになりました。
いわずもがな、エロ本なんですね。
女体を見て興奮する男性と同じ。
イケな男子を見て、性的に興奮している。

しかし、男性同士の性行為は時に私刑として行われることもある。
強姦は、必ずしも男性から女性に行われるものではない。
男性から男性へ、むしろこっちの方が数が多いでしょう。
強姦はほぼ泣き寝入りが常とされていますが、女性より男性の方が誰にも言えず誰にも相談できず…という状況に陥りやすい。
それは男性という性の性質からなるものです。
理解されない。
冗談でしょう、と言われる。
オオカミ少年です。
普段からふざけた態度でいることが多く、信用がないのです。
また、男性同士の性行為はギャグとして扱われがちです。
なにより、男性は漢であれとされ、虚勢を張り続けることが求められる。
ずーっとずーっとカッコつけていないと、格好がつかないのです。
弱者男性なんて自称は恥ですよ。
男のくせに、と女を差し置いて男から嘲笑されるのです。
それが男性の性質。
歴史社会、男性が築き上げた認識が、男性そのものを苦しめている。
攻撃性を顕にした報いです。
社会に禁止されるほどの危険行為ですからね。

そうした社会的な認識に雁字搦めにされたことにより、強姦被害に遭った女性を冷遇する男性は多いです。
「俺の時は黙って耐えた。女の癖にピーピー泣いてんじゃねえよ」
という半分八つ当たりも含めたものです。

悪循環ですね。
創作の世界の、お花畑な世界観とはまるで逆の。
修羅の道です。

こういったことを考えている内に、私はBLそのものが楽しめなくなってしまいました。

男性が男性に向ける性愛の歪さ
(全てが全てではないですが)

ゲイカップルは、実は厳しい上下関係にある。
(どちらが立場が上かは状況に寄ります。必ずしもタチが優位ではないということ)

意識の方向性が不明瞭
(女に憎しみをぶつけ合うことで関係が成立している場合、女という存在そのものが失われた瞬間、同時に愛だと思っていたものが錯覚であったと気付くケースも)


必ずしも、同性愛だけでこのような認識が生まれているとは限りません。
ノーマルカップルでも同じような関係性で成り立つ場合もあります。

例えば、コロナ禍で反マスク・反ワクチンの方々がマスク装着者・ワクチン接種者を忌避し、同じ思想同士の者が集まる、という流れも見られました。
これは上記に書いた同性愛の図とフラクタル・相似象とも言えます。

反マスクの思想を通じて縁を持った、という場合。
意識を向けている対象が人間同士なら問題ないです。
気が合うならよかったね。
きっかけを得られたね、で済みます。
しかし、マスクに反対することで団結しているだけだとしたらどうでしょう。
マスク問題が取り払われた途端、エネルギーの矛先を失って縁が切れてしまうことも。
この根底にあるものは差別です。

マスク云々、ワクチン云々はどうでもいい話ですが、囚われるものが重要。

マスクの場合は、社会や陰謀に囚われまいとするも、今度は囚われないという意識そのものに囚われている、という。

この関係心理の軋轢が、同性愛には結構な頻度で見え隠れしているのです。
創作世界のファンタジーBLを現実世界に落とし込んだ場合、これらの心情機構とは切っても切れないことは明白の理。

なけりゃ、いいんです。
そこに純真な愛があれば。
しかし、囚われた者同士が傷を舐め合おうとする様子はですね、見たくないというのが正直な話。

更に、ファンタジーBLの登場人物はゲイ自認が非常に強く、めちゃくちゃ性に乱れている場合が多い。
学園モノなら、性欲に目覚めた男の子が適当な相手と恋愛ごっこしているのかな?とも思えますが、それもちょっとね。
手近な相手で性欲を発散させようという「消費」の心が見え隠れする気がして好きになれません。
主従関係、パワハラじゃん?
ニンフォマニア(異常性欲者)はまず、病院に行くべきでないか?
ヤンデレは飽食気味。
そんなに沢山見るものじゃないでしょ。
基本、暴力なんですよ。
愛の皮を被ったイジメ作品。

そこまで核質を見抜くと、心底作品を楽しめなくなってきます。
考えなければ、それはそれで幸せだったのかもしれない。
しかし、色々と考えてしまうのが人間。

作品にはある程度のリアリティーが求められることもありますし、それは作品の魅力とも言える部分です。


物凄く久しぶりに、BLコンテンツを目にしたのです。
ちょっと見て、そっ閉じしました。
吐き気がして見ていられなかった。
ごめんなさい。
趣味趣向は個人の自由ですよね。

別に世の批判をするつもりもないのですが、思っていたことをここに書き出してみました。
ここにあることはあくまでも個人の見解であり、万人受けするものとは思っていないです。

奇怪な記事にも関わらず、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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