見出し画像

結局のところ最高神って誰なの?


あなたは神を信じますか?

神様なんかいるわっきゃねえんよ!

ここ数年、私はずっとそんなようなことを呟き続けてきました。
神っぽい情報を何度も発信し、noteでもそれっぽい記事を書いているにも関わらず。

ファイナルアンサー
神という存在は
自分自身
自分自神
しかあり得ない
という結論に達しています。

世界を創造した人はおりますよ?
でも、彼らは別に神でもなんでもないのです。
なんなら神と呼ぶなとまで言います。
迷惑だからと。
崇めたってなんもならんよ。
本当に。
全存在という条件の元で、上下の感覚を作ることそのものが愚かなんですよ。
分かりますか、この感覚。
無理に神だなんだと崇拝を強制し、脅すようなことがある以上そういった行為や心理の一切を禁止すべきなのですね。
これが、私のチャネリング生活4年目突入から得た答えです。

でも、気になることがありますね。
神話などで色々名前がでてきてますよね、神様の。
誰がいっちゃん偉いのけ?
と思うこともありましょう。

キリスト圏・イスラム圏では
自分たちの教義がいっちゃん偉いんだが??
ということで世界を巻き込む対立をしておりますね。
テロなんか起きちゃったりして。
そこにユダヤが入ってくるから訳わかんなくなる。
そこで多神教派が高みの見物。
神様っていっぱいいるから〜。
父なる主だけじゃないのんで✋
という。

その中で、敢えて 敢えて言うならですよ?
本当のところ、誰がえらいん?
という。
宇宙全体の多数決の結果をここに記したいと思います。

神の名は役割が主

大体の神の名は、役職の呼称です。
代表取締役とか部長とか、お花係とか生き物係とか、そんな感じの。

例えばイザナギ・イザナミ。
最終的にこの肩書を名乗っている存在が最も偉いことになってます。
ナギとナミは上司に言われてオノゴロ島を作ったということになってますけど、上司は元々彼らの子ですので親と子どっちがえらいん?という話になった時に普通は「親」と答える人が大多数ですね。
そんな感じで、ナギとナミの中の人達が最高ってことになります。

そして、ナギとナミのどっちがえらいんのん?
となると、実はナミの方が立場が上です。
国会図書館の日本書紀に関する書物を幾つか閲覧させて頂きましたけど、此れ系は口伝で受け継がれたものを貴重な紙に記録しただけって感じの内容でした。
古事記も同じくでしょう。
その証拠に、何度も何度も同じ内容の記述が出てきます。
一般に言われている内容は、後世のものが分かりやすくまとめただけですね。
最初は
なんらかの存在が世界を作りました
とだけ書いてあり、段々と読み進めていくうちに
おがみとめがみが〜と男と女が出てきます。
イザという言葉は比較的早い段階で出てきますけど、ナギとナミはどこから出てくるん?と突っ込みたくなるくらい遅いです。
そして、こういった神話の登場人物はほとんど身の回りのものを擬人化させているケースが多いです。
そうすると、世界そのものであるイスラームのアッラーが最高ってことになるんですけど、アッラーの役割はあくまでも概念であって中に人が入っている訳ではないので、ここでは除外させて頂きます。
あくまでも一魂、イチ個人としての上下の話の記事です。

ナギとナミの場合は、海の様子を擬人化ならぬ擬神化させていますね。
ナギとは落ち着いた静かな海
無音など
ナミとは波です
われは海の子白波の〜
ざっぱ〜ん な波

命は海から生まれたと言わんばかりですね
そうすると、今度は海神が偉いんじゃないの?ってことになる。
日本の海の神はイザナミですので、自然の流れで……。
そうすると今度は、ギリシア神話が出てきますね。
ポセイドンとかネプチューンとかどうなの?という。
彼らは海の神で、同じくゼウスやハーデスとも兄弟。
かなり偉い位置にありますね。
しかしながら、ネプチューンなどはイザナミと同一視することはかないません。
土地が変わり神話が変わると、それに伴って役割も変化します。
ギリシア神話では、イザナミは今度はアフロディーテになってしまうんですよ。
アフロディーテといえば魚座にして美の女神。
えらいっちゃえらいですけど、ギリシア神話では最高神はゼウスということになっております。
息子のアポロンも相当な位置におりますし、ヘラクレスやヘラなども忘れちゃならない。
しかし、そこでは天を支えているアトラスが最も地位が高いことになっています。
これは霊界の常識。
そして、アトラスはなんとイザナギと同一視が可能なんですよ。
えっ、えっ?結局誰が偉いの?
なんなの?
同一視ってしていいの?
駄目です。
同一視は許されません。
失礼でしょ。
会社では部長、家ではパパ。
部長をパパと呼んでいいですか?
駄目でしょ。
そういう感覚でオナシャス。

あとは仏教の話を持ってくるとですね。
釈迦如来がえらいんでしょ?
と普通の人は思いますね。
釈迦はそんなにえらくないです。
仏界の中で最も尊いとされているのは、誰がなんと言おうと大日如来ですよ。
いっぱい座しますね。
守護さま。
その辺は喧嘩の火種になるのであまり言いたくないんですが、結果論として大日如来。
万物に潜む粒子そのものです。
実は量子全般を現すので、敢えてナニというならぶっちぎりでこのような結果になってしまうのです。

えらいえらくないとかそんなことばっかり言っていると、大日如来に叱られてしまいますけどね。

アセンションしようぜ!

神威の話は程々にしておきましょう。
結局は、主なる父を抑えてアッラーが尊く、大日如来の存在によって波動が発生し、そこら辺の調整にイザナギとイザナミが暗躍している。
宇宙の全ては天・地・人によって構成され、アートマン・ブラフマンが時空を生み出し続けて現存在は成り立っている。
全てはトーラスであり、上下関係は完全なる循環を乱すものであるからして、時々考えることはあっても普段は忘れているくらいで良い。
というね。

話は変わるんですけど、鬼滅の刃の映画やアニメを視聴していて、ふと
登場人物の全てはアセンションに必要な要素に通じている
ということに気付きました。

冗談みたいですけど、本当です。
ちょっと色々書いてみたいと思います。

竈門炭治郎
成長したカグツチの意味。
ヒノカミ神楽を循環させて戦うが、願いことブラフマンそのもの。
市松模様がトレードマークだが、正四面体を現す。
火の反対は水。
水の呼吸を扱えないと、動きが生まれない。
水の正二十面体が対極にあることで、波動が発生する。

竈門禰豆子
鬼になってしまった女の子。
彼女はレイキそのものであり、鬼化とはベテルギウスの試練を現す。
ベテルギウスの試練とは鬼の体質。
つまり吸血鬼のような状態。
エナジーヴァンパイヤでもある。
太陽とは核質を現すもので、放射そのもの。
外部情報を受取ることを嫌う、つまり鬼とは人の話を聞かない自分勝手な性格ということ。
禰豆子は根が優しく、人道から外れたことを嫌う真っ直ぐな性格であるため太陽を克服出来た。
心が強く、仏教の魔境状態(エナジーヴァンパイヤが陥りやすい心の迷宮)を無事に打ち破ったということになる。
この辺の奇跡は、まず世界観そのものがファンタジーなので量子の壁を易易と越えて本来破れない筈の定質の枷を外すことが可能であり、思形で世界は思うように変えることが出来る、という幽界の話だから可能だった、と説明出来ましょう。
漫画だからとかじゃなくてね。
3次元に落とし込むと、メンタル激強の可憐な美少女、となります。

我妻善逸
雷の呼吸の使い手。
ということは、クォーク粒子とタキオンを現す。
耳が良い設定は、音・波動を完全に網羅し読み込むことが可能な優秀な頭脳の持ち主ということ。
寝ないと強くなれないというのは肉体の枷が邪魔をしているだけで、眠っている状態が真の姿ということになる。
まだ10代だし、還暦過ぎる頃には師を遥かに凌駕する物凄い剣士に成長していることでしょう。
黄色なので、実は黄龍で最の強です。

嘴平伊之助
伊之助は亥。
イノシシを表しますが、実はイノシシはスサノヲを現すものです。
彼は天皇の子孫。同時に人類のリーダーの象徴という意味になります。
天皇家の血筋は実は世界中に散らばっていまして、世界中の王家は遠い遠い血縁者。
みんな根っこは同じです。
社会の頂点に立つ人は、タカヒマラの量子法則により全て決定づけられているのです。
実の母は伊之助を守るために命を落としましたが、育ての山の主と実は同じ魂。転生体。
そしてスサノヲの母はイザナギということになってますが、裏ではイザナミでもあります。
ってことは葵ちゃんはクシナダヒメですか?
いいえ。実はクシナダヒメは忘れられてしまってスサノヲと婚儀を行うことがかなわず、木花咲耶と結婚したので葵ちゃんはサクヤですね。

冨岡義勇
義勇さんはアトランティスを表します。
毒グモの意味。
これはイザナギの心の闇を表します。
十一の型 凪 ってありますよね。
心の闇というのは闇堕ちとか悪い意味ではなくて、量子確率論の上手くいかない部分と顕現を表します。
ツイてないな〜とか上手くいかないな〜とかそういうところ。
言葉足らずで対立しがちで、何かと誤解されやすい義勇さん。
ほんとは優しいのにね。

胡蝶しのぶ
しのぶさんは、ツォルキン・マヤ。
マヤ文明の伝説の中に出てくる蝶を意味します。
マヤのコンテンツ全般は実はアセンションに直結する要素満載なのですが、その中でも蝶々というのは最高位に位置するもの。
何千何万という蝶の犠牲を以て、次元上昇が叶います。
それは、毒を喰らわば皿まで。
毒を上手く扱うことを意味する。
本当に、びっくりするくらいハマっているんですよ。

煉獄杏寿郎
煉獄さんは、地獄の煉獄そのまんまです。
煉獄というのは色々定義がありますけど、あの世の循環を表します。
輪廻そのもの。
執着が強いと底を這いずり回るとかいうのもありますね。
そこは執着の度合いと中身に寄りますので、必ずしもそうとは言い切れません。
なんでもかんでも手放せばいいってもんじゃないです。
その辺の兼ね合いも重要。
煉獄さんは負けていません。
閻魔とかいう解釈もありましたけど、意味が遠すぎるので私は採用しないです。

時透無一郎
無一郎さんは太平杳補。
次元の高い人間の現れです。
努力して努力して努力して地道にコツコツコツコツ。
話の中では無努力の天才ってことになってますけど、裏では有一郎を思って血反吐を吐くなんてもんじゃないレベルの努力を積んでいる筈です。
黒死牟を倒したという時点で、彼は既に最強とも言える柱です。
黒死牟は、下手すると無惨様より強いです。

甘露寺蜜璃
みつりさんは月の女神を表します。
桜餅の精霊。
桜餅とは、正しい世界という意味。
コスモスそのもの。
ボインでピンクですけど、恐らくそういうキャラとして運命づけられているのでしょう。
いくら前ボタンが閉じないとはいえ、あの格好は気の毒だと個人的に思います。
ゆるくでいいから、サラシくらい巻いてけろ…。

伊黒小芭内
伊黒さんは巳ですね。
見ての通り蛇です。
超心点そのものであり、伊黒さんは正式な手順で清浄な金銭を得る、という意味が強いです。
伊黒さんグッズを持ち歩くと、金運が爆上がりするかもしれません。
蛇、特に白い蛇さんはそれほどまでに金を引き寄せる力が強いのです。
鬼滅が爆発的ヒットしたのも、もしかして伊黒さんが出演しているからかも??

不死川実弥
不死川玄弥
不死川兄弟は不屈の心を表します。
何があっても絶対に諦めない。
最後まで死にませんでしたね、とネタにされていましたね。
実りと玄つまり世に顕現させるという意味。
心に具えておくものですね。

宇髄天元
天元さんは音使いですが、実はツクヨミの転生体です。
月読は音の神様なんですが、当の本人はアセンション出来ずにいます。
スサノヲとアマテラスはめっちゃ昇ったのに、ツクヨミだけ人間と同等…ネガティブなイメージも強いです。
しかし御霊分けを行い、高みへ昇る音として転生しました。
音は忍び、静かでなければならない。
うるさいのは駄目。
そしてめちゃくちゃモテますね。
音楽は国境を超えるという現れでしょう。
まるでテキトーみたいに書いてますけど、本当です。

悲鳴嶼行冥
最強の柱ということになっている悲鳴嶼さんですが、彼は宇宙意志及び全ての意思の現れです。
南無阿弥陀仏と唱えていますね。
これは天の道を拓く唯一の実質的な方法を表しています。
Twitterに書きましたが、天の道を拓く、つまり願い事を叶えるのに必要なのは祈祷なのです。
なんでもいいんですけどね。
聖言とか教典とか。
しっくりくるものを、夜通しぶっ通しで唱え続けます。
現世利益の実感がないので、諦めてしまう人もいるでしょう。
そういうもんじゃないんですよ。
転生有りきでの人生を視野に入れた時、祈言の類は絶対に欠かせないものとなっております。
口酸っぱくなんてレベルではないくらい、口が枯れて喉が潰れるまで唱え続けます。
悲鳴のように、ね…。
そうして何千何億何兆何垓と唱え続けたその果てに、天への道が拓かれて真の意味での幸福が訪れるのです。
宗教勧誘とかそういうのでは決して無く、そういう風に世界は出来ているのです。
まあ、無理のないように。
ちな、私はそれを既に過去生で完遂しております。
今生でも行いました。
冥界くぐりもバッチシ。

奏上時の想念、つまり考えることですが、基本は無で行います。
次の言葉は何だっけ?
など祈言の先を思い出すくらいで。
何か映像が見えた時は、恐らく邪念か霊界映し的なものなので、他言無用です。
それは心の奥深くにしまっておくもの。
言いふらしたり、何か視えた!とか言って自慢してまわるようではまだまだ修業が足りません。
ちょいと話題に出すくらいで。
更にそれを羨ましがっているようでも駄目。
見たけりゃ、とっととあなたも唱えなさい。
一定のラインを過ぎれば誰でも見ることが可能なのだから。

産屋敷家
月の象徴です。
願いを叶えてくれる。

鬼舞辻無惨
無惨様は、アセンションがかなわなかったツクヨミの影のようなものです。
デセンションしっぱなしのエナジーヴァンパイヤそのもの。
青い彼岸花とは生への執着、渇望およびその試練です。
ハイデガーの現存在のナンタラでは、死ぬ時の心の準備くらいしとけ、と言ってますがそれが出来ない幼児性の現れと言ったところ。
自ら死を選べ、死に抗うなという訳ではありませんが、程々にね。
誰だって死にたくない気持ちはありますよ。
しかしそこにしがみつき続けるのもどうなの?という。
無惨様は非常に短気ですよね。
こういうのはヒトとしてよろしくないよね、という意味もあります。


他の人はいいかな…。
取り敢えずで書き出してみました。
鬼滅の登場人物の象徴を全て超越すれば、次元上昇ことアセンションがかなうよね、というものでした。

あんまり小さいことにこだわりすぎるとデセンションしますし、かといって気にしなさすぎもよくない。

これを読んで、鬼滅のファンになるぞ!とか息巻いてもアセンションはしません。
手近なところで伊黒さんグッズをお迎えして、悲鳴嶼さんみたく南無阿弥陀仏…何かしっくりくるものを奏上する習慣を身につける辺りが関の山。

nosさいころじー では創作物に触れることで何らかの感情、心の動きをどう受け止めるかという要素や行動を非常に重視しています。
つまりは精神球の密度を上げる努力をすること、これに尽きるのです。

なんやかんや、スピではこうだけど〜とかドコドコの思想では〜とか細かいことで論議する様子を見ると、私は軽く頭痛を覚えるんですけどね。
そういうのを全部すっとばして超越するためには葛藤がどうしても欠かせないものとなっておりますので、何も言わずにおきたいです。
そこは、伊黒さんの領域なんですよ。
邪とは蛇。
どこで横槍を入れるか、もとい行動を起こすかというタイミングの見極めを表しています。
そうすることで、お金を得たり失ったりといった実質的な現象の発現につながるのです。
小さいことですが、物凄く重要です。
そういうことに関して、小さいことを意識するのは大事です。

話題が話題なので、オカタク書くと面倒なことになるので極めて軽いノリで書き連ねました。
「あのな、失礼ですよ!」
と文句を言われることもあるかもしれませんが、その辺は目をつむって頂きたく…。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?